今回は吉母についてのお話。
私、根は真面目なので、予習として、吉母について調べたのですが、、、。
一切、由来の情報が探せない。
これはやばいぞ。
まぁ、とりあえず行ってみるかー、と向かったのは吉母の「毘沙の鼻」という日本本土の西端の地へ。
由来あった!!毘沙の鼻の看板様ありがとう!
神功皇后が、朝鮮出陣より帰国の折り、汀の里(吉母)に軍船を寄せ、浜辺で子どもを出産されたことに因んで、寄せ藻→葦藻→吉母になったと。
なるほど。吉母の地名は、出産、母になったことが由来だったようです。
朝鮮出兵が1500年代のお話。さらには、浜辺での出産。過酷な出産に違いなかっただろう。
自分の出産前まで、私の出産に対するイメージは、ドラマで息んでるシーン。もしくは、ドキュメンタリーなどの実際の映像。
痛みに苦しみもだえるお母さんの姿、めちゃくちゃ痛いという想像しかなかった。
もちろん、出産直前もそのイメージ。
「長い時間かかるんだろうな」「痛い時間耐えれるかな」なんて、怖くはないけど、自分が耐えられるのかだけが心配でならなかった。
実際に出産して、さらに他のお母さんの出産話を聞いて、改めて思う。我が家の出産はめちゃくちゃ安産だったことに気付かされる。
息子の時も、初産にしてはおそらくスムーズな出産。確かに陣痛のある時間は痛かったものの、分娩台に乗ってから、3回ほどのいきみででてきた。娘なんて、陣痛から2時間という、驚異的なスピードで出てきた。
生まれる時から、私に対して、本当に優しい子たちだ。
息子の優しさは、今では母だけじゃなく、家族や友達、先生、身の周りの人たちにまで広がっている。
娘も、お兄ちゃんや、園の先生に優しさを、少しずつ広げている。
優しさを分け与えられる子に育ってくれて、母として、とても嬉しいことである。
さて、今回、調べた下関市、実は、私自身ゆかりがある土地でして、実は父の実家であり、小学校低学年まで住んでいたんです。2番目に長く住んでいるので「2つ目の故郷」。下関での記憶は、幼少期の記憶。正直、記憶にあまり残っていないのだが、この時の私は、今と変わらず、真面目な性格で、お話、お出かけ大好きっ子だったように覚えている。
我が息子の真面目さ、お話好きは私譲りなんだろうな。
我が娘のおてんばさは私譲りなんだろうな。
と、私の幼少期の記憶と、我が子たちの性格を照らし合わす。
今、子どもたちがこの地で感じたことを、母もこの下関の地で、おんなじことを感じていたのかもしれないと思い馳せる。
さらに我が家の情報を加えるなら、我が家のパパも独身時代(9年前)にこの毘沙の鼻、訪れていたようで、「いやー、9年前の俺は、2人のパパになって、訪れるなんて思わなかったよ」なんて笑いながらいう。さて、土地を訪れ、何を感じたのやら。
母になって、父になって、下関、吉母の地を訪れて、子の成長、自身の成長を改めて感じた、下関旅行となりました。

































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