我が家の土日は、障害の重い息子25歳を連れて主人と3人で出かけるのが定番。
でも、暑い暑い暑い。どこか涼しいところへ、で栄区のあーすプラザに行ってみた。
あの日のオルガンとトークセッションが開催。
戦後80年だなと、青柳さんの記事を思い出す。この映画は、園児53人を東京から埼玉へ集団疎開させた実話を元にした「疎開保育園」のお話し。
あらすじはネタバレになるので感想を。
我が子が園児だったら、私はどうするだろう?
今のように情報がスマホでサクサク入手できない時代、何を頼りに決断していたのか。
有り余る溢れる情報を入手できる今が幸せなのか、情報がなくでも情報に惑わされない方が幸せなのか、そんなことをボーと考えた。
戦争の話しで2つ心に刻まれていること。
一つは言問橋。東京大空襲の際、多くの犠牲者を出した場所で、その橋に今も残る人の脂で黒くなった壁を目の当たりにして、胸が苦しくなった。

もう一つは島唄。でいごーの花が咲き〜♪で始まるお馴染みの曲だが、実は裏の意味がある。
その歌詞動画の一例はこちらhttps://youtu.be/DKB41krUnVU?si=mD-E-ji-UliVfwwM
この歌詞でフラとカチャーシーの振り付けを考え、沖縄の観光協会に呼ばれて以前踊った。
泣きながら。
自決する振り付けをしたあと、会場から声をあげて泣いている人の声が聞こえ、私も涙が溢れとまらなくなってしまったのだ。

私は戦争を体験していない。父と母は戦中たいへんな子ども時代をおくっていたが、疎開していたため戦火を知らないそうだ。
今日あーすプラザに来たのは偶然ではなかった。戦争を忘れないで!そう私に言われたのだと思う。
私にできること。忘れないために、これからも島唄を大事に踊って行こう。そう思った戦後80年の夏でした。
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