お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

1月17日は何があったか知っていますか。

昨日

「1月17日は何があったか知っていますか?」

といろんな人に聞いてみた。

みんな

「何の日だったかなぁ?」と。

 

1995年1月17日

その日私は神戸に住んでいた。まだ独身で一人暮らし。

早朝5時46分、寝ている身体が飛び上がり、地面が大きく揺れた。

あちこちで「きゃー」と叫ぶ声が聞こえて、ただごとではないことが起こっていると思った。

すぐに、同じマンションの方が「大丈夫か?」と一軒ずつ回って声をかけてくれた。「ホッ」とした。

「ゴーッ」という地鳴りがずっと続いて怖かった。

明るくなり、辺りが悲惨なことになっていて、こんな事が本当にあるのか?現実なのか夢なのか、どうすればいいのか、頭がパニックになった。

 

改めて、あの日のことを思い出した。

5件のコメント

田中さん
あの震災を経験したんですね。
関東は何の揺れもなかったので
朝テレビを付けて、画面にうつる世界に
呆然としたこと覚えています。
何が起きたのか、それが現実なのか
無残な町の姿に、言葉もありませんでした。
まだ鮮明に脳裏に焼きついている光景から
23年もたってしまったのですね。
大変な体験をした田中さん
今度話をお聞きしたいです。

昨夜,NHKで震災遺児の追跡番組を見ました。
孤児はいなかったのかな…と戦災孤児という言葉と重ねてみながら。
戦災と震災は大きな違いがありましたね。
大阪に出ればいつものネオンきらびやかさがあって・・・という話が当時出ていましたから。
その戸惑いと同じ日本の中で大きな穴に落とされた気分になったであろうことを思い描いました。
話を番組に戻すと、取り上げられた遺児はそれぞれに頑張っていて胸に突き刺さるような部分もありました。
強烈だったのは当時両親を亡くした女性がお産の時に「パパとママに会いたいよ~」と泣き叫んでいた場面です。
そしてその後二人の娘を育てながら、ずっと自分の生きる意味を問い続けながらいつ両親に会えるだろうか・・・という思いも
出てくる様子で、それを長女が祖母から聞かされていることもあり気遣っているのでした。
他に出てきたのは男性たちでしたが、やっぱりそれぞれに自分が生き残った意味を問い続けているんですよね。
今の時代は恐らく生きていくということの問いをどこかで思いながら育っていく子ども達も増えているのではないかな・・・と
それをチャンスに考えながら大人は一緒に学習していけばいいなと思いました。

田中さん、1月17日の震災の時、神戸だったんですね。
私にも、よかったら、その時のお話をお聞きかせください。

主人が、震災の後、神戸に仕事の関係で行き、ものすごくショックを受けていたのを思い出します。
その時のことを主人は話したがらないです。

清美さん、教えてくださりありがとうございます!

あー、反省反省です。

なんて私はダメ母なんだろうー

17日、我が子の通う小学校で避難訓練がありました。

前日から子どもたちがハンカチを持って行かなきゃと準備していて、
雨が降るかもね~なんて心配していたのですが、

雨の心配とかじゃなく、大切な話をしなくちゃいけなかった~

きっと、学校でなんでこの日にするのかは話があっていると思うので、
今日にでも子どもたちともう一度話してみようかと思います。

ぜひ今度お会いした時にでも、私も聞かせてください!

なかなか話す機会が無かったのですが、地域のつながりとか助け合いとか、お母さん大学の活動につながるのかなぁと思っています。この貴重な経験をお話出来るよう、まとめてみたいと思います。

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ABOUT US
田中清美
横須賀支局の田中清美です。横須賀在住、4人の子ども(19歳15歳13歳11歳)と夫の6人暮らし。毎日ドタバタ、にぎやかに(やかましく)過ごしています。 今年5月に横須賀版創刊準備号、7月より横須賀版を創刊。横須賀版編集長としての責任の重さを感じながら、日々精進しています。持ち前のデタラメお母さんっぷりは健在。お母さんを楽しみながら、横須賀のお母さんを笑顔にする活動を続けています!