本日、私用で子2人を預けて、半日1人時間。その時、途中に踏切に引っかかる。
独身時代は「踏切になんて引っかかると時間がかかる」と良い印象なんて皆無だった。
我が家の坊ちゃん、1歳からこのかた、3歳。こよなく、踏切を愛す。
踏切をみれば、「かんかん!」と喜ぶ1歳時。
次第に、踏切を見に行くのが楽しみで、散歩コースにあれば、座って鳴るのを待ち侘びる2歳時。
今では、踏切を探すなんてお手のもの。遠くでカンカン聞こえれば「ふみきりなっているね」。仕舞いには踏切がある場所まで覚えている3歳時。
「カンカン」と言っていたのが、「ふみきり」になった我が子。
私も息子の反応が楽しくて、車に乗っている途中、踏切を見つけると、息子の席の窓を開けてあげる。
本日の行き道、踏切が鳴り、一旦停止。
後部座席の車内の窓を開けようと、手がボタンに伸びるが、ふと気づく。
「今日はいないんだった」と。
同時に「あー、子ども生活が染みついているな」と秋の風のような少し寂しい気持ちになった。
































後部座席の窓を開けようと〜、に胸がじん。です。
じーんとしていただけましたか?
反射ってものですかね?笑
ふと、「息子は今日乗ってないんだった、あーこうやって1人の時間もできてくるんだな」と少し寂しさ混じりで成長を感じました。
子どもたちが大きくなっても、中平さんは、電車の音がするたびに、
手が伸びますよ。
私も、国鉄久留米駅近くで子ども時代を過ごしたので、今でも電車の音に心が惹かれます。
私自身、電車なんて全く興味がなかったのです。息子のおかげで、私も踏切の音を聞き漏らしませんし、電車は名前も覚えちゃいました。笑
たしかに、藤本さんに言われて想像してみましたが、おそらくいつまでも踏切の音が聞こえたら開けるかもなと思います。
なかなか母としての風情を感じる行動ですねー。