お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

お前もな からの、脱却

高校二年生の長女が、まあ、やらかす。

勉強もせず、遊び呆けて、連絡もろくによこさない。

まったく、誰に似たんだか。

そんな愚痴を大学時代の友人にこぼしたら、

「あんたのまんまやん」

は?

「あんたにそっくりやん」

はああ?

さらに、私が新人時代に散々お世話になった先輩にまで、

「あなたも、よっぽどだったよ(笑)」

と言われた。

おいおい^^;

どうやら私は、変な言い訳で遅刻したり、仕事を休んだり、悪い男に引っかかったり、なかなかの問題児だったらしい。

……らしい、というのは、本人にあまり自覚がないからだ。

ところが、今朝。

ふいに思い出した。

そうだ。私、高校生までは本当にお利口だったんだ。

親の言うことを聞いて、期待に応えて、ちゃんとしていた。

その反動なのか、大学に入った途端、見事にはっちゃけた。

でも、あの頃の私には、どこかでこんな気持ちがあった。

「今まで頑張ってきたし、こんな私でも、許してほしい」

ちゃんとしていない私も。
失敗する私も。
どうしようもない私も。

それでも、私でいていいよって、言ってほしかった。

あれ?

もしかして、娘もそうなのかな。

夜遊びする私も、勉強しない私も、親の期待どおりにならない私も。

それでも、許してほしいのかな。

そう考えたら、急に娘の姿が違って見えた。

いや、だからといって午前様を認めるわけではない。

そこは別だ。

別なんだけど。

じゃあ、許すって何だ?

悪いことをしても、いいよいいよと言うこと?

違う気がする。

怒らないこと?

いや、怒るやろ。普通に。

考えているうちに、ふと、自分の中にある妙な決まりごとに気づいた。

悪いことをしたら、罰を受けなければならない。

そして、罰を受ければ、ようやく許してもらえる。

どうやら私は、ずっとそんなふうに考えていたらしい。

だから、娘が何かやらかすたびに、厳しく叱った。

反省しなさい。
自分のしたことを考えなさい。
もう二度としないと約束しなさい。

そうやって、娘が十分に反省して、罰を受けたら、ようやく許せると思っていた。

でも、叱っても叱っても、安心できなかった。

むしろ、どんどん不安になった。

また同じことをするんじゃないか。
このまま大人になったらどうなるんだろう。
私の育て方が間違っていたんじゃないか。

そして、もっと厳しくしなきゃと思う。

いつの間にか、娘を叱ることが、娘を罰することになっていた。

それだけじゃない。

私自身も、ずっと罰していた。

私の育て方が悪かった。
もっと厳しくすればよかった。
もっと話を聞いてやればよかった。
あのとき、こうしていれば。

頭の中で、何度も何度も子育てをやり直す。

母親なんだから、ちゃんと育てなきゃ。
間違ったことをしたら、叱らなきゃ。
でも、どんな娘でも愛さなきゃ。
理解してやらなきゃ。

……ああ、もう。

「なきゃ」が多い!

母親って、なんでこんなに自分に命令するんだろう。

しかも、その命令を守れなかったら、今度は自分を責める。

ちゃんと育てられなかった私は、悪い母親。

だから、私も罰を受けなきゃいけない。

娘を罰して、自分も罰して。

そうすれば、いつか全部許されると思っていたのかもしれない。

……ちょっと待って。

私、何やってるん?

自分で自分を有罪にして、娘まで有罪にして。

なんじゃ、そりゃ。

そもそも、罰を与えたら、ちゃんと育つんだろうか。

私が自分を責めたら、娘は変わるんだろうか。

……いや、そんなわけないか。

私がしたかったのは、娘を罰することじゃない。

ちゃんと育ってほしかったんだ。

だったら、罰を与えて過去の失敗に決着をつけるより、これからどうするかを考えたほうがいい。

そう思った途端、胸のあたりが、すうっと軽くなった。

……え?

こんなに簡単に?

いやいや、ちょっと待ってよ!

これ、自分に都合よすぎませんか?

娘が好き放題しているのに、育てた私が楽になっていいん?

なんか、ずるくない?

いや、でも。

私が自分を責め続けたところで、娘の帰宅時間が早くなるわけでもない。

私が苦しんだ分だけ、娘が立派になるわけでもない。

そもそも、私が苦しみ続けなければならない理由って、何だ?

ああ、そうか。

また罰を受けようとしている。

自分を責めるのをやめることさえ、許されない気がしていたんだ。

もう、いいんじゃないか。

誰かを罰することも、自分を罰することも、いったんやめて。

これからどうするかを考えよう。

もちろん、娘にはこれからも言う。

夜は早く帰ってこい。
連絡くらいしなさい。
自分の行動に責任を持ちなさい。

そこは譲らん。

でも、娘に必要なのは、罰を受けて許してもらうことじゃなくて、自分の行動に責任を持てるようになることなんだと思う。

そういえば、あの頃、散々迷惑をかけた私を見捨てずにいてくれた先輩は、今では周囲に私のことを、

「この人、めっちゃいいやろ?」

と褒めて回ってくれている。

人間、どうなるかわからない。

私だって、どうにかなった。

娘だって、これからどうなるかわからない。

そうか。

許すって、過去の失敗に白黒決着をつけることじゃない。

罰を受けて、帳消しにしてもらうことでもない。

「まあ、いろいろあったよね。で、これからどうする?」

そう言って、顔を上げて前に進むことなのかもしれない。

何度間違えても、見捨てないことなのかもしれない。

娘のことも。

そして、自分自身のことも。

私は、私を見捨てない。