お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

夜明けまで新聞を配った、トランタンの青春時代

鹿児島のタクシー運転手さんはみんな、とても親切だった。
おすすめのお店を聞いたら、あちこちのいいお店を教えてくれた。

「ご旅行ですか?」と聞かれたので、
「TUBEのコンサートです!」と答えたら、

「あぁ、夏の人ね!」と、さすがTUBE!

「横浜からわざわざ来るなんて、すごいファンなんですね」と言うから、
「ファンではなく(お勝手)仲間です」と答えた。

「365日働いて、TUBEのコンサートの日が唯一のお休みなんです」と答えたら、
「なんの仕事?」と聞かれたので、「新聞屋です!」と答えたところ…

「新聞屋さん!!」と、やけにうれしそうに話し始める運転手さん。

「ぼくもね、若い頃やってたんですよ。
毎朝4時に起きて、新聞を配ってから学校に行っていたなぁ。
お客さん、今、いくらくらいもらってるの?
当時は1万円くらいだったなぁ」と、懐かしんでいた。

今さら「つくる人」とは言えなくて、
「安いんですよ。(新聞配るの)ほんとに大変ですよね」と返事した。

けど、私も新聞を配達していたことを思い出した。

今でこそ、ポスティングはしないけど、20年くらい前は、
1人でも多くの人に「お母さん業界新聞」を知ってもらいたいと、
「今月はこの辺に行ってみよう」と、毎月エリアを決めて
仲間たちとワイワイ、マンションの集合ポストに(お勝手)投函。
明け方近くまで新聞を配っていた時代があった。

よく働いた。若かったあの頃…。

「私はこっち」「私はこっち」と何手かに分かれ、
競争で新聞を配ったっけ。

翌朝、新聞の反響を楽しみにしたが、
購読の申し込みなど、一切なく…。

ふと、一枚のFAXに目がいった。
「うちは子どもがいないので、新聞をポストに入れないでください!!」
唯一あったのが、このクレーム。

夜明けの空が、どんより曇ったあの日。
(お母さん業界新聞の前身)
トランタン新聞時代の青春は、苦しく楽しかった。

オマケのエピソード。

そういえば、タクシー会社に
「お母さん業界新聞」を提案したこともあったっけ。

座席の前ポケットに新聞が入っていたら、
お客さんはほっとするし、お土産にもなるし、
と提案したが、採用されなかった。

お母さん業界新聞を配ったら、
間違いなく孤立をなくす「子育て支援タクシー」になるのに。

運転手のなり手がないと言われるが、
お客様を笑顔にするタクシーなら、働きたい人も増えるのでは?

話がそれちゃったけど、
また、新聞配達をやってみたくなったという話。

写真は鹿児島の西郷どん。

1件のコメント

朝起きて、ポストに「お母さん業界新聞」が入っていたらびっくりするし、嬉しいでしょうね!
「お母さん業界新聞」に出会った頃の私は、娘をベビーカーにのせて新聞が置かれている場所まで取りに行っていたことを懐かしく思い返しました。

唯一あったのが、クレームというお話。きっと手に取ったお母さんたちは「朝のバタバタを終えた後、新聞に目を通すので手いっぱいで反応できなかったのでは?」なんて思ったりもしました。

「365日働いて、TUBEのコンサートの日が唯一のお休みなんです」とは!!藤本さんの「誰かを笑顔にするためには、ちょっとめんどうだし、ちょっと大変だけど、それが自分の笑顔につながるよ。」とのメッセージ、藤本さんが実践なさっていらっしゃるのだと改めて実感しました^^ 私もペンをもち、前進します!!

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