8月14日土曜日: 座右の銘は「努力」
メールをもらった。
「素直な正直な文章が書けないんです」と。
文章を書くと、
カッコつけたり、自分を良く見せようとしたり、飾ったり、…してしまう。
もっと素直に、もっと本当の自分を出さなくちゃいけないのに、
つい、ええかっこしいになってしまう。
本当の自分が、なかなか書けないんです、と。
私もそうだったなぁ。
…若い頃。
本当の自分が出せてない、って、よく落ち込んでたっけ…。
若い頃は、ね。
でも、
だんだん、そうじゃない、って思うようになったんだ。
良い部分はカッコつけてる偽りの自分で、
そうじゃない悪い部分だけが本当の自分、って、
それって、違うと思うの。
カッコつけてるように見えるかもしれないけれど、
そう思ってることに偽りはない。
ほんとはそんな自分じゃないかもしれないけれど、
そうなりたい、と思ってる気持に偽りはない。
ダメなのも私。
そのダメさに落ち込んでいるのも私。
変わりたいと思ってるのも私。
変われないのも私。
でも、それでも頑張ってるのも私。
どれが本当の自分か、じゃなくて、
どれも本当の自分だ、って、思うようになったの。
だから、
頑張りたい!と思う気持ちを、素直に認めたらいいと思うんだ。
頑張る自分を受け入れたらいいと思うんだ。
私の座右の銘は「努力」です。
…なんて言うと、ダサい!と笑われるかな?
若い頃は恥ずかしくて、言えなかったけど、…もう中年だからね!(*^。^*)
おばさんになると、恥ずかしくもなんともないの(笑)
だから、言うね。
好きなの。わたし。 努力って言葉。
何かに向かって頑張る過程が好きだし、頑張ってる自分が好き。
文章を書くとき、
カッコつけてるように見えるかもしれないけれど、
私は本気でそう思ってる。
そして、
自分が書いた文章に誠実でありたい、と思ってる。
忠実でありたい、と思ってる。
言葉だけで終わらないよう、思いを実現したい、と、本気で思ってる。
話す言葉もそう。
言葉だけの人にならないように、
自分が話す言葉に誠実でありたいと、いつもいつも思ってる。
だから、頑張る。
努力もする。
熱に浮かされたように書いてしまうこと、も、時にはあるけれど、
たとえそうだとしても、
そう思った自分を受け入れて、
その思いが実現できるよう、現実に頑張ればいいんじゃないかしら。
思いを思いで終わらせない努力。
言葉を言葉だけで終わらせない努力。
強い思いを持つ人は、強くなれるんじゃないのかな。
私は強い人になりたい。
強い心の人に、ね。
頑張れば、きっと近づけると思うんだ。
だって、
座右の銘は、「努力」だもの。(^-^)
「素直な正直な文章が書けないんです」と。
文章を書くと、
カッコつけたり、自分を良く見せようとしたり、飾ったり、…してしまう。
もっと素直に、もっと本当の自分を出さなくちゃいけないのに、
つい、ええかっこしいになってしまう。
本当の自分が、なかなか書けないんです、と。
私もそうだったなぁ。
…若い頃。
本当の自分が出せてない、って、よく落ち込んでたっけ…。
若い頃は、ね。
でも、
だんだん、そうじゃない、って思うようになったんだ。
良い部分はカッコつけてる偽りの自分で、
そうじゃない悪い部分だけが本当の自分、って、
それって、違うと思うの。
カッコつけてるように見えるかもしれないけれど、
そう思ってることに偽りはない。
ほんとはそんな自分じゃないかもしれないけれど、
そうなりたい、と思ってる気持に偽りはない。
ダメなのも私。
そのダメさに落ち込んでいるのも私。
変わりたいと思ってるのも私。
変われないのも私。
でも、それでも頑張ってるのも私。
どれが本当の自分か、じゃなくて、
どれも本当の自分だ、って、思うようになったの。
だから、
頑張りたい!と思う気持ちを、素直に認めたらいいと思うんだ。
頑張る自分を受け入れたらいいと思うんだ。
私の座右の銘は「努力」です。
…なんて言うと、ダサい!と笑われるかな?
若い頃は恥ずかしくて、言えなかったけど、…もう中年だからね!(*^。^*)
おばさんになると、恥ずかしくもなんともないの(笑)
だから、言うね。
好きなの。わたし。 努力って言葉。
何かに向かって頑張る過程が好きだし、頑張ってる自分が好き。
文章を書くとき、
カッコつけてるように見えるかもしれないけれど、
私は本気でそう思ってる。
そして、
自分が書いた文章に誠実でありたい、と思ってる。
忠実でありたい、と思ってる。
言葉だけで終わらないよう、思いを実現したい、と、本気で思ってる。
話す言葉もそう。
言葉だけの人にならないように、
自分が話す言葉に誠実でありたいと、いつもいつも思ってる。
だから、頑張る。
努力もする。
熱に浮かされたように書いてしまうこと、も、時にはあるけれど、
たとえそうだとしても、
そう思った自分を受け入れて、
その思いが実現できるよう、現実に頑張ればいいんじゃないかしら。
思いを思いで終わらせない努力。
言葉を言葉だけで終わらせない努力。
強い思いを持つ人は、強くなれるんじゃないのかな。
私は強い人になりたい。
強い心の人に、ね。
頑張れば、きっと近づけると思うんだ。
だって、
座右の銘は、「努力」だもの。(^-^)
わたしの夫は、子ども好きです。
みんなからそう言われますし、実際そうです。
ただし、
子ども好き、という夫の対象は、“小さい子”に限定されています。
小さい子を相手に遊ぶ時の夫は、心から楽しそうですし、
信じられないくらい忍耐強く、優しいです。
でも、
大きい子を相手にすると、夫の忍耐は、なぜか、とってもちっちゃくなってしまいます。
それがわたしはいやでした。
なんで もっと優しく出来ないのかな?とか、
もっと忍耐すればいいのに、と、夫に対して不満がありました。
時々、その不満は大きくふくらんで、
夫に対してすごく腹が立つことがありました。
そんなある日、
突然気付いたのです。
あっ、そうか!だからわたしがいるんだ!!!って。
わたしは、自分で言うのもおかしいですが、けっこう忍耐強いです。
それも、大きい子に対して。
だから、わたしがいるんだ。
だから、わたしが必要なんだ。
なぁんだ、そうか!
だからわたしたちは夫婦なんだ! って、突然そう思ったんです。
それは、ある意味、“悟り”でした。(^-^)
夫とわたしは違います。
夫の得意なこと、夫の苦手なこと、と、
わたしの得意なこと、わたしの苦手なこと、とは、違います。
だから、わたしたちは夫婦になったのかもしれない…。
わたしたちは、互いを補うために、互いに助け合うために、
そして一緒に成長するために、知らず知らずにひかれあい、こうして二人夫婦になったのかもしれないな…
…そんなふうに思いました。
以来、
夫の欠点が目に付くたびに思うのです。
あ、だからわたしがここにいるんだ、
だからわたしが必要なんだ、…って。 (^-^)
子どもの欠点や弱点が目に付いた時も、同じです。
あっ、そうか! だからわたしがここにいるんだ!!と思うんです。
だから私が必要なんだ! だから私たちは親子なんだ! …って。
それがわたしの悟り。
それが、わたしのポリシーです(^-^)
今日も暑い暑い熊本の朝。
洗濯機が忙しくまわっている間に、ちょっと書いてみました。
熱中症に気をつけて、今日も良い一日をね!(^_-)-☆
みんなからそう言われますし、実際そうです。
ただし、
子ども好き、という夫の対象は、“小さい子”に限定されています。
小さい子を相手に遊ぶ時の夫は、心から楽しそうですし、
信じられないくらい忍耐強く、優しいです。
でも、
大きい子を相手にすると、夫の忍耐は、なぜか、とってもちっちゃくなってしまいます。
それがわたしはいやでした。
なんで もっと優しく出来ないのかな?とか、
もっと忍耐すればいいのに、と、夫に対して不満がありました。
時々、その不満は大きくふくらんで、
夫に対してすごく腹が立つことがありました。
そんなある日、
突然気付いたのです。
あっ、そうか!だからわたしがいるんだ!!!って。
わたしは、自分で言うのもおかしいですが、けっこう忍耐強いです。
それも、大きい子に対して。
だから、わたしがいるんだ。
だから、わたしが必要なんだ。
なぁんだ、そうか!
