お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

狩猟に触れて

北海道の武重美亜です。

狩猟肉が食卓に並ぶようになったのは夫が狩猟免許を取得した2017年、北海道へ移住する前に住んでいた神奈川県でのことでした。ひとりで山へ入り、山で獲物を捌き持って帰ってきます。

1歳の娘も猪や鹿肉を食べています。特に猪は柔らかいし大好きです。レトルト食品に入っている肉や市販の豚肉と比較するとがっつき度合いが全然違います。(正確には市販の鶏肉にはがっつきます…)

神奈川県では猪が、北海道では蝦夷鹿が家の前にも来るのでよく目撃します。自分の食べる対象であることで、単なる「かわいい」とか「尊い」とは違う切り口でこういった野生動物を見るようになり、またそれらを食べる自分とは何なのかを考えるようになりました。

娘に肉を食べさせるようになってから、さらに食うことで生かされているということを前より意識するようになりました。実は私は体質的に肉を食べすぎると消化できなかったり、生活習慣的にさほど必要としていないため肉を食うことの是非を他人事のように捉えていた部分がありました。しかし娘は明らかにタンパク質を欲しているのです。そして夫が獲る狩猟肉のように良質であるほどに食べる。そこで母として肉を食べさせてあげたいと思うようになりました。

本州でも自然の恵みに触れることができる場所は残っています。何かの新聞記事で読みましたが、釣り人に取ったアンケートで釣りをするようになってから自然環境問題についてより考えるようになったという回答が多くありました。釣りでも登山でも下校時の路地でも何でも良いですが、自然と触れ合う機会があれば子どもたちは何かを感じるし、ぜひその感じたことを大切にして欲しいと願うのです。

なんでそう願うのだろう、きっと自然は人に多くを教えてくれると私は信じているからなんです。

2013年にモンゴルに滞在した時の子どもたちのあの賢そうな顔つきは猛烈に記憶に残っています。

田舎なので町の図書館なんてないしきっと家に電気だって通ってないレベルでした。小学生の女の子がわたしより生活力高いんです。3人姉妹が子どもだけで羊追いをしていました。私らが仕事の邪魔だったのか睨むようなキリッとした目線を投げられました。1歳の男の子は高大な大草原で放牧されていたヤクという家畜の近くでひとり遊んでいるんです。鷹にさらわれちゃうよ!とかヤクに踏みつぶされちゃうよ!とか心配しましたが、転んでも何しても泣かないんです。

その日またはその年の食料を作るために働く彼らの方が東京でサラリーマンしていた私らなんかより強いし賢い。人間は自然を前にすると謙虚になり頭を使うんだと悟ったのがモンゴルの田舎に滞在した時でした。自分はできません。自慢しますが実際田舎でボランティアをして3日目で家畜のフンを吸い込み過ぎたのか蓄膿症にかかり高熱にうなされながら首都ウランバートルに戻りました。自分弱い。

ミーハーっぽいけどだからそういう人たちへの憧れが自分にはあるんです。そんなわけで夫の単独忍び猟も賛成だし学びの機会をもらえて夫に感謝しています。娘と共に(もちろん夫ともなんですけど)多くを感じ取っていければいいなと思います。