お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

朝露光る、今日という日

Screenshot

スマホの中の写真や待ち受けが、いつの間にかペットの犬ばかりになっている。

子どもたちが小さかった頃は、何をしていても写真を撮った。

寝ている顔も、変な顔も、くだらないことで笑い転げている顔も。

あんなに大好きだったのに。

いや、今だって大好きなのに。

それなら今も、待ち受けは子どもたちであるはずなのに。

なんだか、つじつまが合わない。

この頃、そんなことを考えて、少し切なくなっていた。

こないだの日曜日は、朝からきれいな秋晴れだった。

朝露に濡れた草に、やわらかな朝日が差して、小さな水滴がその光を受け、あちらでもこちらでもキラキラしていた。

太陽はただ光を注いでいる。

鳥がさえずり、草花には虫が集まってくる。

誰かが誰かを支え、誰かが誰かと出会い、それぞれが自分の場所で生きている。

なんだか、今の子どもたちみたいだと思った。

この日、三人はそれぞれ違う一日を過ごした。

一番上は、部活のイベント。
終わったら、新しくできた仲間たちとお疲れさま会をするらしい。

真ん中は、新しいダンス仲間から突然、遊園地に誘われた。
「行く!」と飛び起きて、朝からルンルンで支度をしている。

一番下は、私とプールへ行く。

それぞれ違う場所で、

それぞれの人と、

それぞれの時間を過ごす。

もう、私がカメラを向けていた小さな世界の中だけで生きている子たちではない。

自分で人とつながり、

自分の世界をつくり、

そこで笑っている。

朝露が太陽の光を受けて輝くように、

子どもたちも、それぞれの場所で、いろんな人の光を受けながら輝いている。

それぞれの世界で笑って、誰かとつながって、何かをもらって、きっと誰かにも何かを渡して、そしてまた、同じ家へ帰ってくる。

でも、私は知っている。

この循環が、ずっと続くわけではないことを。

いつか、

「行ってきます」と出ていった子どもたちが、

この家ではない場所へ帰るようになる。

三人分の「ただいま」が聞こえない夜は、

スマホの写真が犬ばかりになったことなんかより、

ずっと寂しいのだろう。

でも、それでいい。

子どもたちは、同じ場所にとどまるために育っているわけではない。

終わりがあることを知っているから、

こんな何でもない朝が、

今日はやけに美しく見えるのかもしれない。

――なんてことを考えていたら、

ピコン♪

長女

「PayPay 2000円送ってー」

……。

ったくぅ、母のPayPay、勝手に循環に組み込むなよぉ。