お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

子育ての日々が、宝物になる時

家の整理をしていたら、懐かしいものが見つかった。40年前に書いた「赤ちゃん日記」。私の初めての育児日記である。恐る恐る開いてみると、案の定、三日坊主。いや、六か月坊主だった。しかも、これしか書けないのかーというほど、お粗末な内容である。

○月×日。生まれて4日目。お母ちゃんは少し疲れてきました。それは、あなたが夜眠ってくれないからです。毎晩、2~3時間の睡眠。しんどい。でも、あなたのかわいい顔を見ていると、なんともない。

○月▽日。お乳を飲むとき、おっぱいをひっぱって、顔を真っ赤にして怒る。今日も寝てくれない。けれど、かわいい。

○月◇日。昼間は全く寝ない。夜中まで起きていて、
抱っこするとご機嫌だけど、寝かすとすぐに泣く。もうクタクタの毎日。でも、本当にかわいくてたまらない。

眠れなくて辛い。でもかわいい。と、ただそれだけしか書いていない。表現力も感性もない文章だ。お母さん大学では、半径3メートルの世界に未来があると伝えているが、私の日記は、半径30センチメートルにも満たない世界である。

それに比べると、お母さん大学のお母さんたちが綴る記事の、なんと素晴らしいことか。それぞれの半径3メートルの世界が、ドラマのシーンでも見ているかのようにまざまざと浮かび上がる。

日記とお母さん大学の記事の違いは明らかだ。それは、読み手の誰かを意識すること。だからといって、かっこつけるわけではなく、無意識の中に「母ゴコロ」という意識が存在している。それが、お母さん大学が提唱するマザージャーナリズムなのだ。

11月は、児童虐待防止推進月間である。お母さんたちの書く記事が、どこかの町で、孤独な子育てをしているお母さんに届けば、「あ、私と同じ!」と、ほっこり笑顔が広がるだろう。

それだけではない。その記事たちが、何十年後かに、再び宝石のように輝く時が来る。子どもが母から巣立つ時、人生の岐路に立った時、命を感じるほどの出来事があった時。そして、母である最期を迎える時も。

母ゴコロの記事は、どんな時も、書く人の心に寄り添ってくれるのだ。
決して、あの日には戻れない。今、私にできることは、お母さんたちが安心してペンを持てる場を守ること。
毎日、お母さんたちの記事を読んでほっこり。遠いあの日に思いを馳せている。

(藤本裕子)

お母さん業界新聞11月号 百万母力

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