お母さんあるあると思うのですが、「子が小さい時はなかなか、あたたかいうちにご飯が食べきれない、ましてや、出来立てなんて口にできない。かつ心休まらない」。
ご飯を食べようとしているときでも、ご飯最中でも、子が泣けば飛んでいく。気分は急患対応のお医者さんさながら。
はたまた、ご飯をあたたかいうちに食べれても、気を休めてゆっくりなんてほぼ皆無。
私があたたかいうちにご飯を食べれるように、我が家の主人も段取りしてくれる時もあるのだが、子の気分はそういうわけにいかない。
ましてや、子が2人になったら、特にあたたかいご飯なんてSSR(スーパースペシャルレア)。
我が家は、基本、家では、子を食べさせ終わってから、私がご飯にする。ただ、私のご飯時間は子2人の寝る時間に左右される。
具体的には、子が寝る前に私が食べようものなら、急いでご飯を口に運び、お風呂に入れ、子を寝かす。ゆっくりなんて程遠い。
お風呂に入って、あとは子を寝せるだけの合間に食べようものなら、タイミング狙ったかのように子の「ねむいー」が発動。何度、伸び切った麺類を食べたことか。この時間に「麺類なんて食べない」と後悔したことか。
子が寝たあとにご飯を食べようものなら、時計の針は21時近く。ご飯を作り終えていればまだいいが、作ってなければ簡単なもので済ましてしまう。
外食でも、出来立てを食べられても、食事の合間合間に必要に応じて子の対応。これまたゆっくりなんて程遠い。
めちゃくちゃ、わがままな願望だと思いながらも、私としてはやっぱり「あたたかいうちに、気を休めてゆっくりご飯を食べたい!」という願望は捨てきれない。
島っこ留学当初も、私の母や祖母が、子の食べさせ役を交代する気満々でも、下の子が人見知りをかましていたので、私がご飯をあげるしかなかった。
子と大人のご飯時間は一緒なので、せっかくの出来立てごはんは冷めていき、ぬるくなったくらいで食べる。それでも、ご飯を自身で作らず、おいしいご飯を食べられたので私としては満足はしていた。
本日の昼ごはん、子2人早めのご飯。私の祖母が「ほら、2人とも見とくから、出来立て食べんね」とご飯を用意してくれた。メニューは、お魚にご飯に、お味噌汁。そんな変わり映えしないもの。
祖母のお言葉に甘えて、「いただきます」と、魚をせっせと食べて、炊き立てご飯を食べ、お味噌汁をすすり、ほっと一息。その瞬間、気づいた。私は何も気にせず、とにかく無心で食べていたことに。
ある意味、私は「母」という衣を脱ぎ捨てて、ご飯を堪能していた。
なんてことないご飯どき。
私は、1人、心で至福の時間を過ごしました。
ありがとう、今日のお昼ご飯。
そして、ありがとう、おばあちゃん。
あったかごはんは、母という衣を脱がし、私の心を満たしてくれました。
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