だからわたしたちは夫婦なんだ! って、突然そう思ったんです。
それは、ある意味、“悟り”でした。(^-^)
夫とわたしは違います。
夫の得意なこと、夫の苦手なこと、と、
わたしの得意なこと、わたしの苦手なこと、とは、違います。
だから、わたしたちは夫婦になったのかもしれない…。
わたしたちは、互いを補うために、互いに助け合うために、
そして一緒に成長するために、知らず知らずにひかれあい、こうして二人夫婦になったのかもしれないな…
…そんなふうに思いました。
以来、
夫の欠点が目に付くたびに思うのです。
あ、だからわたしがここにいるんだ、
だからわたしが必要なんだ、…って。 (^-^)
子どもの欠点や弱点が目に付いた時も、同じです。
あっ、そうか! だからわたしがここにいるんだ!!と思うんです。
だから私が必要なんだ! だから私たちは親子なんだ! …って。
それがわたしの悟り。
それが、わたしのポリシーです(^-^)
今日も暑い暑い熊本の朝。
洗濯機が忙しくまわっている間に、ちょっと書いてみました。
熱中症に気をつけて、今日も良い一日をね!(^_-)-☆
8月 1日日曜日: うれしい筋肉痛 おもやい部屋報告
腕が痛いです。
肩も。
なんで???
あ、そうか!
赤ちゃんを抱っこしてたからだ!
おもやい部屋での時間を思い出します。
30日、お母さん大学入学式当日、
わたしは、「おもやい部屋」に、託児スタッフの一人として入らせていただきました。
当日、託児に預けられた子どもたちは40人近く。
思っていたよりも、赤ちゃんがいっぱいでした。
少し大きな子たちは、積み木や、おもちゃで遊び始めたものの、
小さい子たちは、声を限りに大合唱。
わー わぁぁぁん ぎゃぁぁぁ ママ~~ あぁぁぁぁん ママ、ママママ~~
体をのけぞらせ、手足をばたつかせ、思い思いの手段で、
いやだ、いやだ!と、必死に訴えています。
無理もないよね、大好きなお母さんとお別れしたばかりなんだもの。
おもやい部屋のおかあさんたちは、
誰がどの子を担当するのか指示を仰ぐでもなく、ごく自然に、
泣き叫ぶ子どもたちを、一人一人、すっと抱き上げていきます。
それは、見事な光景でした。
わたしの腕の中にも、
泣き叫ぶ小さな赤ちゃんがいました。
だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、
ママはお勉強しているの、すぐに帰ってくるよ、
だから、ここで待っていようね、
おばちゃんがついているよ、
だいじょうぶ、だいじょうぶだからね、
心配いらないよ、
ママはちゃんと帰ってくるから、
おばちゃんと一緒に待っていようね
…そんな思いで、
泣き叫ぶ赤ちゃんを抱き締めます。
ぎゅっと、
ただ ぎゅぅっと、抱きしめて、耳元で囁きます。
だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、
だいじょうぶ、だいじょうぶだからね
そして、
いつも子どもたちに歌っていた子守唄を、
耳元で小さく歌ってみます。
そおっと、大切に抱きしめて、歌い続けます。
そのうちに、
赤ちゃんは、穏やかになって、
眠ってしまいます
そうしたら、次の子どもを抱っこ。
そうやって、
何人かの子どもたちを抱っこする機会をいただきました。
どの子もどの子も、お母さんが大好きなんだということが、痛いほど伝わってきて、
抱っこしながら、何度も泣きそうになりました。
愛おしくて…ただ愛おしくて…
最後に抱っこした女の子は、1歳10カ月。
ママ~ママ~ママ~と、泣き叫んだまま泣きやみません。
ちょうどおやつの時間になったので、
抱っこして連れて行きました。
バナナとリンゴが準備されています。
「バナナ、食べる?」と尋ねてみると、
「むり、むり、むり、むり~~~~~!」と言います。
あんまり可愛くて、思わず笑ってしまいました。
「じゃ、りんご食べようか?」と、尋ねてみると、
「むり、むり、むりむり、 むり~~~っ!」と、言います。
「じゃ、ママにあげようか?」と言ってみたら、
その子はすっと手を伸ばして、一切れのりんごをつかみました。
驚きました。
「それ、ママにあげるの?」と、尋ねると、
「ママ~~~、ママ~~~~、ママ~~~~!!」と、泣き叫びます。
ぎゅっと、りんごを握りしめたまま。
胸がきゅんと痛くなりました。
「だいじょうぶだよ、もうちょっとだ!」と、何度もその女の子に言いました。
すると、その女の子は、泣きながら、たどたどしい言葉で言ったのです。
「もーちょっとだ」
「そうだよ!もうちょっとだよ!」と言うと、
「もーちょっとだ」と、繰り返します。
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
何度繰り返したでしょうか、
そのうちに、女の子は眠ってしまいました。
手に、茶色に変色したりんごを、しっかりと握りしめたまま。
涙が出そうで困りました。
子どもって、
こんなにお母さんが好きなんだ…
大好きで、大好きで、たまらないんだ…
入学式には参加できませんでしたが、
わたしにとって、その時間は、かけがえのないものとなりました。
託児に参加させていただいて、本当によかったです。
夜、四男の大我から電話が入りました。
「お母さん、何時に帰ってくる?」
「あれ?寂しいの?」と、尋ねてみたら、
「うん」と、あんまり素直に答えるので、こちらが面くらいました。
だって、彼は、反抗期終盤の中学3年生ですから。笑
「ほんとにさびしい?」
「うん」
「じゃぁ、飛んで帰るよ!」
「うん」
子どもたちはいつだって、お母さんが大好き。
赤ちゃんも、
小さな子どもも、
…大きくなっても、ね。
帰宅した私を待っていてくれた子どもたち。
お土産とわたし、どちらを喜んだのかはわからないけれど(笑)
大歓迎してくれました。
さて、
また、いつもの日常が始まります!
腕の筋肉痛は、託児のご褒美♪
わたしたちは、
こんなにも愛される“お母さん”であることを、思い出させてくれましたから。
さぁ、
今日も元気に頑張りましょう!(^-^)♡
★絵日記はコチラ
肩も。
なんで???
あ、そうか!
赤ちゃんを抱っこしてたからだ!
おもやい部屋での時間を思い出します。
30日、お母さん大学入学式当日、
わたしは、「おもやい部屋」に、託児スタッフの一人として入らせていただきました。
当日、託児に預けられた子どもたちは40人近く。
思っていたよりも、赤ちゃんがいっぱいでした。
少し大きな子たちは、積み木や、おもちゃで遊び始めたものの、
小さい子たちは、声を限りに大合唱。
わー わぁぁぁん ぎゃぁぁぁ ママ~~ あぁぁぁぁん ママ、ママママ~~
体をのけぞらせ、手足をばたつかせ、思い思いの手段で、
いやだ、いやだ!と、必死に訴えています。
無理もないよね、大好きなお母さんとお別れしたばかりなんだもの。
おもやい部屋のおかあさんたちは、
誰がどの子を担当するのか指示を仰ぐでもなく、ごく自然に、
泣き叫ぶ子どもたちを、一人一人、すっと抱き上げていきます。
それは、見事な光景でした。
わたしの腕の中にも、
泣き叫ぶ小さな赤ちゃんがいました。
だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、
ママはお勉強しているの、すぐに帰ってくるよ、
だから、ここで待っていようね、
おばちゃんがついているよ、
だいじょうぶ、だいじょうぶだからね、
心配いらないよ、
ママはちゃんと帰ってくるから、
おばちゃんと一緒に待っていようね
…そんな思いで、
泣き叫ぶ赤ちゃんを抱き締めます。
ぎゅっと、
ただ ぎゅぅっと、抱きしめて、耳元で囁きます。
だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、
だいじょうぶ、だいじょうぶだからね
そして、
いつも子どもたちに歌っていた子守唄を、
耳元で小さく歌ってみます。
そおっと、大切に抱きしめて、歌い続けます。
そのうちに、
赤ちゃんは、穏やかになって、
眠ってしまいます
そうしたら、次の子どもを抱っこ。
そうやって、
何人かの子どもたちを抱っこする機会をいただきました。
どの子もどの子も、お母さんが大好きなんだということが、痛いほど伝わってきて、
抱っこしながら、何度も泣きそうになりました。
愛おしくて…ただ愛おしくて…
最後に抱っこした女の子は、1歳10カ月。
ママ~ママ~ママ~と、泣き叫んだまま泣きやみません。
ちょうどおやつの時間になったので、
抱っこして連れて行きました。
バナナとリンゴが準備されています。
「バナナ、食べる?」と尋ねてみると、
「むり、むり、むり、むり~~~~~!」と言います。
あんまり可愛くて、思わず笑ってしまいました。
「じゃ、りんご食べようか?」と、尋ねてみると、
「むり、むり、むりむり、 むり~~~っ!」と、言います。
「じゃ、ママにあげようか?」と言ってみたら、
その子はすっと手を伸ばして、一切れのりんごをつかみました。
驚きました。
「それ、ママにあげるの?」と、尋ねると、
「ママ~~~、ママ~~~~、ママ~~~~!!」と、泣き叫びます。
ぎゅっと、りんごを握りしめたまま。
胸がきゅんと痛くなりました。
「だいじょうぶだよ、もうちょっとだ!」と、何度もその女の子に言いました。
すると、その女の子は、泣きながら、たどたどしい言葉で言ったのです。
「もーちょっとだ」
「そうだよ!もうちょっとだよ!」と言うと、
「もーちょっとだ」と、繰り返します。
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
「もうちょっとだ!」
「もーちょっとだ」
何度繰り返したでしょうか、
そのうちに、女の子は眠ってしまいました。
手に、茶色に変色したりんごを、しっかりと握りしめたまま。
涙が出そうで困りました。
子どもって、
こんなにお母さんが好きなんだ…
大好きで、大好きで、たまらないんだ…
入学式には参加できませんでしたが、
わたしにとって、その時間は、かけがえのないものとなりました。
託児に参加させていただいて、本当によかったです。
夜、四男の大我から電話が入りました。
「お母さん、何時に帰ってくる?」
「あれ?寂しいの?」と、尋ねてみたら、
「うん」と、あんまり素直に答えるので、こちらが面くらいました。
だって、彼は、反抗期終盤の中学3年生ですから。笑
「ほんとにさびしい?」
「うん」
「じゃぁ、飛んで帰るよ!」
「うん」
子どもたちはいつだって、お母さんが大好き。
赤ちゃんも、
小さな子どもも、
…大きくなっても、ね。
帰宅した私を待っていてくれた子どもたち。
お土産とわたし、どちらを喜んだのかはわからないけれど(笑)
大歓迎してくれました。
さて、
また、いつもの日常が始まります!
