母たちへの一文


母たちへの一文

文豪・水上勉の著書「ブンナよ、木からおりてこい」の巻末にある「母たちへの一文」から生まれたこのコーナー。今も昔も変らない子どもたち。でも子育ての環境はどんどん悪くなる一方です。
「子育て」は、決してお母さんひとりで担うものではないけれど、やっぱり「お母さん」が変れば何かが変る。そんな気がしています。さまざまな世界で活躍する皆さんから、お母さんたちへの、精一杯の応援メッセージが届きました。

母たちへの一文

株式会社原田教育研究所 原田隆史さん

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母の愛とは
小学2年生まで夜尿症でした。おまけに赤面症。授業中、国語の本読みが当たると頭が真っ白、膝がガクガク震えて声になりません。本読みや発表が恐怖で、学校が嫌いでした。
 
夜、寝る前、夜尿症の子どもたちはみんな祈るのです「どうか、今晩こそはおねしょをしませんように。助けてください」。そして、翌朝。思いっきりオシッコ垂れてます。そのときの後悔、落ち込み、罪悪感は言葉にできません。
 
ところが母は、人生で一度もおねしょを叱りませんでした。「隆史、いつか治る。大人でオシッコ垂れはおらんよ。安心しておねしょしなさい」と笑うのです。そのときこそ、「生きててよかった」と、毎朝救われる気持ちになったものです。
 
母は愛そのものです。私のすべてです。マザーテレサなんです。
後年、夢叶い、教師になりました。問題を起こす子ども、若者、皆同じです。自信がありません。褒められていないのです。認められていないのです。母が私に与えてくれたメッセージ「あなたは、今のあなたでいいのよ。安心しなさい」を、子どもに伝えてください。救ってください。
 
母は偉大なり。
母に感謝。父に感謝。

 

(はらだ たかし)プロフィール  
1960年大阪生まれ。
奈良教育大学卒業後、大阪市内の公立中学校に20年間勤務。
保健体育指導、生活指導を受け持つ傍ら、陸上競技部の指導に注力。
問題を抱えた教育現場に立ち向かい、学校と地域を再生させる。
企業経営のノウハウと金メダリストを育てたメンタルトレーニグを応用した「人を自立させる」独自の指導法により、最後の赴任校、大阪市立松虫中学校では、陸上競技の個人種目で7年間に13回の日本一を輩出し全国から注目を浴びる。
その手法に企業の経営者が注目し、多くの企業から指導依頼が殺到する。
学校教育、企業経営、家庭教育、スポーツ指導等多くの分野で成果を上げ「生活指導の神様、カリスマ教師」と呼ばれる。
現在までに約200社・4万人のビジネスマンに研修・講演指導を行う。
2008年より、教育により日本を改革したいという思いのもと独立し、原田教育研究所を立ち上げる。
著書に「カリスマ体育教師の常勝教育」日経BP社、「カリスマ教師の心づくり塾」日本経済新聞出版社等多数。現在は株式会社原田教育研究所 代表取締役社長を務める


原田隆史公式サイトはコチラ http://harada-educate.jp/index.html
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木楽舎つみ木研究所 つみ木おじさん 荻野雅之さん

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子どもの心の環境が大事
子育て中のお母さんは、命を育む力を持っています。皆さんは、子育ての最前線でわが子と対峙し、世間の荒波にもまれながらも、その心と体の成長に関わっています。つまり、大事な社会的任務を背負っているわけで、本当に頭が下がります。
 国は、今さらながら未完成な子育て政策を打ち出し、大学は経済資本主義の氾濫する中で、今後の持続可能な社会にふさわしい幼児教育システムや組織の見直しを図ろうとしています。「子ども科」「幼児発達心理学」「人間コミュニケーション科」など新しい学科が創出されても、従来の理論ありきの教育では意味がありません。大切なのは理論ではなく実践。保育士や幼児教諭にとって、一番の教師は、「子どもの心の環境」を知っている、子育て中の母親です。
 
