【卒母・特集①】いつの間にか、わが子は母を越えて

長男25歳、来春大学を卒業する次男、それぞれに自分の時間を大切にしながらも、私との買物や食事も厭わず、世間から見たらずいぶん仲の良い親子、マザコンといわれてもおかしくないかもしれない。

小さな頃から息子たちを一人の人間として尊重してきたつもりだ。育てる、ではなく向き合う。

こうしてほしい、ではなくどうしたいのか見守る…。時にそれは、親としてどうなんだろう? 冷たいのかな、放任してるだけかな、と迷うこともあったけれど、根が楽天的なので(ズボラなだけ)深くは悩まなかった。

中学生の頃だったが、長男に「お母さんはぼくにこうなりなさいとか思わないの?  友だちのお母さんはみんな何になってほしいとか言うらしい」と恨めしげに聞かれたのに、「死ぬな、生きろ」くらいしか思いつかなかった私。ほんとに冷たかったかも…。

後にまっすぐではない成長過程においては、それが失敗だったのかと私自身も苦しんだが、いつの間にか2人とも暗いトンネルをくぐり抜けた。息子たちは気づかぬ間に乗り越える力を身につけていた。

昨日、次男がこんなことを言った。「(あることで苦しんでいるときに)お母さんは何も言わなかったけど、お母さんがあれこれ言ったら、それが大変なことだとますます悩んでパニックになったと思う。
黙っていてくれたからそれ以上ひどくはならなかった」。

冷たいと思わなかったか聞くと、ううんと首を振った。安心できるはずの家族に騒がれるほうがたぶん辛かったという言葉に、救われた気がした。

ともに暮らしてきた時間、たくさんのことを息子たちに気づかされ、教わり、学んできた。今、長男は理路整然と、次男は慈愛に満ちて拙い母を支えてくれるようになった。

来春には家族それぞれの新しい暮らしが始まる。離れていてもきっと息子たちは私を支え続けてくれるのだろう。形だけは卒業できても、精神的にはいつまでも落第生かもしれないなあ。

(佐藤るみ)

(お母さん業界新聞1712/特集 卒母)