腕の筋肉痛は、託児のご褒美♪
わたしたちは、
こんなにも愛される“お母さん”であることを、思い出させてくれましたから。
さぁ、
今日も元気に頑張りましょう!(^-^)♡
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7月 8日木曜日: うつくしいかていがつくれますように
七夕の夜。
織姫と彦星は出会えたのでしょうか?
ここ熊本は、昨晩は曇り。
子どもたちと空を見上げましたが、残念ながら星を見つけることはできませんでした。
「見えなくてもねがいはかなう?」と、末っ子不動。
「そうね、思いは通じると思うよ」と言うと、にっこり笑っています。
短冊に書いた不動の願い事。
「しょうらい Nさんと うつくしいかていがつくれますように」
これには
姉の愛実も種恵も私も、本当に驚きました!
若干8歳で、好きな子がいる、ということ自体、おませで、かわいいし、
「Nさん」 と、アルファベットで相手の名前を書いていることもおかしかったのですが、
一番驚いたのは、「うつくしいかてい」という言葉です。
楽しい家、でも、幸せな家、でもなくて、… うつくしいかてい。
どうしてこんな言葉を思いついたんだろう?
いったいどこでこんな言葉を覚えたんだろう??
「でも、…なんか、いいね!」 と 娘たち。
「うん、…なんか、いい!」 と 私。
うつくしいかていがつくれますように
不動のこの美しい願いが天に届くといいな…と、
空を見上げながら思いました。
そして私も、
私の住んでいるこの家を、美しい家庭にできたらいいな…と、
空を見上げながら考えました。
静かな七夕の夜の ささやかな一こまです。(^-^)♡
★絵日記はコチラ
織姫と彦星は出会えたのでしょうか?
ここ熊本は、昨晩は曇り。
子どもたちと空を見上げましたが、残念ながら星を見つけることはできませんでした。
「見えなくてもねがいはかなう?」と、末っ子不動。
「そうね、思いは通じると思うよ」と言うと、にっこり笑っています。
短冊に書いた不動の願い事。
「しょうらい Nさんと うつくしいかていがつくれますように」
これには
姉の愛実も種恵も私も、本当に驚きました!
若干8歳で、好きな子がいる、ということ自体、おませで、かわいいし、
「Nさん」 と、アルファベットで相手の名前を書いていることもおかしかったのですが、
一番驚いたのは、「うつくしいかてい」という言葉です。
楽しい家、でも、幸せな家、でもなくて、… うつくしいかてい。
どうしてこんな言葉を思いついたんだろう?
いったいどこでこんな言葉を覚えたんだろう??
「でも、…なんか、いいね!」 と 娘たち。
「うん、…なんか、いい!」 と 私。
うつくしいかていがつくれますように
不動のこの美しい願いが天に届くといいな…と、
空を見上げながら思いました。
そして私も、
私の住んでいるこの家を、美しい家庭にできたらいいな…と、
空を見上げながら考えました。
静かな七夕の夜の ささやかな一こまです。(^-^)♡
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7月 5日月曜日: 知らなかった!!
今朝読んだ中井俊已さんのブログの中で、
へぇ!そうだったんだ!!ということを知りました。
お父さん、お母さん、という言葉の語源です。
少し紹介しますね。
★「お父さん」は、「お尊さん」から来たそうです。
つまり、「尊い人」という意味。
お父さんは、子どもたちのために一所懸命働いて、生活の糧を運んでくれる。そして家族を守ってくれる。
そんな「尊い人」だ ということから来たのだそうです。
★「お母さん」は、「お日身さん(おかみさん)」から来たそうです。
日は太陽のこと。つまり「お日身さん」は、太陽の身(からだ)。
お母さんは、いつも明るくて、あたたかくて、わたしたちの生命を育てくれる存在。太陽のような人、という意味なのだそうです。
「お父さん」「お母さん」という言葉には、
自分を生み育ててくれた親を尊び、感謝する 日本人の心がこめられているのです、と綴ってありました。
知らなかったなぁ!
ママは太陽!と、よく言われるけれど、
それって ず~っと昔から、日本でも考えられてきたことだったんだなぁ。
すごいね。
お母さんは、本当に太陽なんだ(*^_^*)♡
★絵日記はコチラ
へぇ!そうだったんだ!!ということを知りました。
お父さん、お母さん、という言葉の語源です。
少し紹介しますね。
★「お父さん」は、「お尊さん」から来たそうです。
つまり、「尊い人」という意味。
お父さんは、子どもたちのために一所懸命働いて、生活の糧を運んでくれる。そして家族を守ってくれる。
そんな「尊い人」だ ということから来たのだそうです。
★「お母さん」は、「お日身さん(おかみさん)」から来たそうです。
日は太陽のこと。つまり「お日身さん」は、太陽の身(からだ)。
お母さんは、いつも明るくて、あたたかくて、わたしたちの生命を育てくれる存在。太陽のような人、という意味なのだそうです。
「お父さん」「お母さん」という言葉には、
自分を生み育ててくれた親を尊び、感謝する 日本人の心がこめられているのです、と綴ってありました。
知らなかったなぁ!