わが子を胎内に抱いたときから、母になるための修業を積み、小さな命を守り育みつつ「お母さんの心」を育てていく母親たち。子育ての孤独や自らの未熟さを知り、悩みながらも一生懸命に克服しようとするお母さんたち。その心こそが、未来につながる大切な宝です。母親たちの心の声を聞き、喜びや苦しみを分かち合える仲間や社会とつながる方法を考えたいと思っています。


(おぎの まさゆき)プロフィール  
木楽舎(きらくしゃ)つみ木研究所が主催するワークショップ「楽(らく)つみ木広場」は、デザイン家具を作る荻野雅之さん一家が運営。10年前に活動をはじめ、山梨や東京、神奈川、茨城、岡山など各地の幼稚園、小学校を年間30~40カ所のペースで回る。“つみ木おじさん”と呼ばれる荻野さんは2万~3万個の積み木を持ち込み、間伐材を通じて手入れが行き届かずに荒れ果てる森の現状や地球温暖化問題を訴える。

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お母さん大学子守隊隊長 竹中義行さん

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「子ども経験」を生かして

無理だと思いながら始めた、素人の「子守隊」がスタートして1年。
約10人の子守隊は、お母さんたちが「お母さん大学」の研修会やマレットゴルフ大会のときなど2、3時間お子さんたちを預かり“子守り”をする。子どもさんの年齢は0歳から小学生までまちまちで、“保育”というと資格や経験が問われるが、“子守り”というと何だか気楽だ。
考えたら我々高齢者は、自身の子ども時代、親の時代、爺婆の時代と、下手な保育士には負けない「子ども経験者」である。子ども時分はほとんど玩具はなかったが、一日中遊び回った。親も忙しくてほったらかし、泣いたらひっぱたかれた。子どもはきながらも遊ぶことを覚えた。
本来、子どもは自力で遊べるのだ。
子守隊のメンバーは、自分の子どもの頃を思い出し、子どもの気持ちに返って預かった子どもたちと一緒に懸命に遊ぶ。子どもの発想は豊かで新鮮、逆に子どもたちに遊んでもらっている状態である。
子どもたちがなついてくれれば、喜びもひとしお。子どもたちに仲間と認知され笑顔を向けてもらったとき、お母さん方の笑顔に迎えられたときが至福である。信じて預けてくれるお母さんに感謝である。



(たけなか よしゆき)プロフィール  
1941年兵庫県出身。大手化学会社をリタイア後、NPOサングリーン理事長、横浜マレットゴルフ協会副会長等を兼務。
子守隊隊長

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日本笑い学会副会長(医師)昇 幹夫さん

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わが子に何を残しますか?

25歳のときに乳ガンを発症、手術後にはるちゃんが生まれた。育児に励むママにガンが再発。余命半年と宣告を受ける。

ママは自分がいなくなったあと、簡単な家事(洗濯物たたみ、風呂洗い、保育園の準備)はできるようにと、はるちゃんをしつけた。でも料理は危ないし、自分がしたほうが早いと、理由をつけてやらせなかった。

心を鬼にして、ごはんの炊き方、味噌汁のダシのとり方、野菜の切り方を教えた5か月後、昨年7月に、ママは亡くなった。

今年4月に小学1年生になったはるちゃんは、時々、帰りの遅いパパのために晩ごはんをつくる。手紙を添えて。「パパ、はるがつくったよ。このお手紙をごはんを食べる前に見てね」。パパは手紙を読み、晩ごはんを食べた。一口食べて「……」。でも全部食べた。翌朝、「ウァー、パパ、全部食べたの? 明日もまたつくってあげる」「毎日じゃなくてもいいよ」「いいから、いいから。はるはパパのためにがんばる」。翌日も翌々日も手紙付きの晩ごはん。

