宿題MJ30◆わが母に言われた言葉

お母さん業界新聞11月号MJ30のお題です。

子どもの頃、お母さんが口ぐせのように言っていた言葉、
落ち込んでいたとき、かけてくれた言葉、
結婚するとき、諭された一言、
自身が母になったときに言われた言葉などなど

印象に残っている
「わが母からの一言」をおしえてください。

例)
・自分に負けたら終わりだよ/いじめを受けたとき、母にこう言われました。
辛かったけれど、この言葉が勇気になりました。

・どうせやるなら気持ちよく/用事を頼まれたときに「何で私が…」と、
ついブツブツ言いながらやっていた私に。

・人に好かれたいと思ったら、自分が人を好きになること/母からの
教えとして、今も常に意識しています。

・いつ戻ってきてもいいからね/結婚式前夜に、改まって言われました。
「戻りたい」と思ったことは何度もありますが、一応戻っていません。

★MJ30なので、最低文字数60字。
★複数投稿歓迎です。
★本名発信。

★お母さん大学生以外で投稿参加してくれた方へ掲載された新聞を送ります。
希望者は送り先〒住所、氏名、電話番号をお知らせください。

★締切は、10月16日(水)必着。なるべく即答してください。

★提出は、いずれかの方法で。
・この宿題記事にコメントとして書き込む。
・それぞれが自分の記事として発信する。
・編集部 info@30ans.com へ直メールする。

メールの場合は
(1)本名/(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
タイトルは「母の一言/名前」でお願いします。

では、どうぞよろしくお願いします!

39 件のコメント

  • ○○ちゃんのおかげで美味しいもん食べれるわ。ありがとう/孫の誕生日やイベントでご馳走のとき。おめでとうとありがとうの連発でした。

    ビタミン取り過ぎやからええねん/苺のヘタを取ってから洗うとビタミンが流れるってテレビで言ってたよ、って言ったとき。果物屋なんで。

  • 「遠くの親戚より近くの他人を頼るんだよ」
    わたしが結婚を機に千葉から横浜に正式に引っ越したときに言われた言葉です。母自身が福岡から千葉に嫁いできたときに、心に決めたことだったそうです。
    そんなわけで、色々な場に足を突っ込んでいます。

  • 【傷付いたバージョン】こちらは、載せないでください(笑)うちの母がきっと傷付くので。

    『もぅ、、だから、あんたはやっぱり。。。はぁ。。(深いため息)』

    泰子“だから”
    “やっぱり”泰子は

    はぁ。。。、っていうはっきり何なのか言葉にせずとも、

    あー、だからやっぱり私はダメなんだー!!!と奈落の底に落とされた恐ろしい言葉

    自信のない私を作った母の呪いの言葉です。

  • 「最後はうまくいくようになってるから大丈夫」自分の努力ではどうにもならない事が生きていれば沢山ある、辛い思いをすることも沢山あるけど、回り回って最後はうまくいくようになっているから大丈夫だと20代で言われた時は全く心に響かなかったけど、30代でふと思い出し、40代になって母が言いたかった事が分かった気がします。今では、「今は大変だけど大丈夫。きっと最後はうまくいく」と何かあるたびに心の中で呟いています。

  • 『習い事は一度やめたら再開するのは大変だから。イヤになったんじゃないならやめちゃだめよ』
    高校生の時家が大変なときもそう言って続けさせてくれました。
    その習い事は息子を出産する3週間前までなんだかんだと続き…6年くらいのブランクを経て再開してまた夢中になりつつあります。
    好きなことは続ける。
    好きなことは心の支えになる。
    と言うことだと思います。

  • 「迷うならやめておきなさい」お菓子売り場でいつも言われました。
    いつまでも立ち止まって悩むより、前に進んだ方がいいこともある。
    結婚も、お母さん大学への入学も、迷わなかった!(^^)

  • 「妻は家庭の太陽でなくてはいけません」
    結婚して実家を出る日、机の上のメモ書きに書いてありました。
    プレッシャーにもなる言葉だけど、
    確かにその通りだなと思います。
    妻、母、の機嫌って、家庭の雰囲気に直結するなあと。