ママは太陽!と、よく言われるけれど、
それって ず~っと昔から、日本でも考えられてきたことだったんだなぁ。
すごいね。
お母さんは、本当に太陽なんだ(*^_^*)♡
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6月26日土曜日: マイケルのスピーチ
マイケル・ジャクソンが亡くなって丸1年。
テレビでは特集番組もあっているようですが、
マイケルファンの私も、特別な日記を。(^-^)
2001年、3月6日。オックスフォード大学で、マイケルが行ったスピーチの和訳を紹介させてください。
ご存じの方も多いかもしれませんが、私はこれを読んだ時、とても感動しました。
かなり長いのですが、
よかったら、ぜひ読んでみてください。 (^-^)
**********
みなさんの熱烈な歓迎に心から感謝します。
オックスフォード大学の学長殿、本日はお招きいただき光栄に思います。そして、ここオックスフォード大学で11年間ラビとして従事しているシュムリー師に特別に感謝の意を表します。「ヒール・ザ・キッズ」をともに苦労して設立した彼とは、子どもらしさとは何か、という内容の本の共同執筆もしました。すべての活動を通じ、わたしを支えてくれているかけがえのない友人です。
そして、「ヒール・ザ・キッズ」のディレクター、トバ・フリードマンにも感謝の意を表します。彼女はここオックスフォードの卒業生で、マーシャルの研究をしていたそうです。そして、もう一人の中心のメンバー、マリリン・ピールスにも感謝を表します。
以前、マザー・テレサ、アルバート・アインシュタイン、ロナルド・レーガン、ロバート・ケネディー、マルコムXといった著名な方々が講義されたこの会場で、これからお話できることを喜ばしく思います。
セサミストリートのマペット、カエルのカーミットもこの場に立ったと聞いています。「ここに立つのに青いっていうのは大変なことさ(まだ青二才、未熟者なので)」というカーミットの気持ちがよくわかります。カーミットもわたしと同様、この場に上がるのに緊張したことでしょう。
オックスフォード大学は偉大な哲学者や科学者だけでなく、JRR トールキン (「指輪物語」の作者)からCS ルイス (「ナルニア物語」の作者)に至る、才能に満ちあふれた著名な児童文学作家たちも送り出してきました。
今日、わたしはクライスト・チャーチ (Christ Church) のダイニングホールの中を歩き、ステンドグラスの窓に描かれたルイス・キャロルの不朽の名作「不思議の国のアリス」を鑑賞しました。
子どもたちの大好きなアメリカの児童文学者ドクター・スースの絵もありました。彼は世界中の多くの子どもたちの想像力を養うすばらしい作品を生み続けています。
まずわたしが、今夜みなさんの前でお話させていただけるようになったわけからはじめましょう。
わたしにはこのホールで講演してきた有名な方々のように、専門知識があるとは言えません。彼が、ムーンウォークの名手とは呼べないのと同じです。――中でもアインシュタインはとても下手だったと聞いています。
しかし、わたしは人よりも、多くの場所へ赴き、いろいろな文化に触れてきました。
人の知識は書物から得られたものだけでなく、心に描かれ、魂に彫り込まれ、精神に刻み込まれたものからつくられます。
わたしは比較的短い間に、多くの体験をしてきたため自分がまだ42歳であるのが信じられません。
時々シュムリーにも言うのですが、精神年齢は80歳には達していると思います――。
今夜は80歳のように歩くことさえできます。
ですから、今晩はわたしの話におつきあいください。
今日ここでお話することが、人々の心、そして地球をもいやせるかもしれません。
神の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、プロとしてのたくさんの夢をかなえることができました、しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。
5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。
今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。
私たちはみな、幼児期の産物です。
子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。
ジャクソン・ファイブをご存じの方は、わたしが若干5歳という年齢でデビューしたことをご存じでしょう。
それ以来、歌い、踊り続けています。ステージに立っている時や音楽を作り出している時は確かに大きな喜びで満たされていましたが、小さいころのわたしはそれよりも何よりも普通の少年でいたかったのです。
木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、友だちとかくれんぼしたりしたかったのです。
でも、これはわたしの運命で、周りで遊んでいる子どもたちの笑い声をうらやむことしかできませんでした。
わたしのプロとしての人生に、息抜きなどありませんでした。
でも、毎週日曜日、「エホバの証人」の行うパイオニアリングと呼ばれる布教活動に通ったものです。
ほかの子どもたちがどう過ごしているのかを間近に見て、子ども時代の魅力を知ったのはその時でした。
わたしはすでに顔が知れわたっていましたから、大きめの服、かつら、あごひげ、眼鏡で変装し、南カリフォルニアの郊外で家を一軒一軒訪ねたり、ショッピングモールを歩き回ったりして、『ものみの塔』という機関誌を配布しました。
わたしは普通の家を訪ね、ふかふかのラグやアームチェアの上で、子どもたちがモノポリーゲームをして遊んだり、おばあちゃんが孫を面倒を見たりするような日常生活のすばらしく平凡な、輝く光景を見るのが大好きでした。
そんなたいしたことじゃないじゃないか、と思われるのは知っています。でも、わたしにとっては、とても魅力的なことでした。
普通の子ども時代を過ごしてこなかったのは自分だけだと思ったものです。この思いをわかってくれるのは、実際ほんの一握りの人だけだと信じていました。
最近、シャーリー・テンプル・ブラックにお会いしました。
1930、40年代に活躍した子役スターです。
最初はお互い言葉を交わしませんでした。ただいっしょに涙を流しました。シャーリーはごく親しい友人、エリザベス・テイラーやマコーレ・カルキンにしかわからないような心の痛みをわかってくれたのです。
みなさんの同情を買うために、この話をしたのではありません。
わたしが言いたいのは、子どもらしくない幼児期を過ごしているのは、ハリウッドの子役たちだけではないということです。
今日、それは世界共通の不幸であり、世界的規模の悲劇です。
現代では、子ども時代が悲惨な状況になってきているのです。喜びを感じたことのない、権利を与えられない、自由を許されない、子どもらしさを知らないたくさんの子どもたちが生み出されているのです。
今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。
子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、できるだけ速やかに通過することを求められます。
この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。わたしたちは、親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。
心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本を出しています
。無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはならないのです。
かつて世代間を結びつけた強力なのりがはがれるように、愛を与えられない子どもたちは、両親、祖父母、ほかの家族たちから距離を取りつつ成長しています。
こうして、新しい世代――O世代と呼びましょうか――が生み出されました。
O世代はX世代から、バトンを受け取りました。
O世代は富も成功も、きれいな服も、かっこいい車もすべて手に入りますが、心はやるせなさで満ちた世代です。
彼らの胸の空洞、心の底に広がる荒野、中心にぽっかりあいた空間も、かつては鼓動や愛で満たされていたはずです。
そして、苦しんでいるのは子どもだけではありません。大人も同じです。子どもの体をした小さな大人を育てようと努力すればするほど、大人の中の子どもらしさも失われていきます。
大人の生活にも、子ども的な部分を必要とする場合がたくさんあるのです。
みなさん、愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。
世代から世代へと受け継がれていく宝です。
昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。
家には電気も通らず、セントラルヒーティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。
しかし、家は暗くも寒くもありませんでした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。
富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子どもたちのことを最優先に考えたのです。
みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの起草した独立宣言の「譲渡され得ない権利」――生命・自由・幸福の追求――をめぐり争っていました。
2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちにも「譲渡され得ない権利」があるということは論議されなかったのです。
これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子どもたちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。
そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。条項を挙げると、
•愛される権利。自ら求めずとも。
•守られる権利。どんなことがあっても。
•かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。
•話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。
•寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。
•教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
•かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。
どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。
髪の色が赤か茶色かを知る以前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならないのです。
12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきました。
その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。
少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。
「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。
少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。
わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。
「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たいんだ」。そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。
少年は今天国にいます。
おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。
わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなっていました。
あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。
少年はちょうど10歳でした。
少年が持ちこたえようとベストを尽くしたことは間違いありません。
彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実感していたことだけは確かです。
わたしは彼のことが大好きでした。
愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。
愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。
たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。
上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。
会社の同僚に打ち負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。
愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。
自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからです。
それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。
しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。
どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。
本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。生まれた時に、享受できなかったものなのです。
想像してみてください。
ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。
399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。
これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。
実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為が多発しています。
アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。
しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみがないわけではありません。
調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをしたり、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。
こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているのです。
イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!
寝る前の本の読み聞かせという貴重な時間を大切にしていますか。
1980年以降の調査によると、読み聞かせをしてもらっている子どもたちは優れた教養を身につけ、学校でもいい成績を修めています。
しかし、イギリスの2歳から8歳の子どものうち、毎晩本を読み聞かせてもらっているのは33%にも満たないそうです。
今の親たちが子どものころには、75%が本を読み聞かせてもらっていたことを考えると、もっと深刻にとらえなくてはならないでしょう。
この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。
子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。
アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。
放っておかれるという形の虐待。
あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。
両親が帰宅する。でも、本当にうちに帰ってきたのではない。
頭の中はまだ仕事場にある。
じゃあ、子どもたちは?与えられた感情のかけらで間に合わせているだけ。
そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。
なぜわたしが自分の時間や財産の多くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。
わたしは統計の示す悲しい数字に、魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。
私たちの活動の目標は単純です。――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。
わたしは、今日初めて公に講演をしています。
みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。
人にはそれぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。
子育てはダンスのようだと言われます。親が足を一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。
子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。
小さいころ、ブラックガールという名の犬を飼っていました。
オオカミとレトリーバーの混血です。
ブラックガールは番犬としての役目を果たさないばかりか、とても臆病で神経質で、大きな音を立てるトラックや、インディアナ州を通過する雷にもおびえていました。
妹のジャネットとわたしは、ブラックガールをとてもかわいがりましたが、前の飼い主によって奪われた信頼感を取り戻すことはついにできませんでした。
前の飼い主がブラックガールを虐待していたことを知っていましたが何をしたかはよくわかりません。
でも何をしていようと、それが原因でブラックガールが健やかな心を失ったのは確かです。
今日、多くの子どもたちは愛に飢えた子犬のようです。そのような子どもたちは親のことを考えようとしません。
そのままにしておくと、独立心おう盛な子どもに育ちます。
親元から離れ、去っていきます。
ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で、自らの首を絞めることになるでしょう。
このような過ちは今日ここにいるだれにもおかして欲しくありません。
ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世界中の子どもたちに呼びかけているのです。
今日ここにいる人からはじめましょう。
許してあげてください。
もう一度愛する方法を親たちに教えてあげてください。
わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。
父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強要しました。
父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。
ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。
そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。
父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように思われました。その点における父の力はずば抜けたものでした。
父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできませんでした。
でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。
自分を愛してくれる父親がほしかったんです。
父は愛情を示してくれたことがありませんでした。
目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。
肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。
でも、4歳のころ、小さなカーニバルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。
それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、父は忘れてしまったことでしょう。
しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。
子どもとはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。
わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。たった一回の経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。
自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問しました。
もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わかってほしいと思います。
しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。
パパラッチに追いかけられるので、公園や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。
あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?わたしの選んだ道があの子たちにどんな影響を与えるのでしょう?
どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。
その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと思います。
「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、ぼくたちを愛する努力をしてくれた」とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。
あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでなく、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。
わたしたちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。
このことを考える時、つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを思わずにいられません。
子どものころ、愛されたという実感はないけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。
父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。
子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。
―兄弟みんなそうでした。
シロップに覆われたドーナツが大好物で、父はそのことを知っていました。
数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。
まるでサンタクロースみたいでした。
夜中まで起きていて、ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。
でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなることを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。
父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。
父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。
しかし、ドーナツの件ではわかっていたようです。
心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。
ちょっとしたことで完全ではありませんが、その記憶は ゛父ができることをしてくれた゛ ということです。
そこで今日これからは、父がしてくれなかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。
そして、父を非難するのをやめようと思います。
わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。
父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。
わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子どもたちを厳しく育てました。
アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつかないでしょう。
人間としての尊厳を奪われ、望みを失い、身分の低い者として見られる世の中で、一人前になるようもがくことなのです。
わたしはMTVで最初に歌った黒人アーティストです。
当時でさえ、大きな出来事だったと記憶しています。それが80年代のことです。
父はインディアナ州に引っ越し、所帯をもち、たくさんの子どもたちに恵まれました。
家族を養うため、製鋼所で長時間働きました。
それは、肺を痛めつけ、屈辱的な気持ちにさせるような仕事でした。
父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。
心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子どもたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。
父の厳しさはひとつの愛情の表れだった。完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。
父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。
自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。
時とともに、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。
怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。
復しゅうしたいと思っていたところも、折り合いをつけられるようになりました。
はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。
10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。
わたしは心で感じたことを、その名に託しました。
よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤となっていることを聞きました。
みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?
わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?
コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
―わたしはもちろん、そう思っています。
そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。
すべては許すことからはじまるのです。
世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。
子どもたちをいやすためには、まず子どもたちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。
わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉めました。
みなさんにも、そうしてほしいのです。
モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。
親を非難するのではなく、尊敬しましょう。
物事をいい方向に考えましょう。
だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思うのです。
父を許したい。「お父さん」をほしいから。
結局わたしには彼しかいないのです。
わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父との新しい関係を踏み出したいのです。
過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。
憎しみに満ちた世界でも、望みをもたなければなりません。
怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。
絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。
不信感に満ちた世界でも、信じなくてはなりません。
親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。
親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。
親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。
ご両親に無償の愛を与えてください。
これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。
そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。
そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。
シュムリーが「子どもたちの心を通じて両親の心が取り戻される時、新しい世界、新しい時代が来るだろう」という旧約聖書の預言を話してくれたことがありました。
みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。
わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。
インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。 「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」
さあ、強くなりましょう。
そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。
子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。
ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。
許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。
結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。
みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。
今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。
子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。
世界をいやし、痛みを取り去ろう。そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。
神の恵みがありますように。“I love you”。
**********
原文と音声もあります(^-^)♡
http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html
テレビでは特集番組もあっているようですが、
マイケルファンの私も、特別な日記を。(^-^)
2001年、3月6日。オックスフォード大学で、マイケルが行ったスピーチの和訳を紹介させてください。
ご存じの方も多いかもしれませんが、私はこれを読んだ時、とても感動しました。
かなり長いのですが、
よかったら、ぜひ読んでみてください。 (^-^)
**********
みなさんの熱烈な歓迎に心から感謝します。
オックスフォード大学の学長殿、本日はお招きいただき光栄に思います。そして、ここオックスフォード大学で11年間ラビとして従事しているシュムリー師に特別に感謝の意を表します。「ヒール・ザ・キッズ」をともに苦労して設立した彼とは、子どもらしさとは何か、という内容の本の共同執筆もしました。すべての活動を通じ、わたしを支えてくれているかけがえのない友人です。
そして、「ヒール・ザ・キッズ」のディレクター、トバ・フリードマンにも感謝の意を表します。彼女はここオックスフォードの卒業生で、マーシャルの研究をしていたそうです。そして、もう一人の中心のメンバー、マリリン・ピールスにも感謝を表します。
以前、マザー・テレサ、アルバート・アインシュタイン、ロナルド・レーガン、ロバート・ケネディー、マルコムXといった著名な方々が講義されたこの会場で、これからお話できることを喜ばしく思います。
セサミストリートのマペット、カエルのカーミットもこの場に立ったと聞いています。「ここに立つのに青いっていうのは大変なことさ(まだ青二才、未熟者なので)」というカーミットの気持ちがよくわかります。カーミットもわたしと同様、この場に上がるのに緊張したことでしょう。
オックスフォード大学は偉大な哲学者や科学者だけでなく、JRR トールキン (「指輪物語」の作者)からCS ルイス (「ナルニア物語」の作者)に至る、才能に満ちあふれた著名な児童文学作家たちも送り出してきました。
今日、わたしはクライスト・チャーチ (Christ Church) のダイニングホールの中を歩き、ステンドグラスの窓に描かれたルイス・キャロルの不朽の名作「不思議の国のアリス」を鑑賞しました。
子どもたちの大好きなアメリカの児童文学者ドクター・スースの絵もありました。彼は世界中の多くの子どもたちの想像力を養うすばらしい作品を生み続けています。
まずわたしが、今夜みなさんの前でお話させていただけるようになったわけからはじめましょう。
わたしにはこのホールで講演してきた有名な方々のように、専門知識があるとは言えません。彼が、ムーンウォークの名手とは呼べないのと同じです。――中でもアインシュタインはとても下手だったと聞いています。
しかし、わたしは人よりも、多くの場所へ赴き、いろいろな文化に触れてきました。
人の知識は書物から得られたものだけでなく、心に描かれ、魂に彫り込まれ、精神に刻み込まれたものからつくられます。
わたしは比較的短い間に、多くの体験をしてきたため自分がまだ42歳であるのが信じられません。
時々シュムリーにも言うのですが、精神年齢は80歳には達していると思います――。
今夜は80歳のように歩くことさえできます。
ですから、今晩はわたしの話におつきあいください。
今日ここでお話することが、人々の心、そして地球をもいやせるかもしれません。
神の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、プロとしてのたくさんの夢をかなえることができました、しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。
5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。
今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。
私たちはみな、幼児期の産物です。
子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。
ジャクソン・ファイブをご存じの方は、わたしが若干5歳という年齢でデビューしたことをご存じでしょう。
それ以来、歌い、踊り続けています。ステージに立っている時や音楽を作り出している時は確かに大きな喜びで満たされていましたが、小さいころのわたしはそれよりも何よりも普通の少年でいたかったのです。
木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、友だちとかくれんぼしたりしたかったのです。
でも、これはわたしの運命で、周りで遊んでいる子どもたちの笑い声をうらやむことしかできませんでした。
わたしのプロとしての人生に、息抜きなどありませんでした。
でも、毎週日曜日、「エホバの証人」の行うパイオニアリングと呼ばれる布教活動に通ったものです。
ほかの子どもたちがどう過ごしているのかを間近に見て、子ども時代の魅力を知ったのはその時でした。
わたしはすでに顔が知れわたっていましたから、大きめの服、かつら、あごひげ、眼鏡で変装し、南カリフォルニアの郊外で家を一軒一軒訪ねたり、ショッピングモールを歩き回ったりして、『ものみの塔』という機関誌を配布しました。
わたしは普通の家を訪ね、ふかふかのラグやアームチェアの上で、子どもたちがモノポリーゲームをして遊んだり、おばあちゃんが孫を面倒を見たりするような日常生活のすばらしく平凡な、輝く光景を見るのが大好きでした。
そんなたいしたことじゃないじゃないか、と思われるのは知っています。でも、わたしにとっては、とても魅力的なことでした。
普通の子ども時代を過ごしてこなかったのは自分だけだと思ったものです。この思いをわかってくれるのは、実際ほんの一握りの人だけだと信じていました。
最近、シャーリー・テンプル・ブラックにお会いしました。
1930、40年代に活躍した子役スターです。
最初はお互い言葉を交わしませんでした。ただいっしょに涙を流しました。シャーリーはごく親しい友人、エリザベス・テイラーやマコーレ・カルキンにしかわからないような心の痛みをわかってくれたのです。
みなさんの同情を買うために、この話をしたのではありません。
わたしが言いたいのは、子どもらしくない幼児期を過ごしているのは、ハリウッドの子役たちだけではないということです。
今日、それは世界共通の不幸であり、世界的規模の悲劇です。
現代では、子ども時代が悲惨な状況になってきているのです。喜びを感じたことのない、権利を与えられない、自由を許されない、子どもらしさを知らないたくさんの子どもたちが生み出されているのです。
今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。
子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、できるだけ速やかに通過することを求められます。
この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。わたしたちは、親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。
心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本を出しています
。無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはならないのです。
かつて世代間を結びつけた強力なのりがはがれるように、愛を与えられない子どもたちは、両親、祖父母、ほかの家族たちから距離を取りつつ成長しています。
こうして、新しい世代――O世代と呼びましょうか――が生み出されました。
O世代はX世代から、バトンを受け取りました。
O世代は富も成功も、きれいな服も、かっこいい車もすべて手に入りますが、心はやるせなさで満ちた世代です。
彼らの胸の空洞、心の底に広がる荒野、中心にぽっかりあいた空間も、かつては鼓動や愛で満たされていたはずです。
そして、苦しんでいるのは子どもだけではありません。大人も同じです。子どもの体をした小さな大人を育てようと努力すればするほど、大人の中の子どもらしさも失われていきます。
大人の生活にも、子ども的な部分を必要とする場合がたくさんあるのです。
みなさん、愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。
世代から世代へと受け継がれていく宝です。
昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。
家には電気も通らず、セントラルヒーティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。
しかし、家は暗くも寒くもありませんでした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。
