お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

最後に残ったのは小さな憧れ

『幼稚園ママになりたかった。』

私の心の奥のおくーの方に残っていたのは、漠然とした憧れだった。

我が家は来年から次女も保育園生活がスタートする。家の近くの幼稚園がこども園に変わったため、ここ数ヶ月転園を検討してきた。

見学に行ったり、先生に話を聞いたり。

素敵な園だけど、平日行事の多さに驚愕。

メリットデメリット、そもそも通うのが可能か、姉妹が別々の園になる可能性など色々と夫とも話し合った。

と言いつつ、実は話し合う前から私の心の中は決まっていた。そして夫もそれに気づいていたと思う。

でもせっかくの機会。この先、子どもがどう育って欲しいかを話せる場でもあったので、ここはあえてしっかり話し合った。

(もちろんドラッカーと白仁田社長の言葉を心に留めて。笑)

そしたら夫婦の視点が違うことがわかった。

夫は『友達』という視点で、私は『自己肯定感』という視点で、それぞれ転園するかを考えていたのだ。

結論は、私が考えていた『転園しない』で変わらなかった。

しかし、こんなやり方あるね、ここにも今度行ってみよう、と言った新しいアイデアが生まれた。

結論が変わらないのだから、わざわざ話し合う必要は無いと切り捨てなくて良かった。

結論も出て、これからも同じ保育園で姉妹がお世話になる予定。とすっきりしたはずの私の中にポンっと残っていた気持ち。

それが冒頭の『幼稚園ママになりたかった』だった。

隣の芝生は青い、ではないが、子どもと一緒に過ごせる時間が長いお母さんたちが羨ましい。幼稚園で教育的な部分も触れてもらえると安心する。自分が幼少期に体験した温かい時間を提供してあげれず申し訳ない。という気持ちだった。

時代は変わっていくし、目の前の子どもを大切に過ごすことが重要。そんなことは頭では分かっているが、自分にとって楽しかった思い出の時間を子どもに作ってあげれないもどかしさ。自分が体験していない楽しさや視点を子どもは味わえるかもしれないよ、なんて頭ではわかっている。しかも仕事は嫌いじゃない。むしろやりだすとハマっていくタイプだ。

だけど漠然と抱える憧れは簡単には消えなかった。

結論を変えるつもりはない。

だけど、この気持ちはわざわざ浄化させず、純粋に羨ましい気持ちとして持っていてもいいのかもしれない。

そう思うと無性にこの気持ちを残したおきたくなり、ペンを握った。