お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

父母のチカラ

先日、久しぶりに寝込みました。

そんな時に限って、母から電話が。。。

心配するので、いつも通りの感じで話していたのですが、何か違うと、感づかれてしまいました。やはり母の勘はスゴいなあと。

今まであまり弱音をはかなかったのですが、最近は素直に言葉にしています。

(以前、あまりにも我慢しすぎて身体を壊したことがあり、その時父に「辛い時、大変な時は話していいんだぞ。いつまでもお前の親なんだから…」と言われ。。。)

最近のバタバタを話して電話を切ったのですが、不思議とチカラがわいてきて、翌日はすっかり体調も回復!

父母のチカラを改めて実感。

感謝を込めて。。。

「誕生日に父母を語る」添えたいと思います!

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2013年9月

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「誕生日に母を語る」

お母さん大学に入学して5年、毎年書こう書こうと思いながら書けなかった宿題。

それは照れなのか?
気持ちの整理ができないからなのか?
あまりにも身近で存在が偉大過ぎるからなのか?

でも今年は書きたい!
と思った。

母を一言で言うと、
「尽くす人」

どうしてここまでできるのか?と
不思議に思うくらい
父を始め、祖母、兄、親戚、
(もちろん私も…)
周りの人に尽くしている。

のんびり座っているのが苦手で、
いつも動き回っている。

性格は、几帳面で心配性、
でも陽気でうっかり屋さん。

そんな母との思い出は、
今から30年前に始まった水泳生活。

平日は夕方6時30分から8時30分までの練習。
日曜日は朝7時から9時まで。

その送り迎え。

大会がある時はお弁当の準備に応援。

泳ぎ過ぎて肩を壊した時はマッサージを。

タイムが伸びない時は心のケアを。

いつも一番そばにいて支えてもらった。

大学入学を機に一人暮らしを始める時も、
「あなたのことを信じているから」
の一言で見送ってくれた。

結婚を決めた時、一番に報告したのも母だった。

韓国での結婚式、
「この子をよろしくお願いします」
と言った時の母の顔は忘れられない。

初めての出産、陣痛の波を一緒に乗り越えたのも母だった。
二度目の出産は長女と留守番を、
三度目は立ち会ってもらった。

大波小波の結婚生活、
途中相談したのも母だった。
「どんなことがあっても、お母さんはあなたの味方だから」

その言葉に勇気をもらい励まされた。

いつもその優しさに甘え、
時に反発し、
結局のところ包まれていた。

自分の根っこの部分にある
たくさんの母の要素。

あったかくて
心地よくて
限りなく深いもの。

いつまでもかなわない存在。

母を思い、言葉にしていたら、
なんだか心がポカポカした。

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2015年9月

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「誕生日に父を語る」

今日は
記念すべき40回目の誕生日。

とっても節目になるかなと思いきや
あまり実感がわかない。
(気持ちはまだまだ20代ということで…)

ちょうど2年前の誕生日に
母について語ってから
機会があったら父についても語りたいと思っていた。

やっとその機会がやってきた。

照れくさいけど
今日この日なら
自然と気持ちが書けそうだ。

 

性格も好みも
はっきり言って父似の私。

大胆なところ
大雑把なところ
思ったらすぐ行動するところ

普段は口数が少ないが
お酒を飲むと饒舌になるところ

資料収集
文字を書くこと
伝統工芸好きなところ

などなど。

そんな父との思い出は
お蕎麦屋さん巡り。

小さい頃から水泳生活のため
休みはほとんど合宿や大会で
家族とゆっくり過ごすことが少なかった私。

それを取り戻すかのように
高校生活が終わる頃
よく二人で出かけた。

「栃木の美味い蕎麦」という本を片手に
西から東へ
一日三軒のはしごも。

途中
染物屋さんに寄ったり
窯元を訪れたり
気づけば芸術の世界への興味も
この頃に培われた。

本物に出会う時間は
私にとって喜びであった。

多くは語らずも
いつも背中で
人生の醍醐味を示してくれた父。

幼い頃
複雑な家庭環境だったこともあり
その分家族には
沢山の愛情を注いでくれた。

受験勉強で遅くまで起きている私に付き合って
いつも寝るまで起きていてくれたこと

結婚の許しも一言
「飛べ!」だったこと

結婚が決まってからは
街中の本屋さんの
韓国というつく本を買い占め
勉強してくれたこと

初孫誕生の際は
色紙に想いを込め
長年のタバコもやめたこと

年末の築地ツアー
蕎麦の会の企画
同窓会の幹事に会報誌の編集作業

忙しさの中
いつも楽しさを生み出していた。

尊敬という一言では足りない位の
大きな存在感の父。

仕事一筋35年。
息子に世代交代し
第二の人生を謳歌する矢先の
視力低下。

戸惑いの中
娘としてできることは
孫との楽しいひと時をプレゼントすることくらい。

杖をつき
母と寄り添い歩く姿に
言葉にならない感情が
こみ上げてくる。

でも
どんな状況になろうと
常に前向きな行動に
たくさんの力をもらっている。

離れていながら
テレビ電話で長女に数学を教えてくれたり
長男の良き理解者になってくれたり
次男と共に歌い踊ったり。。。

いつもいつも
ありがとう
そして
これからも
ユーモアたっぷり
父らしい人生を!

ここに
感謝の想いを込めて。

2件のコメント

村本さん
親は子どもがいくつになろうとも親なんですね。
だから甘えらえるときには甘えて喜んでもらいましょう。
うちは2人ともすでに他界しましたが
時々些細な愚痴をこぼしたくなる時もあります。
リアル世界ではもう会えないけれど
心ではつながっている気がして
仏壇の前でひとりブツブツ言っています。
素敵なご両親ですね。
大事になさってください。

本当にそうですね。
普段なかなか言えない感謝の気持ちも、
こうして書くことで伝えられてよかったです。
(二人で読んで泣いたと連絡ありました)
照れくさくてモゴモゴでしたが、
なんだかとても清々しい気分になりました。

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ABOUT US
村本聖子
「思い立ったらすぐ行動!」 をモットーに動き回る3児の母。 みんながニコニコ、ハナマルになる世界を願いながら、日々の感動•気づきを発信中。 2023年3月、11年の韓国生活を終え帰国。海老名市在住。 夢はココカゲン(ココロとカラダがゲンキになる空間)を創ること&MJ記者として世界を飛び回ること。