  • 【うちはうち!よそはよそ!比べない】
    ホントに口癖のように言っていました。
    幼い頃飲食業を営んでいた両親。鍵っ子で育ち土日の休みはなく、家族で旅行というのがなかった。友達からは家族で遊園地、動物園へ行ったという話をよく聞いて「どっか行きたい!」と何回も言っていました。
    その時、毎回この言葉でした。

    今となればその気持ちがよくわかるし、どんな場面においても大切なことだなと思います。
    子育て、結婚生活、家族や友達関係など何事も他人と比べがちな世の中ですがこの言葉が脳裏をよぎり「私らしく」をモットーに日々過ごせています。

  • 「もうこれ以上大きくならなくていいからねー。」
    幼い頃よく言われた言葉。
    4歳と8歳離れた三姉妹の末っ子の私。
    かわいがってもらってたんだな、と感じる。
    母の気持ちがわかるようになった今、懐かしい言葉。

  • 身体を壊したら元も子もないよ
    仕事が忙しくご飯を食べたら眠くなってしまうから食べずに仕事をし、朝はギリギリまで寝るの毎日。
    ご飯はー?要らないー!の日々に
    身体を壊したら元も子もないよ!と少しでも口に入れなさい!と怒りながら、おにぎりを持たせてくれました。
    結婚しても、あれ持っていく?これ持っていく?と聞いてくれ、タッパーにおかずを詰めていつも持たせてくれます。

  • あなたは正義感が強すぎる。ほどほどにしないと、いつか刺される/相手が間違っているからと、正論を言うばかりでは、いつか、怖い目に合うと、母が心配していました。今は、少し大人になって、闘っても無駄だと思ったら、見て見ぬふりするけど、確かに若い頃は、暴れたかも。今、思うと恥ずかしい。

  • 「あなたなら大丈夫だと思ってた。」
    どうしても行きたかった高校があった。成績がギリギリで、先生にも1つ下の高校に行った方が良いと言われていたが、無事合格した時、言われた。
    客室乗務員に無事合格した時にも言われた。
    こんなに努力してる子は他にいないから大丈夫だと思ってたと言われ、いつも何も言わない母だが、信じてくれてた事に嬉しかった。人を信じる事、信じてもらえる事の喜びを感じた。子供を持って、私も子供を信じようって常に思っている。

  • みなさんのお母さんたち、すてきですねー
    うちの母から言われて、快く思ってなかったのが
    「うちはうち、よそはよそ」
    です。

    が、親になって、どうしてもよそが気になるようになり、
    「うちはうち、よそはよそ」
    の捉え方が変わりました。

    そう断言できるのがすごいと。
    なので、私も使うようになったのですが、
    私の場合は、断言や決意ではなく、
    おまじないのように使っています。

    • おまじないなんですね。

      横須賀の光未さんのところにも書きましたが、うちの母もよーく言ってました。
      だいたいは◯◯ちゃんが持ってるから買って!とかやってるから私も!と言った時に…
      そろそろ使いはじめる頃なのかもと思いました。

  • ・いじめるヤツがいたらすぐ文句言いに行くから!/幼稚園や低学年までは内気だったので母はよく言っていました(高校くらいまで言われていました)。絶対的な味方がいると心強かったです。

    ・血のつながった家族とは違うんだからいろいろ違って当然。何かあったら数日なら帰ってきてもいいけど頑張りなさい。/結婚する時。

    ・子どもはかわいいだけじゃないでしょ。大変なこともいっぱいあるよ。でも私は産んで良かった。/私が娘を産んだ後。何回も言われてます。

    ・さっちゃん(=私)がいたから生きてこられた。お父さんお母さん(=私の祖父母)には親子で迷惑かけたけど本当に楽しかったと思うよ。/父が亡くなって母の実家へ戻ったこと、祖父母のことなどを思い出す時に。子どもって、自分って、存在するだけで希望で未来なんだと教えてくれる。

