お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

お母さん

約40年近く前。裕福な家庭で育った父と、養子で苦労をした母。2人は22才そこらで駆け落ちをし、長崎から久留米に出てきた。

はじめは諏訪野町あたりの小さなアパートに住んでいたが、のちに南区へ引っ越したそうだ。

貧しい生活の中で私が生まれた。父はお坊ちゃんだったからか、なかなか仕事に行きたがらずだったらしい。そんな父に母は「里美が死ぬぞ〜」とお尻を叩き、仕事へ送り出す毎日だったそう。幼稚園から小学校低学年までの私は、本当にお母さんっ子だったそうで、どの写真を見てもべったりくっついていた。

しかし私が物心ついた時には、母はアルコール依存症をわずらっていた。行き過ぎかと思うほどの躾を受けてきた私は、母に対し、安心感より恐怖心を抱いていた。

アルコールを飲んでいない母は、おせっかいで気前がいい、ただのおばちゃん。こどものことを愛していて、私達姉妹をかわいいかわいいと、誰にでも見せびらかしていた。それは私が成人してからも変わらなかった。孫が産まれてからも、孫より子が1番だと言っていた。それほどに、私は愛されていたのだ。

普通にしていれば平和なのに、アルコールのせいで家の中はいつも緊張ばかりが走っていた。社会人になり、福岡から久留米に出た私は、一人暮らしを始めた。生きてきた中で1番安心して眠ることが出来た。なんでこんなことになったのか。それは夫婦にしか分からないが、私は元に戻ってほしい一心で、2人目の出産前に距離を置いた。5年は会わなかっただろうか。それほどに私は疲れ果てていた。

しかし義父の死をきっかけに、また一昨年から母と顔を合わすようになっていた。昨年はよく、ららぽーとへ美緒と隼人を連れて行っては大量に〝孫課金〟し、ため息をついていたが、どこか嬉しそうだった。

年末はのびのびになっていた、妹の子と、うちの子2人の3人で七五三参りに出かけた。姪と隼人には母が仕立ててくれた着物を着せて、美緒には祖母が用意してくれた袴を着せた。

今年のお正月は母の手作り料理を食べた。「やっと家族が揃ったね」と嬉しそうに笑う母に、あなたのせいですよ。と心の中でつぶやいていたのは内緒。

その時、「里美、なんかお母さんにあったら、この箱を見るとよ。今度場所変えたけん。」とタバコを吸いながら指示してきた。これは恒例行事。印鑑やら証書やら大事なものを入れてる。と私に伝えてくるのだ。鬱陶しいなぁ。また死ぬ話かい。そう思いながら、ハイハイ。と話を聞いていたのは12/30だったか。ピンクの箱が記憶にうっすら残っていた。

こちらにも投稿したが、2月には母の弟が逝ってしまい、長崎の葬儀場で家族の時間を過ごした。美緒が人は亡くなったら樹になる。といったのを聞き、母はなんだか誇らしげな顔をして、お酒をのんでいた。

そんな母が3/1に死んでしまいました。

何の前触れもなく。突然。

前日は父と焼肉を食べに行き、好きなビールを飲んで、ご機嫌で美容室にも行っていたらしい。

早朝に自宅で倒れているところを父が見つけ、搬送されたのだが…なんの原因かも分からず、具体的な診断名もつかなかった。

病院の支払いをする際、父が母の財布から払っていい。というので、中を覗くと、35000円。受診代がきっかり入っていた。焼肉に美容室に、お金まで。死に支度でもしていたのかい。と突っ込みたくなった。

いつも母が何でもやっていて、頼りない父。その横で私が様々な手続きをしながら、波のように押し寄せては引く悲しみに、自分でもついていけず。ただただ、泣いたり笑ったり、怒ったりしていた。

母が言っていたあの箱のことも、感情の波に押されてなかなか思い出せず。しばらく「お母さん。何色の箱だっけ」と母の顔を眺めていたのだ。

母はお雛様の日に旅立っていった。

母が作ったお雛飾りや、大好きな花、こども達が買いた絵や写真、ビールやスイーツ、お刺身。大事にしていた猫のぬいぐるみ。たくさん持って行った。お母さん新聞を入れたらよかった。見せていなかった。

「何も心配せんでね」「大丈夫やからね」「たくさん苦労かけたけど、こどもらができて幸せだったね」

そう父が言っていた。

雨の中、姉妹で選んだ大好きなリネンの服に、鮮やかなスカーフを巻いた母は空に登っていった。

母が私に2月の末「いちご狩りに連れてって!」とラインしてきたが、つい私は返事を返さなかった。なんだか飲酒している日々がフラッシュバックしてしまい、私は母に返信出来ないのである。

電話すればよかったのか、ラインを返せばよかったのか。でも後悔はしていないのだ。不思議なことに。

ただ…家族でいちご狩りに行きたい。と思い、父も母も妹家族も連れて、先日行ってきた。毎年のいちご狩りは、我が家の恒例だったから。

姪や美緒が「ばーばに!」といちごをたくさん写真の前に並べた。

毎日は流れるようにやってきて、時は止まらない。父は母に鍛えられた家事力で乗り切っている。どんなことがあっても、また明日がきて、明後日がきて。

でももうそこに母はいないのだ。

美緒が「もうばーばの声忘れちゃった」というけれど、私はずっと忘れはしない。

今も「さとみー」と。私を呼ぶ声がするのだ。アルコールを飲んでいない、元気で優しい母の声なのだ。

お母さん。なんでこんなことになってしまったかな。もっと、普通に一緒に時間を過ごせたら、どんなに良かっただろう。他人の幸せそうな家庭を見ると、私はいつも羨ましくて仕方がなかったよ。

母親を心から憎む人はきっといないんじゃないかな。少なくとも、私は憎んではいなかったよ。

今から先、もうお母さんはいないのだけど、一緒にやりたかったことを父を連れ回して一緒にやっていこう。

美緒や隼人が立派に育って、私がそちらにいったら、「馬鹿な子やね」って笑って迎えてね。

その日までまたね。

感謝を込めて。