久しぶりに「一人シネマ」。
横浜にはジャック&ベティという、歴史ある小さな映画館がある。
シネコンで上映機会が少ない良質な映画を、
ジャンルを問わずセレクトして上映している、郷愁を感じる映画館。
なぜか落ち着く空間だ。
この日のお目当ては、『Pacific Mother~海のように、母のように』。
作品の内容については、後日。
上映開始まで1時間あったので、
上映中の『フジコ・ヘミング 永遠の音色』の部屋に入った。
美しいピアノの音色とヨーロッパの景色が美しく、
まるでBGM付きの美術館にいるよう。
たばこを燻らしながら、人生を語るフジコ・ヘミング氏。
愛猫・犬に声かけるしぐさに母のようなやさしさを感じた。
1本半の映画を見て満足した私。
久しぶりに懐かしい町を歩いた。
若葉町~大通り公園。
そして伊勢佐木モール(伊勢佐木町商店街)…。
そう。この伊勢佐木町商店街1丁目に、
かつて、私たち(トランタン新聞)の編集部があった。
3階建ての古びたビル。かろうじて今もまだ残っている。
ここに引っ越してきたのが、2000年。
その前は、横浜スタジアム前の小さなオフィスビルの6階にいた。
が、そこは親子が来れるような場ではなかったため
引っ越したのが、伊勢佐木町だった。
喧騒の伊勢佐木町商店街では、
子どもが大泣きしても、母たちが大笑いしても大丈夫。
ここの2階と3階と屋上(社長室)で、新聞をつくった。
商店街のメインストリートに面する1階は店舗。
当時はDOCOMO SHOPだったけど、今はラーメン屋になっていた。
編集部へは、裏通り側から入る。
鳩のフンが落ちてくる通路、まるでアジトのような雰囲気だった。
表通り(商店街)から見ると、こんな感じです。
当時、オウム真理教の事件が話題になっていたので、
部屋を借りる時に不動産屋さんから
「オウムの関係ではないですよね」と、念を押されたっけ。
ここが、お母さんたちの基地。
お母さんたちのアジトになった。
2階はお風呂付きのワンルーム。
3階は編集室と、お母さんたちが交流する「たまり場」の2部屋。
そして、屋上にはお母さんのビアガーデン。
四方を木のフレームで囲み、アウトドア風のテーブルとイスを置いた。
植木もたくさん並べた。
20~30人でパーティーができる広さだ。
そして、そこには、小さなプレハブの小屋があった。
ここをマザーペントハウスとし、私の部屋(社長室)にした。
このお母さんのアジトから、
たくさんの子育て支援事業が誕生した。
たまり場、家庭保育園、ビーボラビータ(家庭と学校と地域がつながる情報誌)、
TASTY BREAK(ロッテリアの子育て情報紙)、
学研の「自分探し応援BOOK」、伊勢佐木町商店街マップ…
もう忘れてしまったけれど、山ほど仕事をした。
当時は、企業の商品開発の仕事も多かった。
ロッテのチョコレート、マツダの車、味覚糖の飴、ダイエーの食品、URの家…
そうそう。
一枚の用紙に、チョコレートのデザインとコンセプトを書いて50案ほど出した。
イラストを描いたのは金子さだった。(懐かしい)
もう、捨てちゃったけど。
過去は振り向かない!(あ、残しておけばよかった)
当時、寝る間もなく働いていた。若かった!
子育てもせず、
子育て情報紙をつくっていることに矛盾を感じながらも、
やるしかなかったあの頃。
そんな日々を思いながら、
久しぶりに伊勢佐木町商店街を歩いた。
そういえば、スタッフに頭に来て、
ビールをガァーと飲んで、商店街を全力疾走した日。
伊勢佐木町商店街で大イベントをした後、
深夜に、商店街を掃き掃除した日。
ゆずではないが、2人のストリートシンガーが
商店街で歌っているところに、おひねりを紙ヒコーキにして飛ばした日。
夫のDVから逃げてきた人を、泊めてあげた日。
当時の横浜市長、高秀秀信さんが訪れ、
「ここは女性センターより楽しそう」と言ってくれた日。
子育てサークルから会社へと移行する中でのジレンマ、
お母さんで通用しない仕事。子育てと仕事の両立…
苦し楽しの日々は、まさに、トランタンの青春だったのだろう。
そんなことを思い出しながら、
商店街を後にし、みなとみらいへと向かった。
ランドマークタワーが見えてきた。
地図が読めない私は、ランドマークタワーを見て方角を確認する。
遠くに見える4本の鉛筆みたいな建物の一つが、
現在の編集部「ワーホプレイスとらんたん」。
この場に来るまで、35年かかったのか。
青空が、がんばれ!とささやいた。
さて、ここではいったい、どんな物語が始まるのか。
いくつかプロジェクトはスタートしたけれど、
まだぜんぜん足りない。ドラマが足りない。
物語のない人生などつまらない。と、私は思う。
だから私は、これからも、とことん今の仕事に走るだろう。
けれど最近、体がついてこない。走ると足がもつれる。
だから…、深呼吸をしながら
心を研ぎ澄ませる技を学ばなければ。と、今は思っている。
PS.
『伊勢佐木町ブルース』という歌をご存じの人は、同年代!
昔、この歌をカラオケで歌うスタッフがいた。
もう笑いしかなかった。カラオケの女王だった。































コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。