富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子どもたちのことを最優先に考えたのです。
みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの起草した独立宣言の「譲渡され得ない権利」――生命・自由・幸福の追求――をめぐり争っていました。
2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちにも「譲渡され得ない権利」があるということは論議されなかったのです。
これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子どもたちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。
そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。条項を挙げると、
•愛される権利。自ら求めずとも。
•守られる権利。どんなことがあっても。
•かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。
•話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。
•寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。
•教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
•かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。
どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。
髪の色が赤か茶色かを知る以前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならないのです。
12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきました。
その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。
少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。
「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。
少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。
わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。
「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たいんだ」。そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。
少年は今天国にいます。
おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。
わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなっていました。
あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。
少年はちょうど10歳でした。
少年が持ちこたえようとベストを尽くしたことは間違いありません。
彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実感していたことだけは確かです。
わたしは彼のことが大好きでした。
愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。
愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。
たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。
上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。
会社の同僚に打ち負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。
愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。
自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからです。
それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。
しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。
どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。
本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。生まれた時に、享受できなかったものなのです。
想像してみてください。
ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。
399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。
これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。
実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為が多発しています。
アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。
しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみがないわけではありません。
調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをしたり、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。
こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているのです。
イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!
寝る前の本の読み聞かせという貴重な時間を大切にしていますか。
1980年以降の調査によると、読み聞かせをしてもらっている子どもたちは優れた教養を身につけ、学校でもいい成績を修めています。
しかし、イギリスの2歳から8歳の子どものうち、毎晩本を読み聞かせてもらっているのは33%にも満たないそうです。
今の親たちが子どものころには、75%が本を読み聞かせてもらっていたことを考えると、もっと深刻にとらえなくてはならないでしょう。
この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。
子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。
アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。
放っておかれるという形の虐待。
あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。
両親が帰宅する。でも、本当にうちに帰ってきたのではない。
頭の中はまだ仕事場にある。
じゃあ、子どもたちは?与えられた感情のかけらで間に合わせているだけ。
そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。
なぜわたしが自分の時間や財産の多くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。
わたしは統計の示す悲しい数字に、魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。
私たちの活動の目標は単純です。――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。
わたしは、今日初めて公に講演をしています。
みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。
人にはそれぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。
子育てはダンスのようだと言われます。親が足を一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。
子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。
小さいころ、ブラックガールという名の犬を飼っていました。
オオカミとレトリーバーの混血です。
ブラックガールは番犬としての役目を果たさないばかりか、とても臆病で神経質で、大きな音を立てるトラックや、インディアナ州を通過する雷にもおびえていました。
妹のジャネットとわたしは、ブラックガールをとてもかわいがりましたが、前の飼い主によって奪われた信頼感を取り戻すことはついにできませんでした。
前の飼い主がブラックガールを虐待していたことを知っていましたが何をしたかはよくわかりません。
でも何をしていようと、それが原因でブラックガールが健やかな心を失ったのは確かです。
今日、多くの子どもたちは愛に飢えた子犬のようです。そのような子どもたちは親のことを考えようとしません。
そのままにしておくと、独立心おう盛な子どもに育ちます。
親元から離れ、去っていきます。
ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で、自らの首を絞めることになるでしょう。
このような過ちは今日ここにいるだれにもおかして欲しくありません。
ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世界中の子どもたちに呼びかけているのです。
今日ここにいる人からはじめましょう。
許してあげてください。
もう一度愛する方法を親たちに教えてあげてください。
わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。
父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強要しました。
父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。
ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。
そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。
父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように思われました。その点における父の力はずば抜けたものでした。
父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできませんでした。
でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。
自分を愛してくれる父親がほしかったんです。
父は愛情を示してくれたことがありませんでした。
目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。
肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。
でも、4歳のころ、小さなカーニバルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。
それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、父は忘れてしまったことでしょう。
しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。
子どもとはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。
わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。たった一回の経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。
自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問しました。
もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わかってほしいと思います。
しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。
パパラッチに追いかけられるので、公園や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。
あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?わたしの選んだ道があの子たちにどんな影響を与えるのでしょう?
どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。
その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと思います。
「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、ぼくたちを愛する努力をしてくれた」とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。
あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでなく、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。
わたしたちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。
このことを考える時、つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを思わずにいられません。
子どものころ、愛されたという実感はないけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。
父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。
子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。
―兄弟みんなそうでした。
シロップに覆われたドーナツが大好物で、父はそのことを知っていました。
数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。
まるでサンタクロースみたいでした。
夜中まで起きていて、ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。
でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなることを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。
父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。
父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。
しかし、ドーナツの件ではわかっていたようです。
心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。
ちょっとしたことで完全ではありませんが、その記憶は ゛父ができることをしてくれた゛ ということです。
そこで今日これからは、父がしてくれなかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。
そして、父を非難するのをやめようと思います。
わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。
父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。
わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子どもたちを厳しく育てました。
アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつかないでしょう。
人間としての尊厳を奪われ、望みを失い、身分の低い者として見られる世の中で、一人前になるようもがくことなのです。
わたしはMTVで最初に歌った黒人アーティストです。
当時でさえ、大きな出来事だったと記憶しています。それが80年代のことです。
父はインディアナ州に引っ越し、所帯をもち、たくさんの子どもたちに恵まれました。
家族を養うため、製鋼所で長時間働きました。
それは、肺を痛めつけ、屈辱的な気持ちにさせるような仕事でした。
父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。
心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子どもたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。
父の厳しさはひとつの愛情の表れだった。完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。
父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。
自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。
時とともに、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。
怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。
復しゅうしたいと思っていたところも、折り合いをつけられるようになりました。
はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。
10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。
わたしは心で感じたことを、その名に託しました。
よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤となっていることを聞きました。
みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?
わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?
コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
―わたしはもちろん、そう思っています。
そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。
すべては許すことからはじまるのです。
世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。
子どもたちをいやすためには、まず子どもたちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。
わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉めました。
みなさんにも、そうしてほしいのです。
モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。
親を非難するのではなく、尊敬しましょう。
物事をいい方向に考えましょう。
だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思うのです。
父を許したい。「お父さん」をほしいから。
結局わたしには彼しかいないのです。
わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父との新しい関係を踏み出したいのです。
過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。
憎しみに満ちた世界でも、望みをもたなければなりません。
怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。
絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。
不信感に満ちた世界でも、信じなくてはなりません。
親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。
親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。
親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。
ご両親に無償の愛を与えてください。
これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。
そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。
そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。
シュムリーが「子どもたちの心を通じて両親の心が取り戻される時、新しい世界、新しい時代が来るだろう」という旧約聖書の預言を話してくれたことがありました。
みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。
わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。
インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。 「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」
さあ、強くなりましょう。
そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。
子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。
ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。
許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。
結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。
みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。
今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。
子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。
世界をいやし、痛みを取り去ろう。そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。
神の恵みがありますように。“I love you”。
**********
原文と音声もあります(^-^)♡
http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html
6月18日金曜日: 言い換えてみる
昨日、
鹿児島からの帰り道、
好きな音楽を聴きながら、
素敵な景色をながめながら、
いろんなことを考えているうちに、…ふと、面白いゲームを思いつきました。
言葉遊びっていうか、
言葉の言い換えっていうか、
“すぐに忘れてしまう”ことを、“何度でも新鮮”、と、とらえる要領で、
ひとつのことを、違う見方で見てみよう、というゲームです。(^-^)
たとえばね、
夫が家のことにあまりかかわってくれない、という不満。(笑)
ちょっと見方を変えれば、“私の自由にさせてくれてる”、ということができます。
たとえば、夫の優柔不断さ!
違う言い方にすれば、自分の意見を押し通さないで人の意見を良く聞く、とか、物事に柔軟に対応できる、とか、臨機応変、とかいう表現にすることもできるでしょ(^-^)
頑固は、一途、とか、筋を通してる♪
大人げない、は、少年の心を持っている♡
そうやって、
夫や子どもたちの、ちょっと不満に感じてしまう部分、や、
母に対して、ちょっといやな気持になってしまう部分や、
一般的にマイナスになるようなことを、全部プラスに言い換えてみる、というゲームを、一人でやってみたんです。
難しいのもあったけれど、
こじつけだろうが、無理やりだろうが、なんだろうが、とにかく
思いついたマイナス言葉を、ひとつひとつプラス言葉に言い換えてみました。
運転しながら、だったので、メモにとることができなくて、
全部は覚えていないのですが、
今、覚えているのだけ少し書きだしてみますね… たとえば、
心配性、は、思いやりがある。愛情深い。慎重。
しつこい、は、熱心。あきらめない。
せっかち、は、時間に厳しい。責任感がある。
頼りない、は、争いを避ける。穏やか。
独断的、は、自分に自信をもっている。
要領がいい、は、優れた状況判断ができる。
人の話を聴かない、は、信念がある。
すぐ落ち込む、は、反省心が強い。とか、理想が高い。
懲りない、は、切り替えが早い。
あきらめが悪い、は、くじけない。
人に左右される、は、人の意見を尊重している。
落ち着きがない、は、落ち着いてなんかいられないくらい楽しいことがある。
上手い話に(笑)すぐに飛びつく、は、好奇心やチャレンジ精神がある。
細かい、は、几帳面。
…って感じ♪ (^_-)
いろんな見方、とらえ方で、
いろんな角度から見てみれば、
案外違った一面が見えてきたりもするようです。
お試しあれ(^_-)♡
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鹿児島からの帰り道、
好きな音楽を聴きながら、
素敵な景色をながめながら、
いろんなことを考えているうちに、…ふと、面白いゲームを思いつきました。
言葉遊びっていうか、
言葉の言い換えっていうか、
“すぐに忘れてしまう”ことを、“何度でも新鮮”、と、とらえる要領で、
ひとつのことを、違う見方で見てみよう、というゲームです。(^-^)
たとえばね、
夫が家のことにあまりかかわってくれない、という不満。(笑)
ちょっと見方を変えれば、“私の自由にさせてくれてる”、ということができます。
たとえば、夫の優柔不断さ!
違う言い方にすれば、自分の意見を押し通さないで人の意見を良く聞く、とか、物事に柔軟に対応できる、とか、臨機応変、とかいう表現にすることもできるでしょ(^-^)
頑固は、一途、とか、筋を通してる♪
大人げない、は、少年の心を持っている♡
そうやって、
夫や子どもたちの、ちょっと不満に感じてしまう部分、や、
母に対して、ちょっといやな気持になってしまう部分や、
一般的にマイナスになるようなことを、全部プラスに言い換えてみる、というゲームを、一人でやってみたんです。
難しいのもあったけれど、
こじつけだろうが、無理やりだろうが、なんだろうが、とにかく
思いついたマイナス言葉を、ひとつひとつプラス言葉に言い換えてみました。
運転しながら、だったので、メモにとることができなくて、
全部は覚えていないのですが、
今、覚えているのだけ少し書きだしてみますね… たとえば、
心配性、は、思いやりがある。愛情深い。慎重。
しつこい、は、熱心。あきらめない。
せっかち、は、時間に厳しい。責任感がある。
頼りない、は、争いを避ける。穏やか。
独断的、は、自分に自信をもっている。
要領がいい、は、優れた状況判断ができる。
人の話を聴かない、は、信念がある。
すぐ落ち込む、は、反省心が強い。とか、理想が高い。
懲りない、は、切り替えが早い。
あきらめが悪い、は、くじけない。
人に左右される、は、人の意見を尊重している。
落ち着きがない、は、落ち着いてなんかいられないくらい楽しいことがある。
上手い話に(笑)すぐに飛びつく、は、好奇心やチャレンジ精神がある。
細かい、は、几帳面。
…って感じ♪ (^_-)
いろんな見方、とらえ方で、
いろんな角度から見てみれば、
案外違った一面が見えてきたりもするようです。
お試しあれ(^_-)♡
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6月16日水曜日: 外でお金を拾ったら、
お金を拾ったら交番に届ける!
のが原則ですが、
10円とか50円とかの小銭の場合は、バッグの中へ。
私がいただいちゃいます(笑)
そして、
コンビニに寄って、
レジ横にある募金箱に入れてから帰ります。(^-^)
昨日、すごいことがありました。
自販機で、ジュースを買ったんです。150円のジュースを。
200円入れて、ボタンを押して、ガチャガチャとジュースが出てきて、
お釣りが50円戻ってきた、
と思ったら、
お釣りの場所に、900円!!
えぇぇぇぇぇっ、と驚きました!
買った時より増えてるなんて、まるで魔法みたい♪
誰かが、1000円札でジュースを買って、お釣りを取り忘れたのでしょう。
うっひゃぁぁ!と、言いながら、全部財布に入れました。
そして、帰り道、
いつものようにコンビニに寄って、
レジの横にある募金箱に、850円入れました。(^-^)
さらに!!
そのあとで本屋さんのトイレに行ったら、トイレの中に、なんと500円!!
ひゃぁっ!と思いつつ、拾って、それもまた、募金箱の中へ。
昨日はすごい一日でした!(笑)
…って書くと、
なんか、
信子かあさんって、正直な いい人みたいでしょ♪
ふふ♡
でもね、
それは、外での話。
家でお金を拾ったら、
それは、私のものになります!(^-^)
夫がズボンのポケットに小銭を入れたまま洗濯に出して、
そのお金が洗濯物の中から出てくる、というケースがほとんどなのですが、
いつもはたいてい、5円とか、30円とか、…その程度のものです。
ところが!!
今朝の洗濯で、な、な、なんと、470円ゲットしました!!
すごい大漁です(笑)
さっき、母を送った帰りに、
そのお金でアイスを買っちゃいました(^-^)♪ へへ♪
う~~ん、
今日はよく働いたからご褒美、ご褒美!!…なぁんて、思いつつ、美味しいアイスを独り占めして食べています。
300円のハーゲンダッツです! えへっ♪ (^_-)
残りの時間もいい一日をね(^O^)/
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のが原則ですが、
10円とか50円とかの小銭の場合は、バッグの中へ。
私がいただいちゃいます(笑)
そして、
コンビニに寄って、
レジ横にある募金箱に入れてから帰ります。(^-^)
昨日、すごいことがありました。
自販機で、ジュースを買ったんです。150円のジュースを。
200円入れて、ボタンを押して、ガチャガチャとジュースが出てきて、
お釣りが50円戻ってきた、
と思ったら、
お釣りの場所に、900円!!
えぇぇぇぇぇっ、と驚きました!
買った時より増えてるなんて、まるで魔法みたい♪
誰かが、1000円札でジュースを買って、お釣りを取り忘れたのでしょう。
うっひゃぁぁ!と、言いながら、全部財布に入れました。
そして、帰り道、
いつものようにコンビニに寄って、
レジの横にある募金箱に、850円入れました。(^-^)
さらに!!
そのあとで本屋さんのトイレに行ったら、トイレの中に、なんと500円!!
