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吉き母の名の源流へ ― 過去と今、私だけの「母」を肯定する旅

「母」が付く地名を訪ねる連載。今回、私が家族と向かったのは、本州最西端に位置する山口県下関市の「吉母」。小学校低学年までを過ごした第二の故郷です。お母さん記者としての一歩は、地名に刻まれた命の物語と、私自身の育児の原点を結びつける、大切な定点観測となりました。

浜辺に刻まれた「誕生」の記憶

根が真面目なもので、出発前に吉母の由来を調べ尽くそうとしましたが、情報は一向に見つかりません。「これはやばいぞ」と焦りながらも、とにかく行ってみようと、本土最西端の地「毘沙(びしゃ)ノ鼻」へ出かけました。

そこでようやく出会った看板の文字に、私は深く救われることになりました。

そこには、神功皇后が朝鮮出兵からの帰路、この汀の里に軍船を寄せ、浜辺で皇子を出産されたことに因んで「寄せ藻(よせも)」が「葦藻(あしも)」となり、やがて「吉母」に転じたと記されていました。

吉母という地名のルーツは、まさに「母になったこと」そのものにあったのです。

1500年代という遥か昔、浜辺での過酷な出産に思いを馳せると同時に、私は自分自身の体験を振り返りました。

出産前、私のイメージは苦しみもだえる姿への恐怖でいっぱいでした。

けれど実際は、驚くほどの安産。息子も娘も、生まれる瞬間から私に対して本当に「やさしい子」たちだったのです。そのやさしさは今、周囲の人たちへと確かな体温を持って広がっています。

吉母の地で、私は子どもたちから贈られた「やさしさ」というギフトを改めて噛みしめていました。

第二の故郷で見つけたわが子の面影

下関は父の実家があり、幼少期の私を育んでくれた街です。記憶の断片を辿りながら子どもたちと歩いていると、真面目でお出かけ好きだった当時の自分と、目の前のわが子の姿が不思議と重なり合います。

「今、この子たちが感じていることを、かつての私も同じように感じていたのかもしれない」。 そんな私の郷愁をよそに、パパは笑いながら言いました。「独身時代にここへ来た時は、まさか2人のパパになって再訪するなんて思わなかったよ」。

一人の少女が母となり、一人の青年が父となって戻ってきた下関。かつてここで撮った、きょうだい3人で並ぶ古い写真と、今目の前にいるわが子。毘沙ノ鼻の海風は、家族それぞれの成長と、時間の重なりを静かに祝福してくれているようでした。

 

左から幼い頃の私、妹、弟

「小さい人間」として。共に育ち合う喜び

旅を終え、私は改めて自分の「育児の方針」を見つめ直しました。私は決して、世に言う「面倒見のいい母親」ではありません。イライラは顔に出るし、情緒も不安定。子どもより私のほうがずっと未熟だと、自分に呆れることばかりです。だからこそ、私は子どもたちを「小さい一人の人間」として対等に扱うようにしています。

息子の言い分に耳を傾け、妥協ラインを話し合い、失敗した時はどう対処すべきか一緒に考える。特に「できないことは恥ずかしいことじゃない。誰かに『手伝って』と言えば大丈夫」ということは、口酸っぱく伝えています。これは、かつて真面目すぎて一人で抱え込みがちだった私自身の経験から、どうしても伝えたいことでもあります。

「誰かが助けてくれるよ。ただ、あなたも困っている人を助けてあげてね」。

吉母の地で再確認したのは、完璧な母であることではなく、一人の未熟な人間として、子どもたちと共に育ち合う喜びでした。

私らしい母のカタチを肯定できた、大切な帰郷となりました。

(MJレポート・中平遼)

 

【山口県・吉母】

山口県下関市。本州最西端の地「毘沙ノ鼻」を有する。神功皇后が朝鮮出兵の帰路、浜辺で皇子を出産した伝説があり、「寄せ藻」が転じて「吉母」になったという。古くから安産や「母」に縁深い地。

お母さん業界新聞4月号 母たちが旅する日本