〝子育ては孤育てじゃなかったかも〟
お母さん業界新聞で椛島里美を特集していただいた際、私が書いた一文である。
最近私は、やっぱり子育ては孤独だと思っている。
私は「医療的ケア児」のケアを行なっているのだが、重症心身障害児の子どもちゃん、家族の日々のケア、訪問看護が仕事だ。毎日、子どもらの笑顔に元気をもらっている。
看護師になって20年。ずっと彼らが生死の境にある瞬間の看護や自宅に退院するまでの病院での看護、退院支援を行っていたが…
お家に退院した子どもや家族はあまりに孤独だと、それを今更ながら体感している。
こどもを保育園に預かってもらえないこと
病児保育に預かってもらえないこと
必要な医療機器をすぐ購入できないこと
必要なリハビリ器具を作成できないこと
病状の具体的治療をすぐに行えないこと
必要な制度を活用できないこと
お金や生活、母親自身のキャリアに関する悩み
様々なことがハードルになり、身動きがとれない。いわゆるケアマネ(こどもの場合、相談支援専門員)があまり動いてくれない。主治医に心配なことを相談したいが、受診は3ヶ月先。在宅医はいない。お役所はお役所仕事…。
買い物に行こうにも、こどもを残して行けない。パパに託して買い物に出たら、ママの姿を探して、裸足のまま外に飛び出している。
訪問看護を使ったら?デリバリーは?じいじばあばは?ともしかして思うかもしれない。しかしそれでは不十分。生きていくことは、毎日続く。日常は連続であり、単発的なものではない。毎日の生活を何かしら我慢しているのだ。小さな家の中で悩みながら、解決もせず生きている。
そんな子どもや家族は孤独だと。私はそう思う。
私のような訪問看護師が訪問するから、よかったね。孤独ではないよ。と思うかもしれない。しかし、それでは不十分。私も他のスタッフも、家族を支えるために奔走してはいるが、不十分なのだ。
もっと、医療的ケア児や発達障がい児、全ての子どもと家族が孤独にならない子育ては出来ないものか。と、日々感じている。
今日の訪問先のお母さんは、自分が発熱しながらも、こどもの世話をしていた。ゆっくりしてて。と促しても。「なんか動いちゃうんです」とシャカシャカ働いていた。
先程帰宅して、ビールを飲みながら…どうにか出来ないんだろうか?と考えあぐねていた。
皆さんの周りに、もしかしてそんな家族がいるかもしれない。もしもどこかで見かけて、困っていそうだったら、何にも出来なくても声をかけてみてほしい。
よろしくお願いします。






























椛島さん、記事の中の「小さな家の中で悩みながら、解決もせず生きている。 そんな子どもや家族は孤独」という言葉にハッとしました。「医療的ケア児や発達障がい児、全ての子どもと家族が孤独にならない子育て」が大切だという気持ちもより強くなりました。
先日『傷を愛せるか』という本を読みました。相手に対し、自分ができることなどわずかと認識した上で「見守る」ではなく「見る、見つめる、見届ける」という姿勢で周囲に接するという内容が書かれていました。
私にできること。
小さいかもしれないけれど、孤独な子育てを体感したことがあるからこそ、「あなたたちはひとりじゃないよと」と声をかける、見つめていくことができたらと思います。
田久保さん
家族内に障がいを持つ子や介護が必要な方がいらっしゃる場合、閉鎖的な家庭になりがちだと
学びました。自分の無力さにため息が出る日が続いています。
傷を愛せるか。読んでみたいです!見守るから、見届けるへ…色々な場面で活かせそうです。素敵な言葉。明日から私も心がけてみますね。
医ケア児はマイノリティかもしれませんが、だからこそ孤独にしない仕組み作りを頑張っていきます!
『傷を愛せるか』とても読み易い本ですので、お時間がある時にでもぜひ!
感想ぜひお聞かせください^^
私は椛島さんのように在宅医療に関わっているわけではないのですが、福岡市博多区で起きた医療的ケア児童の事件の記事は今も手元に残しており、ご家族の支援やケアの重要さを感じました。
「少しでも少しづつでも自分にできることをしていく」ことが今の自分の理念ですが、
どうかどんなご家庭でも孤育てがなくなっていってほしいと思いますね。
ありましたね。そのニュースは私どもの記憶にまだ新しく残っています。お母さんを責めることができない。ただ退院させて、おしまいではならぬ。ということです…