お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

国際結婚、夫からのDV、そして日本への脱出 ~辛く苦しかった経験を糧に、娘と笑顔で生きていく~

海外の交流サイトで国籍の違う夫と出会い、32歳で結婚。海を渡り33歳で出産した西河さん。だが異国での生活は予想以上に大変。言葉の壁や文化や生活の違いなどから、夫とはコミュニケーションがとれず。それでも、妊婦やお母さんが大事にされる社会はあり、移住支援センターでは語学やパソコンなどの支援もあって、子育て環境としては恵まれていた。だが肝心の、夫との溝は深まり、暴力は激しくなる一方で…。

繰り返される暴力
夫の暴力は、妊娠中から始まりました。最初はリモコンを投げつけられ、見えないところを殴られ、時には柔道のように投げられたりして体中にアザができるように。「落ち着いて!」という私の言葉に逆上する夫は理性をコントロールできず、暴力はエスカレート。私はただ耐えるしかありませんでした。
夫の怒りが爆発するのが、月1回から3週間に1回になり、1~2日おきにと次第に頻発化。私に怒っているのか、ストレスをぶつけているのか、スイッチが入る原因やタイミングがわからないため恐怖心は増幅。「なぜ逃げないの?」とよく聞かれますが、ヒートアップする夫が怖すぎて反発できない、子どもを抱えて逃げようにも高層マンションではエレベーターを待つ間につかまる、抵抗したら倍返しされることがわかっているのでやられっぱなしでした。
DVにありがちですが、数日後に「あのときは疲れていた、ごめんね」と謝られることもありました。周りの日本人に子育ての相談はできても、DV相談はできませんでした。夫にも周囲にも、素の自分を見せられず、感情を出すことも減っていきました。

娘とシェルターへ
3歳の娘を抱えてシェルターに入ったのは、些細なことがきっかけでした。冷蔵庫の中身が気に入らないと、いきなり夫に罵声を浴びせられ、殴られ、蹴られ、命の危険を感じ、移住支援センターへ連絡しました。肉体的にも精神的にも衰弱し、眠れずに1週間、死んで人生を終わらせたいとまで思いました。
シェルターを紹介されると、自らお願いして入りました。
専任の先生がつき、24時間体制で安全は守られましたが、基本、外出禁止、外部連絡を断って4か月。「これから先、自分はどう生きたいのか?」担当者らと対話を重ね、たくさん泣いて、気持ちの整理をして、の繰り返し。「家族と幸せに自分の人生を生きることが一番」と言われ、第二の人生をスタートしなければと、前を向くことができました。
帰国することを前提に、娘のパスポートの確保と、飛行機代を貯めるため一旦夫の元に戻ることを決意。これまで支援センターや政府機関に相談しても、解決に結びつかず頑なになっていましたが、脱出に向け、動き出すことに。
紹介されたセンターの仕事体験支援プログラムで日本語を教えることができ、少しの収入を得るようになりましたが、その頃、シェルターから戻った直後はおさまっていたDVが再発、殺されると思うほど壮絶な日々が続きました。脱出するため情報を得ようにも、PCやスマホでは履歴が残るのが恐くて検索できず。
娘の「ママは笑ってたほうがかわいいよ」の一言には、涙があふれました。娘は一番の理解者であり、心の支えでもありました。怒り、痛み、孤独に向き合い、自分と娘の命は絶対に守らなければと覚悟し、前を向こうと気持ちを新たにしました。

幸せになるための脱出
急展開は、シェルターを出て3か月後の朝のこと。いつものように子どもを保育園に送ったあと、在住20年になる日本人女性に相談すると、「このままでは幸せになれるわけがない。子どもを連れて今すぐ逃げなさい!」。その言葉に勇気をもらい、吹っ切れた私。貯めていた25万円を握りしめ、娘を保育園から引き取ると、そのまま飛行機に乗っていました。友人にも園の先生にも何も告げず、最後のお給料ももらわずの咄嗟の行動でした。
いつ追いかけて来るかと恐怖いっぱいのまま、飛行機、新幹線、バスと乗り継いで、一目散に広島の実家へ。突然の帰国に母は驚きましたが、黙って私と娘を受け入れてくれました。警察へDV相談、しばらくの間パトロールをお願いしました。夫には、電話やメールで裁判を起こすと脅されましたが、シェルターの事実が明らかになると、夫に不利益が及ぶこともあり、追いかけてはきませんでした。
海外から帰国したとだけ説明し、事情は言わず、厳しい就職活動が続きました。なんの資格も持たない私、36社目でやっと採用が決まったときは号泣。これで娘と2人で生きていける!と安堵しました。
小学1年生の終わりに、母子間の分離不安症になった娘。自分がいないときにママに何かあったら…という恐怖。幸い、校長先生の協力を得て乗り越え、今は楽しく通学できています。「私は結婚しない」と話す娘。ママを一人にするのは心配だし、ママを守りたいという気持ちのようで責任を感じますが、今は支え合い、穏やかに暮らしています。
娘に「おかえり」と言える仕事がいい。手に職をつけ、在宅でできる仕事を求め、働きながらWEBデザイナーの勉強をしました。睡眠3時間も苦にはなりませんでした。自分でも、当時のエネルギーはすごかったなと思います。
今は企業のホームページやメルマガなどWEB周りの仕事を中心に請け負っています。努力は怠らず、人や企業に寄り添い、共に発展していく仕事を心がけ、成果を出してきました。これからも学び続けていきたいと思います。

実名で発信すること
今も増え続けるDV。私のようにシェルターにいて、不安を感じているお母さんも多いはずです。シェルターを出るには、仕事につながる術があり、働ける目途があれば、不安も希望に変わるでしょう。
そんな中、WEBデザインを通して女性の自立を応援するWEBデザインスクールの準備を始めます。これまで学び、実践してきたことを生かし、即戦力になれるような人材を育てたい。それが私にできる社会貢献と考えています。
これから先の人生を考え、私の原点ともいえるDV経験を隠すことをやめました。実名で顔を出し、堂々と発信していきます。自分を押し殺して生きてきた6年間、それでも娘との時間は、最高に幸せでした。生きていてよかったと思えることを、私の言葉で伝えていきたい。母としての生き方を、娘に見せていくためにも。(取材・宇賀佐智子)

DVの現状

コロナ禍を背景に増加
約4人に1人がDV被害者⁉
2021年11月内閣府発表の「女性に対する暴力の現状と課題」によると、2020年度のDV相談件数は19万30件と、19年度から61.8%も増加。コロナ禍による生活環境の変化、経済的影響が要因になっている可能性がある。2591人中、約4人に1人が配偶者から身体的暴行、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要などDV(暴力)を受けたことがあり、約10人に1人は何度も受けている。女性の約21人に1人が命の危険を感じたことがあり(1387人調査)、子どものいる被害女性(337人調査)の約3割が、子どもへの被害経験も認識。女性の約4割はどこにも相談していないという現状も深刻だ。
【シェルター(避難場所)】とは、女性と子どもたちがDVから逃れるための一時的安全緊急避難場所。公的な婦人保護施設ほか、民間シェルターがある。母子生活支援施設では被害者の一時保護に留まらず、相談への対応、被害者の自立へ向けたサポートなど、被害者へのさまざまな援助を行う。被害者の安全確保のため、所在地は非公開。