宿題MJ30◆あなたのお父さんってどんな人?

昨日の母の日でしたね。
どんな一日だったでしょうか。

ということで、
来月6月は父の日ですね。

そこで
お母さん業界新聞6月号MJ30の宿題です。
テーマは、「私のお父さん」。

今も身近にいる人、いない人、いろいろだと思いますが、
あなた自身のお父さんについて、おしえてください。

こんな父だった、
こんなことがあった、
昔はこうだったけど今はこんな人、、、など、
よりイメージできる具体的な内容がうれしいです。
エピソードの場合は、いつ頃の話かわかるように書いてくださいね。

皆さんからの投稿を楽しみにしています。

★MJ30なので、最低文字数60字。
★複数投稿歓迎です。
★本名発信が原則。

★お母さん大学生以外で投稿参加してくれた方へ掲載された新聞を送ります。
希望者は送り先〒住所、氏名、電話番号をお知らせください。

★締切は5月18日(土)必着。なるべく即答してください。

★提出は、いずれかの方法で。
・それぞれが自分の記事として発信する。
・この宿題記事にコメントとして書き込む。
・編集部 info@30ans.com へ直メールする。

メールの場合は
(1)本名/(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
タイトルは「私のお父さん/名前」でお願いします。

では、どうぞよろしくお願いします!

32 件のコメント

  • とても優しい。育児のことやなんでも話を聞いてくれる。
    適度な距離を取りながら、必要なら手助けしてくれる。
    自分が大人になるにつれ、父がどれだけ優しいかわかってきている。
    母もそんな父ととても仲が良いです。

  • 私の父は“子どもと遊ぶのが上手”です。私が子どもの頃祖父母の家に行くと、従姉妹たちが『おじちゃん、遊んでーー』と囲んでいました。背も高く、力も強いのでみんなでぶら下がったり、よじのぼったり…。今は息子と色々遊んでくれています。

  • 私の父はとにかく真面目。
    強烈に覚えているのが父担当の【耳掃除】。
    お風呂からあがったら、すぐさま毛むくじゃらの膝に横たわる。父は毛深いのでむず痒い!そしてピンセットに綿棒のダブル使い。やる気満々だ。痛いときは父をがっかりさせてはいけない気持ちで必死にこらえていた。娘なりの父への感謝。まさか小学生だったあの頃、痛がってたなんて思いもしないだろうな。今年は父の日に聞いてみようか… 覚えてるかな。

  • 埼玉から香川へ遠くに嫁いだ私ですが、なんやかんや、「娘のためなら」と色々してくれる人。動いてくれる人。
    文句を言いたいときもたくさんあるけれど、フッと感じる父のやさしさ。
    釣り道具も自分で作ってしまうほど、魚釣りが大好きな父。
    四国には魚釣りポイントがたくさんあるよー!いつでも遊びに来てほしいです。

  • 母が4歳の時他界してからずっと、男手一つで育ててくれました。
    家事一切出来なかった父ですが、店屋物を食べさせることはしたくないと、一品料理でも必ず手作りのものを出してくれてました。
    不味かった料理も今では失敗なく、安定した父の味で美味しいです。
    子どもと遊ぶのが好きだし得意。
    家事も出来て子煩悩。今の時代だったら最高のイクメンです(笑)
    私の託児所も手伝ってくれていたし、プレーパークも手伝ってくれています。
    子どもたちもみんな父のことが好きなのがわかります。
    長い月日をかけて私を育てながら、こんな父になってくれました。

  • 私の父は何でもやっちゃう人で、色々な物を作ってくれたり、直したりもしてくれました。最近はリフォームまで自分でやっています。そんな父を見て育ったので、選んだ旦那も同じようにあれこれやってくれる人です。

  • うちの父は小さい頃の思い出はとにかく父の友達がだいたい家にいた。学校から帰ってくるとなぜか父の友達がいて皆でご飯を一緒にたべてた。
    あと自分から動かなくて口でビールだのご飯だのいっていた。今はもそれは変わらないけど母に言われてご飯だけは炊けるようになっている。
    怒られたのは小学生の時に一回だけでした。

    ( ̄▽ ̄;)
    今は孫にメロメロの爺ちゃんです

  • 私の父は5年前に他界しました。
    父は料理人でした。
    私が生まれた時にはお寿司屋さんを経営していました。私が起きた時は父はまだ寝ていて、寝ている時に帰宅するという休みの日以外は顔を合わせませんでした。
    いつも、お店で残ったシャリを持って帰ってきていて、ご飯はシャリを食べるというのが普通でした。