  • 「ほんとお父さんにそっくり!あんたの性格が羨ましい」

    几帳面で神経質な母。悩み事があると眠れないタイプ。
    それに比べて、大雑把で、何事もテキトーにすませてしまうわたし。
    クヨクヨすることがあっても、一晩寝れば大抵気持ちは落ち着くタイプ。
    自分でも思うほど父にそっくり。

    そんな訳で、皮肉も込めてよく言われた一言。

  • 【あんたたちは宝物】

    うちと妹に、よく言っていました。母の愛を独り占めしたい私は、なんで【たち】なんやろ。。あんたはって言って欲しいなぁと思っていました。でも、絶対それはないな。なぜなら、母は、妹の方が好きやけん、本当は妹だけ宝物って言いたいんだろうけど、私に、気を使って【あんたたち】って言ってるんだろうなぁ。。と思っていました。

    。。。あかん。。なんか、闇だな(-∀-`; )。。。。他に探します。。。

    。。。。。。ウーン。。。

    【気をつけて、転ばんように】かな。。出掛けるとき必ず言われます。それで、私が『うん。大丈夫』って振り向いた瞬間、足がカクンとなって、転びそうになるっていうのが、お決まりのパターン二人でそれで、ケラケラ笑いながらバイバイと手を振っていました。

  • 牛乳がいくらあっても足りないよ…
    高校生くらいの時、妹と私で1日1リットルずつ(計2リットル)以上飲んでいて、使おうと思って冷蔵庫を開けたら牛乳はないという毎日でした。
    目の前にスーパーがあったので牛乳がなくなればすぐに買いに行けてたので有難かったです。おかげで(?)大きくなりました♪

  • 「芸は身を助ける」

    5歳から習い始めたピアノ。中学時代、練習が嫌いで、泣きながらレッスンに通い、辞めたくて仕方なかった時期。母に泣いて頼んでも、絶対辞めさせてもらえず、「いつか、美和ちゃんの身を助ける日が来る」と言われ続けた。
    結果、音楽を仕事にしている現在。あのときは、母が憎くてたまらなかったけど、今になって思えば、辞めなくて良かったな~…
    母に感謝。

  • 「子どもが幼稚園に入ったら幼稚園の友達、小学校は小学校の友達が出来るから寂しくないよ」

    鹿児島に嫁いで直ぐに妊娠し、寂しさと不安で電話を掛けた時、そうやって励ましてくれました。母も熊本から愛知に嫁いでいるので、私の気持ちがよく分かったのだと思います。

    実際いま、たくさんのお友達が出来、一緒に励ましあいながら楽しみながら子育てしています。

  • おつかれさまです。

    母から言われていた言葉、正直なところまったくコレ!というのが思い出せないで書き込めずにいました。
    今もまだ思い出せません。。。
    父はウルサイ(笑)のですが、母は穏やかーな人で、
    そんなに言葉数が多い母でもありますが、怒られた記憶もなく、、諭された記憶もなく、、、
    いつもニコニコ、受け止めてくれたイメージしかなく、、、

    一つ
    「できないことを子どもを理由にせんでねとマキ(妹)から言われたときにハッとした」と話してくれたことは

    とっても印象に残っています。

  • 遅くなってごめんなさいm(_ _)m

    (ご飯のときに)「呼んだらすぐ来なさい!」
    ご飯の準備、すごく言われました。
    ご飯の時は、テーブルを片付けたり皿や箸を出したり。みんなで準備してのご飯でした。(父はなにもしてなかったと思うけど)
    それだからだろうなあ。
    今、自分が母となってご飯を作るときに誰も手伝ってくれないのがものすごく悲しいし、そうやって一人で全部準備しても、なかなかみんな席に着いてくれないのが本当に悲しい。
    私も、母のように子ども達に言い続けていかなきゃいけないんだろうな。自分も子どもの時はなかなか分からなかったから。

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    編集部 青柳 真美

    お母さん大学事務局兼編集部。お母さん業界新聞副編集長。みそまる普及委員会代表。みそソムリエ。宅地建物取引主任者。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。おっと、忘れちゃいけない大事な仕事が、藤本学長のツーヤクとカイゴ。家族と仕事以外に、私の人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/食後のコーヒー。息子1人(26歳)。