お母さん大学生の皆さんこんにちは!武重です。
こんにちは母性
自分の母性に驚いた最初の出来事は産院での授乳時だった。
おっぱいが出るようになったのは出産から5日目のちょうど退院する日だったから、あの時は形だけ。産まれてすぐの赤ん坊を助産師さんがきれいにしてくれた後、吸い付き具合の確認も兼ねて母親のおっぱいを咥えさせる。
…吸っている!あんな小さな口を使って乳輪丸ごとしごくように力強く吸う。
嬉しいような怖いような得体の知れない体験に、なになになに!?と自分の心拍数は上がる。赤ちゃんは全てをわたしに託しているように感じた。
全てが自分のためだったかつてのアタシ
誰かのためにコミットしたことが今まであっただろうか。
勉強もバイトも仕事も全て自分のため。なんならボランティアも自分のため。上昇志向がそこそこあって理想に向けてがんばることができたのは全て自分のためだったから。逃げ道のない過酷な人生を送っている人に比べてわたしは苛つくくらい恵まれていると書きながら思う。
母性に喰われたアタシ
赤ちゃんとの生活はわたしの生活をかき回した。自分のペースとかそんなの無い。心身ボロボロのおっぱいマシーンだ。
赤ちゃんの要求はとどまることを知らず、わたしの中の母性は我が子の無茶振りに応えなさいと指令を下す。
生後10日目の育児日誌に夜中1時〜6時までおっぱいをあげながらひとりでギャン泣き対応をした記録がある。
「お願い泣き止んで」— 産後のわたしにとって我が子の泣き声は身動きが取れなくなるほど破壊力があった。耳の奥あたりがキーっとなり思わず頭を手で抱えた。
抱っこをするにも筋力と体力が劇落ちしてたあの頃、3キロの赤ちゃんが今の10キロより重く感じた。泣き声を前に思考停止してしまう頭を無理やり働かせてこの方法はどうだろう?あの方法は?と思いつくままに全て試した。
不思議なのは、辛いのに幸せと感じる瞬間が必ずあることだ。我が子が世界で一番大切でかわいいと感じどんなことでもしてあげられるようになる。幸せと感じること自体が母性に侵されている。自分が自分じゃなくなる感覚が苦しかった。
自分の感情をコントロールしながらクールに子育てする方法を模索してしばらくして、そうやって母性に対抗すればすればするほど辛くなることに気づいた。
よってわたしはアタシを捨て、素直に母性の支配下に置かれることにした。我が子のためにバカになろう、と割り切ったら少し楽になった気がする。さようならアタシ。
産後1年が経過してアタシは今
赤ちゃんは1歳を超えて夜通し寝るようになり、日中も落ち着いていて一緒に過ごすのがだいぶ楽になった。
生活に余裕がでてくると、一度封印したアタシがこちらの様子を伺いながら影の方で静かにしているのがわかる。反乱を起こすことなく母性とうまくやっているみたい。母性の方は以前ほど鞭をふりかざさずともアタシを飼い慣らす事に成功しているみたい。
もしかしたら子どものためイコール自分のためになってきている。その場合アタシはもはや母性のスパイになってしまったのかもしれない。
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最北の町、暖かな宿ゲストハウスモシリパ
母性の奴隷に、スパイ・・・なるほど!
子どもが成人した私はどうなんだろって考えました。
母性が枯れないように、ちょっと「お母さん」を夢みてきた娘や
お母さん大学の若いお母さんたちと楽しくやることかな~なんて。
皆さんのあふれ出る母性はおばちゃんが引き受けます♪
そして子育て卒業組の余裕分けてください(笑)