ママが5歳のはるちゃんに残したもの。家族のために食事の準備をすることは楽しいという心でした。あなたは、わが子に何を残しますか



(のぼり みきお)プロフィール  
1947年 鹿児島生まれ。九州大学医学部卒業後、麻酔科、産婦人科の専門医として82年より 大阪在住。
高校卒業30周年 同期会で200人のうち8人の死(4人は医師)という事実にショックを受け、平成11年に 年間1000名の出産を取り扱う病院を退職。 生誕半世紀を振り返り、50代は過労死寸前の働き方をあらためることにした。
現在、大阪市で産婦人科診療もしながら、「日本笑い学会」副会長(「笑いと健康」の部門を担当)として 笑いの医学的効用を研究。 前向きな楽しい極楽トンボの生き方が、高齢化社会をダイヤモンドエイジにする 長生きの秘訣と説き、現在は「元気で長生き研究所」所長として 全国を講演活動中の自称『健康法師』。

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NPO法人 企業社会責任フォーラム代表理事阿部博人さん

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吉田松陰のお母さん

幕末の志士・吉田松陰を支えたのは家族であり、お母さんでした。 

貧しい半士半農の松陰一家には実に贅沢なことでしたが、お母さんは家族のために毎日風呂を沸かし、厳格な家風にあって努めて明るく振る舞い、冗談を言い、松陰にスパルタ教育を施した伯父の鉄拳が飛ぶすさまじい光景には、その身を案じ、無事を祈りました。 

安政の大獄で江戸送りになる際には、風呂で松陰の背中を流しながら、必ず帰ってくるようにと諭すと、松陰は「元気に帰って参ります」と答えました。

松陰の約束は叶いませんでしたが、両親に宛てた辞世は「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」というものでした。 

母親として、どう子どもを育て、その才能をいかに伸ばすか。たとえば、千住三兄弟の母親文子さんや辻井伸行さんの母親いつ子さんの体験や手記が知られ、子どものためを思い育む積極的な母親のあり方を示唆しています。

一方、父親の振る舞いや役割分担も大切でしょうが、唯々子どもを見守り、あたたかく接する
松陰の母親もいます。これまた素晴らしい母親像ではないでしょうか。br />



(あべ ひろと)プロフィール  
フリ北海道大法卒。1982年松下政経塾に第4期生として入塾し松下幸之助に経営を学ぶ。85年修塾後、経営コンサルティング会社などを経て、2002年企業社会責任フォーラム設立し代表理事。07年10月から公共ファイナンス研究会共同代表。48歳。北海道出身。
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管理栄養士 柴田真希さん

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母のごはん

小さい頃はよく、家族で旅行やピクニック、海に遊びに行ったりしていました。そのときの食事はというと、旅行でも1日目のお昼は母のお弁当。もちろんピクニックでも、海でもです。
 
振り返ると、旅行のとき以外の外食は、ほとんどしていなかったことに気づきました。
ここまでココロもカラダも大きくなれたのは、母のつくってくれた食事のおかげだと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
 
食事は、「何を食べるか」よりも、「どのようにして食べるか」のほうが大切だと感じています。
 
一汁三菜をきちんと揃えるに越したことはありませんが、ワーキングマザーも多い時代です。「料理をつくる」と気張ってしまうと、面倒に感じてしまうことでしょう。
 
ごはんを炊くだけ、お味噌汁をつくるだけでもいいと思います。「お母さんがつくってくれた」という隠し味は、コンビニのおにぎりやお弁当とは比べものになりません。プラス、「家族と一緒に食べるひととき」が何よりのおかずです。
 
最後に、女性として、ワーカーとして、妻として、母として、今も輝いている母は、私の憧れです。

お母さん、いつもありがとう!




(しばた まき)プロフィール  
フリーで栄養士ビジネスに奮闘中=3
衣・食・住・・・ヒトには大切なものがたくさんあるけれど
「ヒト」との距離が「一体」になる「食」はとっても大切。
元気にすることができるのも、シアワセを作り出すことができるのも、健康を保つことができるのも・・・「食」です。
「食」からたくさんのHappyを作りだせるような「情報」「レシピ」「わたしのお仕事」をブログにしていきます♪

「食」で「健康」「キレイ」「Happy」を提案する柴田
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英語名人・紘道館館長 松本道弘さん

