お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

言葉って難しい…「どっちでもいい」は肯定語?

先日、娘が同級生と下校時にトラブルに。事の発端は「どっちでもいい」という言葉でした。
娘を含んだ3人が一緒に帰ろうとしているところ、別の友だちが一緒に帰りたいとの話になったそう。
3人が「どっちでもいいよ」と答えると、その子は「どっちでもいいじゃわからない。いいよと言ってくれないなんて…」となったそうです。
後日、私、そして仲裁に入ってくれた先生も「どっちでもいい」という言葉は聴いた相手が否定的に感じることがあるから、使い方は注意した方がいいと感じると伝えると娘は
「どっちでもいいというのは「いいよ」という言葉よりもより相手を思って使っているよ」と反論。
〇〇したいと提案してきた相手に対し、こちらはその提案を承諾するので、
提案に関して実施するかは、「提案してきたあなたが最終的に決めていいよ」という
「いいよ」よりも「より優しい言い方」
として使っているそうです。
実際、それは娘だけでなく、その場にいた別の友だちも「〇〇ちゃんが一緒に帰るかどうか、決めていいんだよ。ラッキーじゃん」とフォローの言葉があったようで、娘たちの中では、一緒に帰りたいと言った友だちのことを歓迎していたとのこと。
一連のやり取りで娘は 「どっちでもいい」は昔だと「ダメという気持ちをちょっと言い換えた言葉として使っていた」との認識に至ったよう。果たして「どっちでもいい」は肯定語なのか?もう何だかわからなくなり、頭がぐるぐるしていたら、音曲師 桂小すみさんの”‘O sole mio”が聞こえてきて、心が軽くなりました。