お母さん大学では、ブログ発信とは別に、「わたし版」というB4サイズの新聞をつくろう!と呼びかけている。
忙しい毎日だが、月に一度、半径3メートルの世界を書き残そう。それは、将来の自分と子どもへの贈り物。
11年前、北九州に住む岸川美砂代さんは、手を挙げて「わたし版」をスタートしてくれた。
だが、そこから2年目のある日、思いもよらぬ出来事に見舞われた。そして9年という月日が流れて今…。
予兆
2016年2月初旬。私はひどい頭痛と手先のしびれ、平らなところでつまずいてしまう、言葉が上手く出てこない、そんな症状で大きな病院で検査をしてもらった。もちろん全身、頭のCTも…。でも医師は「何も異常はないですね。更年期でしょう。頭痛薬出しておきますね」と超軽いノリの、明るい声と笑顔。
「えっ、でもとっても体調が悪くて不安なんです」と訴える私に「そんなに心配せずにね。はい、次の方」と返事をし、わずか5分で診察が終わった。
不安を抱えたまま自宅に戻り、いつもの生活をしていたが、変わらずひどい頭痛が続き、痛み止めを数時間おきに飲みながら、家事をこなし読み聞かせイベントを開催した。体調不良を「気のせい」とごまかしながらの日々だった。
突然の出来事
2月9日、地元ラジオの生放送の日。私はラジオに出演し、お母さん大学のこと、ペンを持ち、お母さん記者として書き始めた「わたし版・ほっこ♡リード版」のこと、その楽しさを話すゲストだった。
順調に生放送のオンエアーが進む中、だんだんナビゲーターの声が聴こえなくなり…。私はついに倒れ込み、1週間前に検査をしてもらった病院に緊急搬送された。
脳梗塞だった。それも、とってもまれな「スウィート脳症」。緊急手術後、目覚めたICUで私は泣いていた。左目が見えない。左手と左足が全く動かない。話したい! 声が出ない! 失語症だ。私、生きているの? どうなの?
残った右目で見える世界は白。病室の白さと忙しく働くナースの白。そして、聞こえるのは、命をつなぐ医療機器の音だけだった。


『ほっこ♡リード版』
病院とリハビリ
家族にはすぐ会えたそうだが思い出せない。ベッドに横になったまま寝返りもできない。紙おむつをされ、不安ばかりが大きくなる。ナースは多忙で話もできない。そんな中、時々来てくれる主治医の先生は、とても穏やかで癒された。先生と筆談で会話した。
先生は私が絵本の読み手だと知ると、子どもにおすすめの絵本は何かとしきりに聞いてきた。一人娘ぞっこんの新米パパで、「いつか元気になったら、ノンタン絵本を読み聞かせて」と指切りをした。動かない左手にドクターの指をしっかりからめ、「指切りげんまん!」と歌ってくれた。
絶望の中の私にも、また読み聞かせができる日が来ると、希望の光を見出した。体調が少しずつ良くなり、食欲が出た頃に退院。その後はリハビリの専門病院に転院した。
リハビリは本当に大変だった。30秒も自立できない私をマシーンで立たせ、立つ、歩く、座る訓練をした。3分も座っていられず、どうやって身体を動かせばいいのか、一歩の踏み出し方もわからなかった。言語発音の練習は声がのどの奥につっかかり頭が回らない。
だが、少しずつ毎日のリハビリに慣れ、杖をついて歩くことが楽しくなり、病院の中庭を散歩できるようになった頃、やっと自宅へ戻れた。
自宅での生活
待ち望んでいた自宅生活だったが、一日中寝てばかり。家事も何もできず、妻として母として情けない障がい者の私。家族の重荷になっている、迷惑をかけているのではないかと考え、一人の時間が辛すぎた。
そんな時、心の支えになったのは、尊敬する渡辺和子さんの本『幸せはあなたの心が決める』『置かれた場所で咲きなさい』『見えないけれど大切なもの』などの本だった。
そこには、失ったものではなく得たものに目を向けよう。神様は乗り越えられない試練は与えない。必ず行く道、生きる道を用意してくださる。大切なのは希望を持ち続けることなど、たくさんの私への応援の言葉が綴られていた。
神様が残してくれた、小さな活字でも見える右目に感謝した。毎日その本を読み続けることで、私はたくさん笑えるようになった。仕事で疲れて帰ってくる主人や娘に、「おかえり!」と明るい声で迎えることを心がけた。
こんなにも不自由な身体の自分を愛し個性なのだと思えるようになった。車いす生活は、かわいそうな人じゃない。メガネと一緒。恥ずかしくはないし、みじめでもない。
外へ出ると、今まで見えなかった世界が見えてきた。地面に近い小さな花や虫を愛おしく感じ、小さな子どもたちがするように、指を差しながら名前を言って笑った。そして私は、短歌を勉強し始めた。
「アスファルトこじあけて /まっすぐ延びるたんぽぽに /強さを学ぶ春の陽光」「ひさかたの/光を浴びし花水木/満開となり/潔く白」
下手だけど、日記のように私は短歌を詠んでいる。
車いすで町に出ると
車いすはスーパーカーではない。ある日主人に押してもらって買い物へ。空の青さが美しく見入っていたら、突然車いすが転倒した。アスファルトの小さな穴、段差に車輪をとられ、前転して地面にたたきつけられた。私は恐怖で泣き叫んだ。顔も手も足も、全部が痛い! 鼻血も出たし、前歯も1本折れた!
主人は冷静で、パニックになる私をなだめつつ、起こして座らせると、何事もなかったように自宅に戻った。私のドキドキは止まらず。車いすにも、シートベルトのような安全装具が必要なのではと痛感した。
アスファルトの道は意外と凸凹していて、マンホールの上は滑りやすく、横揺れが心配だ。ベビーカーにも同じ悩みがあるだろう。多目的トイレは商業施設に必ずあるが、図書館や公共施設には意外とない。障がい者用の駐車場に健常者さんが停めていて、使えない時も少なくない。なんだか不満の塊のようだが、もう少しやさしいまちづくりが実現されたら助かるな。
車いすで出会う町の人々はやさしい。エレベーターの扉を開け、空間をつくって待ってくれたり、「大丈夫ですか?」と微笑みかけてくれたり…。手助けを、と行動してくださる方が多い。
目線が低いから、ベビーカーの子どもたちと目が合ってピースやバイバイをしたり。私の娘は23歳の社会人だから、孫のように小さな子どもたちとのふれあいはとてもうれしい。
社会の役に立ちたい
いつかまた、子どもたちに絵本を読み聞かせしたいと願っている私。なぜって、わが家には100冊ほどの絵本があるから、何かのお役に立てないか。私だって、誰かの、社会の役に立ちたいと思う。私自身をフル活用して、笑顔で生きてゆきたい。「障がいは私の個性、チャームポイントだ」と言えるほど強くなった。
私は泣かない。できなくなったことを数えるのではなく、できるようになったたくさんのことに意識を向ける。皿洗いに洗濯物たたみ、モップかけもできるし、歩いてトイレにも行ける。家の中なら自立歩行もできるようになった。
パソコンやスマホは無理だけど、「わたし版・ほっこ♡リード版」も復活させたい。今なら病気で苦しむお母さんたちの役に立てることがあるような気がする。たくさん話せるし、耳もよく聞こえる。だから自宅版「命のボランティア」みたいなこともしてみたい。
私は今、不格好な歩き方ではあるが、新しい世界に一歩、また一歩と歩き出したくてウズウズしている。
岸川美砂代
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