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英語の落ちこぼれ少年を変えた、たった一度の授業


「お母ちゃん、今日モリノというカッコいい校長先生に英語を教えてもらって、やっと英文法がわかった。今日から英語を始める!」と、中学3年生の私が、母に約束した。
 
桜塚高校の盛野精一校長が、臨時に英語の授業を担当された。当時、私は英語の落ちこぼれ学童だった。嘘ではない。

近著の『松本道弘のサムライ英語学習法』(たちばな出版)では、当時の成績表を発表した。なんと31点! 間違いなく落ちこぼれである。

その劣等生の私に英語の火をつけたのが、この今は亡き盛野校長であった。一瞬の出会いが、人の人生航路を変えることもある。
 
大学生になり、少しは英語が話せるようになった。ある日突然に、明治生まれの亡き母が私に話しかける。「中学生のときの盛野先生に会いに行こうか。もう引退して、隣の豊中に住んではる。あの日のミッチャン(私)の興奮ぶりは、今でも忘れられへんのや」と。母にまで火をつけてしまっていたのである。
 
一瞬に情熱を傾ける。師と弟とは何か磁力の法則がありそうだ。
今も教壇に立つときにふと思う。
 
わずか一度の授業で私を変えた盛野校長、そして常に私を陰で支え続けてくれた母の存在の大きさを。



(まつもと みちひろ)プロフィール  
1940年大阪生まれ。関西学院大学卒業。日商岩井に勤務する間に、海外渡航の経験なしに独力で英語を磨く。その後、西山千氏(アポロ月面着陸時に、日本で初めて英日同時通訳)に師事し、その推挙でアメリカ大使館の同時通訳者となり、後にNHKテレビ上級英語講座の講師を勤める。日本にディベートを広めたことでも知られる。(ディベート教育暦 約40年)

現在、紘道館館長、国際ディベート学会会長。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主宰。英語と英語教育、日本文化に関して130冊を越える著作がある。


紘道館はコチラ
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ヒューマックス取締役副社長 藤田完二さん

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映画で非日常の体験を


忙しくも楽しい毎日を愛らしい子どもたちと送っているお母さんたちに、心からエールを贈ります。
 
がんばっているお母さん、たまにはDVDやVTRをレンタルし、ワインでも飲みながら〝プチリッチ〟な時間を過ごしてみませんか。ちょっとした〝非日常〟の体験は、日常へのエネルギーになりますよ。
 
おすすめは、2001年公開のドイツ映画「マーサの幸せレシピ」。仕事はできるが生き方不器用な主人公。姉の交通事故死から8歳の姪っ子リナを引き取りますが、ママに死なれたショックからプロの料理人である〝叔母〟の食事にも手をつけないリナ。素直に心を開けない2人に、イタリア人のシェフ、マリオが絡んで、人が幸せになるレシピに欠かせない大切なものは何か、と教えてくれる心温まる映画。〝幸せはほんのちょっとのさじ加減〟というサブ・タイトルがついています。
 
そして、私のブログを見てください。完ログ『コミュニケーション・レシピ』です。仕事でも恋愛でも、ホンの少しのことが人との絆を強くします。美味しい人との関係づくりに欠かせないヒューマンスキルのあれこれと自称グルメの私が創る創作料理も載せています。



(ふじた かんじ)プロフィール  
1950年 東京生まれ。
1973年 大東文化大学文学部中国語科卒。
米国サンビームコーポレイション日本支社にて国内外の マーケティング、市場開発を担当。
その後アークインターナショナルにてトレーナー、 シニアマネージャーを経て現在、株式会社ヒューマックス取締役副社長。
リーダーシップ、キャリア開発、営業パースンへのスキル開発、及びコミュニケーション能力向上などを専門とし、講演、 コンサルティング、カウンセリング活動など幅広く活動を 行っている。
東京都手話奉仕員 米国カールソンラーニング社公認インストラクター
アルファサイエンス協会公認SRPインストラクター SL公認インストラクター


完ログ『コミュニケーション・レシピ』はコチラ http://kanlog.cocolog-nifty.com/blog/
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株式会社にんじん代表取締役 伊勢戸由紀さん

