お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

ペーパードライバーお母さん、腹を括る。

私は、筋金入りのペーパードライバーです。

大学4年の時に免許を取りましたが、
車の必要ない地域にしか住んだことがなかったため、
免許証は『身分証明書』となっていました。

がしかし、7年前に岡崎市に転居。
筋金入りのペーパードライバーが、
『筋金入りの車社会』な街に住むことになってしまいました。

我が家の最寄バス停。
今はこれより本数が減ってます。かろうじて1時間に1本保ってる感じ。

バスに乗ったからといって、行きたいところに行けるわけではありません。
車社会の街の作りになっているため、
基本的に施設や店は「車で行きやすい」ところに作られています。
ゆえに、車に乗れない私は、
自力で行ける場所がほとんどありません。

岡崎は、駅前がまったく栄えておらず、
公共施設も駅前にはありません。
支援センターも車で行くには便利なところにありますが、車じゃないと行きにくいです。
長男が2歳くらいの頃は、ベビーカーに乗せて30分近く歩いて行ったものでした。

長男が2歳半の時に電動自転車を買い、
行動範囲は広がりましたが、
それでも、雨の日とか、遠いところとかは行けません。

ちなみに、長男の月イチ皮膚科通院も、
車なら15分のところを、バス乗り継ぎで1時間かけて通っています。

そして、次男が生まれ、2人の子持ちになり、
ますます身動きがとりづらくなりました。
夏休みは、あの酷暑の中2人連れて外出するのは不可能だったので、
平日は完全に引きこもりになりました。
バス停まで歩いて5分、屋根もなく、
あの暑さの中でバスを待つのは、さすがに無理でした。
しかも、バスに乗ったからといって、すんなり目的地に行くことはできない。
小学生と未就学児の子どもを同時に屋内で遊ばせられる施設は、岡崎にはないので、
(そもそも児童館がない)
近隣の市まで行かないといけないからです。
他のお母さんたちは、みんな車に乗れるので、
車で近隣の市に行っています。

近隣の市は、駅前に公共施設があったり、
コミュニティバスが走ってたりするのに、
岡崎はとことん『車社会の街づくり』になってることに、ほとほと嫌気がさし、
岡崎が大嫌いになったこともありました。
「高齢になって運転できなくなったらみんなどうやって生活するの?
どこに行くにも今は車使ってるけど、
免許返納したら病院とかどうやって通うつもり?
どうやって買い物するの?どうやって友達と会うの?
みんなそういうことちゃんと考えて生きてる?」
と街中に叫びたくなるほど。

・・・でも、そんなこと叫んだって、何も変わらない。

「岡崎で車なしでよく生きてるね」
と、何度言われたことか。

『運転できないから行けません』
岡崎に来て6年あまり、そんな言葉を何千回何万回と言ってきました。

こんな生活があまりにも嫌で、
でも私は、ここから引っ越すことは一生できない身なので、
「だったら、都会に別宅構えようか」とか、
「いっそのこと夫と別居しようか」とか、
現実的でないことを本気で考えたりしてました。

そんなこんなで6年。
そして年越し、2020年。

1月3日、突然、降ってきました。

「運転、練習する」

昨年、お母さん大学の活動を岡崎で始めて、
車が運転できない不便さをあらためて痛感していました。
岡崎、というか、愛知県自体が車社会。
私は愛知県中にお母さん業界新聞を広めたい、けど、運転できないと、広げるにも限界がある。

さあ、どうする。諦めるのか?
いや、諦めたくはない。
せっかくここまでやってきたのに、ここ止まりなんて悲しすぎるし、イヤだ。
もっとたくさんの人に知ってもらいたい。

「運転、がんばる」
それを聞いた夫はびっくりしていましたが、
「いいよ、がんばれ」と、車庫のシャッターを開けてくれました。

とりあえず、道をよく知っている近所をぐるっと1周。
それを3日連続で練習しました。

3日連続で運転したのは、人生初です。
1日目は、サイドブレーキを解除し忘れ、途中でエラーが出て気づき、
2日目は、サイドミラーを閉じたまま運転し、これまた途中で気づき、
3日目は、ミスはなかったものの、交差点でなかなか曲がれず、後ろに車に付かれてめちゃめちゃ焦り、

スイスイ走れるようになるのはまだまだ当分先ですが、
それでも、
『運転席に座ると魂が抜けそうになるくらい怖い』
という状態は脱したので、
かなり進歩です。

あれだけ頑なに乗るのを拒んできましたが、
3日連続乗ってみて、
なんか未来は明るい気がしてきました。
「別宅」とか「別居」とか、そんな考えはだいぶ薄れました(笑)

『運転できないから行けません』
その言葉も、今年中には卒業できるかな。

2020年の幕開けに、お母さん大学の活動をきっかけに、腹を括ったというお話でした。

お母さんも夢を見よう!
私の夢は「運転して好きなところに行く!」です!

6件のコメント

腹をくくれるまでになったのは、不便だけではなくお母さん大学新聞を広めたいという夢を持てたからこそ。
車に慣れるまでは緊張続きでドット疲れてしまうでしょうが、その先に光が見えるはずです。
頑張ってね!
娘もこの記事を読んで、同じペーパードライバーの悲哀を感じながらも自分は不便さにはないところにいることが
有り難いというのが本音です。
娘が必要性を感じる頃には自動運転が安全になればとと願っています。

ありがとうございます!
今はまだぜんぜんヨレヨレですが、
頑なに運転を拒んでいたガチガチの心を動かしてくれたのは、間違いなくお母さん大学です。
自分の不便さだけなら、今までもこれからも我慢して生きていってたと思いますが、
お母さん業界新聞を広めたいという夢が、私をここまで引き上げてくれました。感謝しかありません。
娘さんも読んでくださったんですね!ありがとうございます!
私も、あのまま川崎市に住み続けていたら、きっと運転することはなかったと思います。
実際、子どもがいても特に車必要なかったし。
運転できないママ友もたくさんいました。

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ABOUT US
天野智子
MJプロ/みそまるマスター/お母さん大学岡崎 代表/ 中学1年生と小学1年生の男の子2人の母です。 名古屋市出身、愛知県岡崎市在住。 旧家の農家の跡継ぎ長男の妻として敷地内同居中。 日々試行錯誤しながら、育児に奮闘しています。 育児は難しい!でも幸せ。 その間を行ったりきたり・・・な毎日です。