お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

読めないノート

前回初めまして!の投稿をさせて頂きました岡村です。

お母さん大学の投稿なので、やはり出産のことは思い出さなくてはいけません。

私には11歳5年生の息子がいます。

11年前の出産は少し特殊で、彼は26週、547gで生まれてきました。

いわゆる超低出生体重児で、全身麻酔の帝王切開の出産だった私が彼に会えたのは、産まれてから2日後でした。

7か月検診で異常が見つかり救急搬送されましたが、自分としては自覚症状がないし、絶対安静ではなく、高血圧の食事制限以外は自由行動だったので、入院してすぐにコンビニでノートを買いました。出産の22日前でした。

この、予想もしていなかった混乱状態を少しでも整理したかった、そして自分の気持ちや、先生に言われたことを記録にしたかったので、毎日日記をつけることにしました。

そのノートは、実は見るのが辛くて、結局今でもきちんと読むことができません。

今回投稿するのに、久しぶりに引っ張り出してきましたが、やはり胸にグッときて、きちんと読むことはできなそうです。でも、一生懸命書いたイラストだけはチラッとのぞいて面白いのでちょっとだけお見せしちゃおうかな。

生まれる前は想像なので、こんな感じです。

生まれた後はこういう感じ。

絵心は・・・あまりありません。。

そして、ノートの中身は、ほとんどが毎日診察後に辛辣なことを知らせてくる先生の悪口と(今は感謝しかない)、暇なのでネットで早産を検索した不安、そして気を紛らわすために狂ったように読んでいた小説の感想、まだ名前も決めていなかったので仮でつけていた「まゆすけ」へのメッセージでした。

先生から言われたこと、産まれて3日が峠です。それを超えたら1週間です。それを超えたら10日です。それを超えたら1か月です。って、どんだけ峠あるねん!!ずっとじゃん!!それを超えても予後は悪と思います。一生歩けないかもしれないし、目も見えないかもしれないし、医療ケアが必要で24時間かかりきりになるかもしれません、そんなことを毎日聞いていて、不安でぐずぐず泣いたりしていたけれど、家族、看護士さん、先生、そして誰よりパパが前向きに支えてくれたことを、改めて思い出しました。

まだ皮膚が出来上がっていない、赤黒い肌に、たくさんの管が繋がれていた息子、お世辞にも可愛い赤ちゃんとは言えなかったけど、パパは、すごくかわいいーー!と目を細めていました。赤ちゃんに触れた機会が少なすぎて、小ささもよく分からなかったそう。どんだけ呑気だよ、と当時は少しイラついたような気がするけど、そんなところにかなり救われました。

産後の恨みは一生というけれど、産後の感謝も一生続くよなー。

そしてこの時に出会ったNICUの看護士さんや友人は、今でも大切な存在です。

辛いこともあったけれど、素晴らしい人たちに出会えた、出会わせてくれたのもまた息子です。

このノートのおかげで、あの辛かった時期があったからこそ、発達がゆっくりな息子でも、生きてるだけで丸儲けなんだ、おもらししたって、笑ってくれるだけでこんなに幸せな気持ちになるんだ、と思わせてくれる。

いつかこのお守りのようなノートをきちんと読める日が来るかしら。

悪口多すぎて息子には見せられないかなー。

でもいつか、産まれる前からあなたのことこんなに思っていたよ、早く会いにきてくれてありがとうと伝えたいなと思います。