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家族の歴史


8歳の頃、昔のアルバムを開き、両親の子ども時代から2人が出会うまでの写真を何度もめくった。「父母にもこんな小さな赤ん坊のときがあったのか…」と不思議だった。

昭和初期から戦争へ、さらに戦後の日本へと時代は移り変わり、家族が増えたり減ったり。戦前の質素な服装に戦後の学生時代、モーレツ社員だった父と、ミニスカート姿のOLの母が、両親(祖父母)や兄弟、友人たちと一緒に写り、笑っている。 「これはいつ? これは誰? この人は今どうしているの? この人とこの人の関係は?」と両親を質問攻めにしたことを覚えている。「私はなぜここに生まれてきたのか」…そんなことを、子どもだったが知りたかったのだろう。

写真の中には、両親の家族や親戚、親友、恩師、同僚たちが、時代の中で出会い、交流を重ね、苦楽を共にし、貧しいながらも生き抜いていた。 8歳でもそれが十分わかった。そして自分が、今ここにいることに誇りが持てた。それは、両祖母たちが、空襲で焼けないようにと、必死に守ってきたアルバムのおかげである。

1世代、2世代前の家族の歴史、家族の味、家族の絆、家族の思い出を、私は子ども時分にしっかり伝えられた。とても幸せ者である。


(いせと ゆき)プロフィール  
1964年名古屋市生まれ。日本福祉大学卒業後、中部リサイクル運動市民 の会に入り、有機野菜を宅配するにんじんCLUBの担当に。同CLUBは1989年に株式会社化。1994年から代表を務め、2003年社長に就任。宅配事業のほか、子どもを対象とした産地ツアーや農業体験、料理教室を開催。2006年6月から高齢者向けにデイサービスでの有機栽培食材を使った食堂の展開を進めている。愛知県小牧市在住。


にんじんCLUBサイトはコチラ http://www.ninjinclub.co.jp/
にんじんホームキッチンサイトはコチラ http://www.ninjin-hk.net/
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弁理士・知財ソリューション代表 遠山 勉さん

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母の思い


私の母は戦後まもなく結婚。嫁いだ先は農家だったが、訳あって父と家を出て、母の実家に戻った。父母は、厩を改装して住まわせてもらった。私は、そこで産まれた。

みかん箱をテーブルにしてのスタートだったが、私が物心ついた頃には、すでに小さな家を購入して住んでいた。が、裕福でなかったことは確かで、生活の足しに、よく実家の農作業を手伝いに行っていた。

母が偉いのは、私たち子どもに、貧しさを感じさせなかったことである。お金がないことは子ども心にわかっていたが、不足は感じなかった。「わが家には財産がないから、勉強して身を立てろ」が口癖だった。だから私の名前は「勉」。授業参観には必ず来てくれた。決まって和服をきれいに着こなして来る。そういう母を、私は大好きだった。

今でも思い出すのが、母に背負われ、肩越しに見ていた農作業。白い割烹着を和服の上に着て、料理をする後ろ姿。請け負った和裁の夜なべ仕事。石けんの残り香…。お母さんの「ニオイ」は石けんのにおいだ。 母にとって、子どもはいくつになっても子ども。私がひげをはやしたときに言った言葉。「あんまり偉くなるなよ」。母の子への思いは偉大である。そんな母ももういない。


(とうやま つとむ)プロフィール  
1955年生まれの弁理士です。知的財産権、特に、特許・意匠・商標等の特許庁への出願代理業務、特許侵害訴訟等の特定侵害訴訟における代理人あるいは補佐人としての役割を果たしたり、企業への知的財産戦略についてのアドバイスなどを行ってます。通常弁理士には得意分野がありますが、私の場合、機械、自動制御、コンピュータ関連発明を中心に、訴訟、デザイン関連も扱っております。近年特に「特許教育」に力を入れております。また、「模倣」についての研究もしております。この点について情報をお持ちの方ご連絡下さい。個人的な趣味としてはゴルフ、車(ドライブ)、音楽鑑賞、芸術鑑賞です。将来は(熊さんのような)芸術家(げーじつか)になろう?とがんばっております。


[株式会社 知財ソリューション] http://ip-solution.jp/

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