    お寿司屋さんだったおかげで、幼少期から新鮮なお刺身や魚料理をよく食べさせてもらっていました。
    今考えるととても贅沢でした。

    おかげで、魚が好きだし焼き魚も骨だけ残して綺麗に食べられるようになりました。

    小学校4年生の時に離婚し、会わなくなりましたが休みの日母に内緒で自転車でお店へ行って、父のご飯を食べたり、近況報告をしていました。

    大学で独り暮らしを始めた時も、料理でわからないことは母に聞く前に父に聞いたり、父得意の「さんま寿司」を送ってもらったりしていました。
    今では食べられないのが残念です。

    男勝りな性格や料理が好きなところは父親譲りなんだなと子育てをしながら気づかされます。

    料理中もどこかで見られているんじゃないかと思うぐらい、アイデアが出てくる時もあります。
    きっと孫にも色んな料理を食べさせてあげたかったんだと思います。
    その想いを私は父にかわって、しっかり料理に込めていきたいです。

  • 私の父は、血がつながっていません。高校卒業するまで会話をしたこともなく、お茶が欲しいときだけ、「おーい!」と呼ぶ。お茶を持っていっても、ありがとうも言わない人だった。けれど、孫ができてから、ありがとう!という言葉を言えるようになりました。孫が先生です。もう、この世にはいないけど、そんな父でも、愛情を感じるから不思議です。

  • 私には、父が2人います。
    血縁のある実父と、母が50歳の時に最婚した、血縁のない義父。
    宿題で書きたいのは、実父。
    MJ30で字数制限があるでしょうから、編集お任せしますので、以下でお願いします。


    全国障害者スポーツ大会の金メダリスト。
    哲学者。俳人。苦労人。職人。恩人。私の尊敬する人であり、誇りです!



    父とは、2度の生き別れを経験しました。
    私が5歳の時に別れ、そして、27年ぶりの再会を経て、私が38歳の時に再び生き別れ、
    もう2度と逢えない環境になり、今に至ります。
    やっと、住んでいる場所も分かったし、生きていることも分かったのに、
    もう会いに行くことはできない。
    これからは、万が一父が亡くなったとしても、そのことを知ることもできません。
    それが、どうにもできない、私たち親子の宿命だと、肚をくくっています。
    だからこそ、来世でまた親子になることを誓った、
    私にとっては、たった一人の大好きな父です。

  • 私の父は、クマみたいな大きい人です。
    愛想がいいわけじゃないけど、優しくて面白くて物知りで 車の運転がうまい!
    私が幼稚園に入園した3歳から大学を卒業する22歳まで毎朝車で園の門や駅まで送ってくれました。
    どんな日でもどんな天気でも。
    思春期には沢山喧嘩もしたけど、いつも私のやりたいことを尊重してくれて認めてくれました。
    私の理想の男性は、お父さんのように車の運転が上手い人!旦那はその条件を見事合格しました(笑)

  • 私のお父さんは、子どもや生き物を大切に可愛がります。鯉や金魚やメダカやインコを尋常じゃない数、飼っていました。そして『緑の手』の持ち主。ミカンの木や、バラを育てていました。今は専ら野菜作り。都会の家庭菜園でてきた、めちゃくちゃ美味しい野菜を田舎に住む私たちに届けてくれます。

  • 私の父 とにかく鳥が好き 野鳥の会でも重鎮 探鳥会を主催したり鳥の写真展を企画したり
        とにかく鳥のことで毎日大忙し。趣味で忙しく孫の行事(運動会や発表会)には出てきたことはないけれど、
        面白くていつも元気なじいちゃんが大好きで、鳥を見るとじいちゃんに言わなきゃと思う孫たち。
        いつまでも好きなことがあるっていいなーって本当にいつも感心してみています。
        

  • 私の父は、かなり豪快な人です。波平さんヘアで見ただけで笑える人です。
    お酒命で、とにかく声が大きいので、うるさく感じますが、いろんな人に親しまれて、孫ともよく遊ぶので、尊敬します。

  • 変な人。農業をやってたんだけど、仕事で日本各地に行っていて、何をしているのか正直よくわからなかった。家事育児はほとんどやらない。でも、いざというときの頼りになる。私は、そんな父が嫌いじゃなかった。