ひゃぁっ!と思いつつ、拾って、それもまた、募金箱の中へ。
昨日はすごい一日でした!(笑)
…って書くと、
なんか、
信子かあさんって、正直な いい人みたいでしょ♪
ふふ♡
でもね、
それは、外での話。
家でお金を拾ったら、
それは、私のものになります!(^-^)
夫がズボンのポケットに小銭を入れたまま洗濯に出して、
そのお金が洗濯物の中から出てくる、というケースがほとんどなのですが、
いつもはたいてい、5円とか、30円とか、…その程度のものです。
ところが!!
今朝の洗濯で、な、な、なんと、470円ゲットしました!!
すごい大漁です(笑)
さっき、母を送った帰りに、
そのお金でアイスを買っちゃいました(^-^)♪ へへ♪
う~~ん、
今日はよく働いたからご褒美、ご褒美!!…なぁんて、思いつつ、美味しいアイスを独り占めして食べています。
300円のハーゲンダッツです! えへっ♪ (^_-)
残りの時間もいい一日をね(^O^)/
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6月 5日土曜日: 遊ぼ!
「遊ぼ!」
と、声をかけます。
ふっと心に浮かんだ人たちに。(^-^)
たとえば洗濯をしていて、ふっと、誰かのことが気になったら、
とりあえず、電話♪
そして、「ね、遊ぼ!」と、ドライブに誘ってみます。
その日に行けたら、その日のうちに。
出来ないときは約束をつくって。
コースはほとんど阿蘇!
BGMはマイケル?
いえ、いえ、
マイケルは、私一人の時♪
誰かが一緒の時は、その人に合ったBGMを考えてみます。
だから、一緒に行く相手によっては、
歌謡曲だったり、映画音楽だったり、ロックだったり、クラシックだったり、演歌だったり、綾小路きみまろだったりね!(笑)
自分にできること、をよく考えます。
私にできること、って、なんだろう? …って。
そして、
ふっと浮かんだ思いに従う時、
いい結果になることが、よくあります。
大好きな言葉があるんです。
「愛を示す一番良いときは、心に感じたその時です」
友達に対しても、
家族に対しても、
心のアンテナを張っておけたらいいなぁ、といつも思います。
そして、
その人の必用を感じたら、すぐに行動に移せる。
そうなれたらいいなぁ。
こちらから誘うだけでなく、
向こうから誘われることもあります。 「遊ぼ!」って。
その時には、
喜んで遊ぶ♪
先週、
「おかあさん、ドライブに行きたい」と、三女から誘われました。
「どこに行きたいの?」
「遠いとこ。阿蘇」
「いいよ」
「ほんと?」
「もちろんよ!いつにする?」
「土曜日は?今度の土曜日は部活が休みなの!」
「OK!」
「やった!!!!!」
試験や部活で、疲れているようだったので、
彼女のために、いいコースを考えてみました。
阿蘇の西登山口から上って、
途中で、絵本美術館に寄って、
草千里をまわって、
「オルゴール響和国」というオルゴールの店に行って、
帰りに、阿蘇のうどんを食べる! というコース♪
BGMは、種恵の大好きな「嵐」です♪
よさそうでしょ?(^-^)
昨日の夜のこと、
「おかあさん、明日、大丈夫?」と三女。
「もちろんよ!種恵ちゃんのために、空けてあるよ♪」
「やった!私、ず~っと楽しみにしてたんだぁ!」
「じゃ、明日に備えて早く寝なさい。朝早くでかけるよ!」
「うんっ!!」
自分の時間をだれかにあげる、って、素敵なプレゼントだと思います。
私がそうしてもらった時、とっても嬉しかったから(*^_^*)♡♡
天気は良さそうです!
これからシャワーをして、朝ごはんを食べて、出発です。
みなさんも良い一日をね!(^_-)♪
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と、声をかけます。
ふっと心に浮かんだ人たちに。(^-^)
たとえば洗濯をしていて、ふっと、誰かのことが気になったら、
とりあえず、電話♪
そして、「ね、遊ぼ!」と、ドライブに誘ってみます。
その日に行けたら、その日のうちに。
出来ないときは約束をつくって。
コースはほとんど阿蘇!
BGMはマイケル?
いえ、いえ、
マイケルは、私一人の時♪
誰かが一緒の時は、その人に合ったBGMを考えてみます。
だから、一緒に行く相手によっては、
歌謡曲だったり、映画音楽だったり、ロックだったり、クラシックだったり、演歌だったり、綾小路きみまろだったりね!(笑)
自分にできること、をよく考えます。
私にできること、って、なんだろう? …って。
そして、
ふっと浮かんだ思いに従う時、
いい結果になることが、よくあります。
大好きな言葉があるんです。
「愛を示す一番良いときは、心に感じたその時です」
友達に対しても、
家族に対しても、
心のアンテナを張っておけたらいいなぁ、といつも思います。
そして、
その人の必用を感じたら、すぐに行動に移せる。
そうなれたらいいなぁ。
こちらから誘うだけでなく、
向こうから誘われることもあります。 「遊ぼ!」って。
その時には、
喜んで遊ぶ♪
先週、
「おかあさん、ドライブに行きたい」と、三女から誘われました。
「どこに行きたいの?」
「遠いとこ。阿蘇」
「いいよ」
「ほんと?」
「もちろんよ!いつにする?」
「土曜日は?今度の土曜日は部活が休みなの!」
「OK!」
「やった!!!!!」
試験や部活で、疲れているようだったので、
彼女のために、いいコースを考えてみました。
阿蘇の西登山口から上って、
途中で、絵本美術館に寄って、
草千里をまわって、
「オルゴール響和国」というオルゴールの店に行って、
帰りに、阿蘇のうどんを食べる! というコース♪
BGMは、種恵の大好きな「嵐」です♪
よさそうでしょ?(^-^)
昨日の夜のこと、
「おかあさん、明日、大丈夫?」と三女。
「もちろんよ!種恵ちゃんのために、空けてあるよ♪」
「やった!私、ず~っと楽しみにしてたんだぁ!」
「じゃ、明日に備えて早く寝なさい。朝早くでかけるよ!」
「うんっ!!」
自分の時間をだれかにあげる、って、素敵なプレゼントだと思います。
私がそうしてもらった時、とっても嬉しかったから(*^_^*)♡♡
天気は良さそうです!
これからシャワーをして、朝ごはんを食べて、出発です。
みなさんも良い一日をね!(^_-)♪
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5月26日水曜日: 雑草のうた
洗濯ものを干そうと庭に出たら、
庭先の、フェンスの前。… あらあら、雑草だらけです。
でも、雑草を見ると、いつも思い出します。
鶴岡 千代子 さんの、「雑草のうた」 という詩。
上の子が小学生の頃、国語の時間に習って、
家でよく暗唱してくれていたものです。
子どもたちが、リズムよく元気いっぱいに暗唱するのを聞くたびに、
とっても元気が出ました。(^-^)
大好きな詩のひとつです。
せっかく 花を さかせても
せっかく 葉っぱを ひろげても
ふりむいていく 人はない
それでも 平気さ みんなして
むんむん草むら つくってく
どんなに のどが かわいても
どんなに ほこりを かぶっても
水など くれる 人はない
それでも 平気さ 上むいて
のびたいほうだい のびていく
オオバコ ハコベ ヒメジョオン
ちゃんと 名前が ついてても
よびかけてくる 人はない
それでも平気さ いつだって
きらきらしながら 生きていく
鶴岡 千代子

写真は我が家の雑草たち。
週末にはみんなで草取りして、なくなる予定なんですけど。
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庭先の、フェンスの前。… あらあら、雑草だらけです。
でも、雑草を見ると、いつも思い出します。
鶴岡 千代子 さんの、「雑草のうた」 という詩。
上の子が小学生の頃、国語の時間に習って、
家でよく暗唱してくれていたものです。
子どもたちが、リズムよく元気いっぱいに暗唱するのを聞くたびに、
とっても元気が出ました。(^-^)
大好きな詩のひとつです。
せっかく 花を さかせても
せっかく 葉っぱを ひろげても
ふりむいていく 人はない
それでも 平気さ みんなして
むんむん草むら つくってく
どんなに のどが かわいても
どんなに ほこりを かぶっても
水など くれる 人はない
それでも 平気さ 上むいて
のびたいほうだい のびていく
オオバコ ハコベ ヒメジョオン
ちゃんと 名前が ついてても
よびかけてくる 人はない
それでも平気さ いつだって
きらきらしながら 生きていく
鶴岡 千代子

写真は我が家の雑草たち。
週末にはみんなで草取りして、なくなる予定なんですけど。
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