◆ 団体紹介:じじっか(一般社団法人umau.)
福岡県久留米市で、登録無料でひとり親家庭が安心して過ごせる「実家のような」居場所を提供している団体「じじっか」。週末の子ども食堂や食事配達、放課後等ディサービス、シェアハウスなどをはじめ、子どもたちの夢を応援する「自分流プロジェクト」や今年からは個性の成長をいかすフリースクールの開設を行なっている。また、物品交換システム「リリボン」などを通じて、物品交換なども行えるシステムを導入し、お金がなくても買い物ができる仕組みを作るなど、負担をみんなで分け合う「血縁のない大家族」の仕組みを地域に開いています。

◆取材の経緯
今回お母さん大学福岡支局は、2023年度休眠預金等活用事業「困難を抱える家庭を取り残さない仕組みづくり」に採択され、一緒に事業を行う6団体の1つとして、この3年事業に取り組んでいます。事業3年目を迎えるにあたり、本事業や各団体の活動・思いを伝えるための白書を作ることになりました。その1つとして、各団体が日々の活動の中で受け止めてきた子どもや保護者等の声(半径1mの声)を聞かせてもらうことを目的に、お母さん記者が各団体の取材に行くことになりました。
◆ インタビューで聞いた声と、ある聖夜の原点
じじっかへ取材に行き、副代表の樋口由恵(よしえ)さんにお話を伺いました。そこで最初に耳にしたのは、きらびやかな街の光の陰で、ひとり親家庭のママたちが胸にしまい込んでいた、あまりにも切実な「半径1mの声」でした。
「クリスマスプレゼント、買ってあげられない」
「ケーキをホールで買って、お腹いっぱい食べさせてあげたいのに」
「イルミネーションを見に行きたくても、うちは車もないから……」
世間が幸せに包まれるイベントシーズンこそ、経済的な困窮と自責の念、頼れる人が誰もいない「孤育て」の痛みが一番深く突き刺さる時期だったのです。そんなママたちの声を目の当たりにしたとき、出た言葉が「じゃあ、クリスマス一緒にする?」の一言だったそうです。その声掛けがきっかけでじじっかの前身となる団体がスタートしました。
◆ 「見えていなかった」という悔しさと、21円の現実
しかし、活動を続ける中で、きれい事だけでは済まされない衝撃的な出来事に直面したそうです。
自分たちが支援していた、あんなに仲が良さそうに見えた母と子。その母親が起こしてしまった、虐待の事実。「自分たちは一体、彼女たちの何を見ていたのだろうか」と、当時のスタッフは激しい悔しさに襲われたそうです。
また、別の家庭では、給料日までまだ10日間もあるのに、財布の中にはたったの「21円」しか残っていない凄惨な困窮の事実があったことです。「困っている」と、周囲に一言いうことすらできなかった。みんな「困っていると言いにくかった」のです。人に迷惑をかけてはいけない、弱みを見せるのは恥ずかしい。そんな心の壁が、当事者を極限まで追い詰めていました。
行政の公的支援は「最低限の生活」を数字で管理できても、次の給料日までの「財布に21円」の絶望や、そこから我が子に手を上げてしまう母親の「心の孤立」まで救うことはできません。既存制度の網の目からこぼれ落ちてしまう隙間こそが、じじっかの向き合う現場でした。
◆ 「支援(しえん)」という名が、母親をさらに苦しめる
だからこそ、じじっかでは「支援」という言葉を使いません。「支援なんておこがましい」と、樋口さんはきっぱりと言いきります。
「支援」という名を持ち出した瞬間、そこには「支援する側」と「される側」という、見えない上下関係が生まれてしまう。その関係性がどれほど当事者を苦しめるか、じじっかのメンバーは実体験から痛いほど分かっていたのです。
樋口さん自身も、かつて「(母子)単独で生きていく!」と強い覚悟を決めた一人でした。その当時、市役所から来る人との面談では、“一刻も早く帰ってもらうためにどうしたらいいか”ばかりを考えていたそうです。
前向きに生きていこうと決めたのに、“支援”という形で来られると、まるで母親として「あなたはダメだ」「行動できていない」「愛情が足りていない」と責められているように感じてしまう。それがうがった見方だと十分に分かっていても、そう感じてしまう。
じじっかは、誰かのために「やりたいこと」をやっているのではありません。上下関係のない平らなつながりの中で、「今、必要だと思ったこと」を、ただ家族にすることと同じようにしているだけなのです。
◆ 取材を終えて:きれいに修正された社会の裏で、私が引き込まれた場所
お話を伺いながら、私は子育ての前提にある大きなギャップに驚き、深く考えさせられました。
私自身、2児の母になり「一人で子育てはできない。できないから色んな人に頼ろう」という意識を持って生きてきました。だからこそ、ひとり親家庭の親たちが背負う、気が遠くなるほどのプレッシャーや、「困っている」と弱音を吐けない心情の深さを知り、胸が締め付けられたのです。
家庭というインフォーマルな領域だからこそ、表に出ない、私たちが「知らない」ことがあまりにも多すぎます。そして同時に、今の社会は「困っていること」「笑えない状況だということ」を、あまりにも言いづらい社会なのではないかとも思いました。世間に出回るのは、きれいに修正された情報ばかり。でも、生きていくことはきれいごとばかりではありません。
ただ、じじっかの取材を終えた後、私の心にはある変化が起きていました。立場も状況も関係なく、誰でも温かく受け入れてくれる、誰もが行けて何でも話せるじじっかの雰囲気が、とても心地よく、もっと知りたいと思ったのです。そして、気づけば私はプライベートで、じじっかを再度訪問していました。突然に来た私を笑顔で「よかよ~」と笑い飛ばしてくださった由恵さん、再度の取材の時間を取っていただき、本当に感謝しかありません。

じじっかには老若男女さまざまな利用者そしてスタッフの方々がいます。みなさん、それぞれ生き生きとした表情をされていました。昔はもっとじじっかのような場所があったのかもしれません。誰もがふらっと立ち寄り、頼り合える温かい居場所が当たり前に近所にある世の中へ。


































コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。