お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

夢の実現と懐かしい場所に行きたくなる衝動と。

夏休み、ひとり帰省。 

なんとも贅沢な。

数日の夕飯を準備して、家族LINEにスケジュールを送った。

準備は万端。

帰省の目的は両親に会うことと…。

実家から都市高速を使って30分ほどの場所に住む姉は最近よく言う、

「親が元気なうちに親孝行せなね」。

今年のお母さんが夢に乾杯する日に宣言した「母と見上げたあの夏の日の降ってきそうな星空をもう一度見たい」。この夢を叶える計画も加えた。

生まれ育った場所に星野村という場所があることを知ったから。

雨女の私は、天気予報と睨めっこ。

学芸員の方は、見える確率は五分五分なので、プラネタリウムと星空観察とどちらを選ぶかと聞いてきた。それくらい微妙だったが迷わず展望室に向かった。

満天の星とまではいかなかったけれど、キラッキラに輝く星が見れた。その瞬きは17年前の光。わし座のアルタイル。そしてこと座のベガ、そう彦星と織姫を望遠鏡で観察することができたのだ。

そして、懐かしい場所にも足を運ぶことができた。

日本新三大夜景都市のコンペで1位となった北九州市。皿倉山から見下ろす私の育った街、百万ドルの夜景。心のカメラにある面影と一緒に眼下を眺めた。

そして小倉城前を横切りよく通った図書館。

あの頃と何ら変わらずそこにあった。「懐かし〜」。たまらなく声が漏れた。残念ながら、休館日だったから、あの日の面影は探せんかったけど、いっときその場所から動けなかった。

その夜は私の帰省に合わせて同期会を開いてくれた。11名の懐かしい顔ぶれが並ぶ。

同期のひとりから

「もう、帰ってこんの?」

そう言われた。

採用は地元やけど、希望して転勤させてもらった私は、もう戻れん。

「もっと近くやったらよかったのにね」。

母から何度も言われるこの言葉。

今回もそう言って寂しげに微笑む母の顔があった。

「そうやね」。

胸が苦しくなる。

この土地が好きやけど仕方がない。

親不孝でごめんなさい。

懐かしい場所をお散歩がてら巡ってみた。

初めての里帰り出産、産院まで毎日歩いてマタニティーヨガに通った緑道。

家の近くの公園は、沢山の子ども遊んでいて、横浜ではお目にかかれない風景かも?

父が子ども達の数を数えたら30人もいて驚いた。

小学生の頃、チャリンコで必死に登った坂の上の公園へ足を延ばす。

大人になって初めて訪れた。あの頃は坂道が長くキツイと思ったけれど、そうでもなかったことに驚いた。

よく遊んだ丸太の遊具はなくなっていて、カラフルな遊具に変わっていた。でも私は確かにここに居たんだなぁ。

あの頃はあんなに広く感じた公園やグラウンドがとても狭く感じられた。

通った小学校も近くにある。

中学はちょっと遠く、遅刻ギリギリで猛ダッシュをかました長く続く階段も、片思いの彼もいつも一緒に駆け上がっていたから、キュンキュンしたっけ。

懐かしいなぁ。

高校時代通ったちんちん電車は廃線となり、最寄り駅は再開発され、川は埋め立てらた。川沿いにあった100円餡かけちゃんぽんもクリームぜんざいも、もう食べられない。

様変わりした場所もあるけれど変わらない場所もあった。

神社の横の公園で、肉まんを分け合って食べた思い出のベンチ。草ボーボーの中そのままあった。思い出に浸るには充分。

「いつでもまた帰っておいで」。

そう言ってくれる両親や姉がいてくれる。

そんな故郷があるって、幸せだなぁ。

母は、孫たちに沢山の手料理を持たせてくれた。

帰宅すると次女が出迎えてくれた。

次女は私が居なくて寂しかったと言った。

そして

「今日は何もせず休んで」。と言ってくれた。

娘が準備してくれた母の手料理を二人で囲んで食べた。

仕事やバイトや塾で家族バラバラな夕飯だけど、ここが今のわが家。

やっぱり落ち着く。

故郷も母の味も満喫して、いい夏休みを過ごさせてくれた家族に感謝。