  • 厄介な人 とりあえず固定概念の塊の人でしたが15年前母に捨てられて一人になっていろいろとよく考えたようで変化が著しい
    人は何歳でも学ぶことができ成長し続けるを体現している人。でも厄介な人です。

  • 背中で生き様を見せてくれた「父」は祖父です(これ書くと採用されないと思いますが(笑))。
    父を早く亡くした私にとって祖父は父代わり。
    職人、頑固、祖母が生きてうちは店屋物はダメ。
    でも勉強熱心で毎朝コーヒー片手に約2時間、新聞をじっくり読む。私の受験の時期は全国的な傾向を雑誌で調べる。祖母が亡くなり70代後半からは料理をスタート。毎日料理番組を見ながらコツをメモ。
    私が「〇〇ってなに?」と聞いたら「自分で調べなさい」「職人だったら聞かずに技を観察して覚えなきゃいけないんだ」。
    口数が多い方ではなかった祖父の一言は、重みと愛情がありました。

  • 日にち過ぎちゃったけど。

    夜遅くまで働き、長期の海外出張も多かった父。仕事が忙しく学校行事もほとんど来てもらった覚えがありません。
    それでも私達子どものことをよく考えてくれていました。アメリカから届く、カラフルなお菓子や大きな人形。大好きでした。
    今はDIYにハマり、孫のためにブランコを作ってくれる優しいじいちゃんです。もしかしたら、私達にできなかったことを孫にしてくれているのかも。

  • 海外出張が多く、しかも一度出たら3カ月とか半年とか、ほとんど家にいない父でした。
    母は苦労が多かったと思いますが、子どもの私は海外からの葉書や手紙、お土産が楽しみで、私も将来は色々な所へ行く仕事をしたいと思っていました。私が男性ならそうしていたかもと今も思います。

    たまに家にいる間は家族の時間を大切にし、私のことをかわいがってくれ、今は孫をかわいがってくれる父、自称他称「いつまでも少年のような心」の持ち主のままいてほしいです。

    私が子どもの頃は、薄い便箋のエアメールを経由地の代理店宛に出したり、交換手に取り次いでもらって衛星電話をかけたり、お土産の指定は事前にメモして渡していたりしていました。
    SkypeやLINEで世界中すぐ繋がれ、リンクや写メで何でも共有できる今の時代は、ドラえもんの未来が実現したみたいと思います。
    私の子どもたちが大人になる頃はどんな世界かな。

  • 私の父はとにかく真面目。
    強烈に覚えているのが担当の【耳掃除】。
    私は毛むくじゃらの膝に横たわる。父は専用のピンセットに綿棒のダブル使いでやる気十分。でも、本当は痛かった…がっかりさせてはいけない思いで必死にこらえていた。娘なりの真面目な父へ感謝のしるしです。

  • かなり大雑把だけど家族思いで人望が厚い父は、餃子が好きで焼きを任せたらピカイチです。
    孫が生まれたとき「この子に餃子屋をやらせる」って勝手に将来を決めてました。
    その事実を本人は知らないけど、食べ物作るのが得意な孫達なので、あながち嘘じゃないかも。

  • 他のお父さんより歳をとっていた私のお父さん。
    口数の少ない父だったけれど、大事なときは声をかけ励ましてくれた。
    今はすっかりおじいちゃんになってしまったけど、父の颯爽と屋根を登る大工姿、真っ黒でゴツゴツした手を一生忘れない。

  • 遅くなりましたが

    私は幼い頃からお父さん子で父が大好き。母には大好き!だなんてなんだか恥ずかしくて言えないけど、父には言える。優しくて内弁慶。お茶目で不器用。皿洗いが好き。父とよく似た夫と結婚。なんと誕生日が一緒!今は近くに住んでいるので、ちょっとしたことで呼び出しては孫の子守りを私にさせられている。笑

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    ABOUTこの記事をかいた人

    編集部 青柳 真美

    お母さん大学事務局兼編集部。お母さん業界新聞副編集長。みそまる普及委員会代表。みそソムリエ。宅地建物取引主任者。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。おっと、忘れちゃいけない大事な仕事が、藤本学長のツーヤクとカイゴ。家族と仕事以外に、私の人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/食後のコーヒー。息子1人(26歳)。