お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

付き添い入院生活から見えてきたこと。

息子の緊急入院からの付き添い生活も一週間が過ぎようとしている。

正直初めての付き添い入院は、新聞でも取り上げられていた様に親には大変な生活だ。

子どもの食事はでるが、付き添いの大人は売店や食堂からの宅配。3日もすれば飽きてしまった。お味噌汁や炊きたてご飯が恋しい。

そして、寝る場所は一緒。

シャワー室はあり、1日20分保育士さんが子どもを見てくれる間に浴びることができる。

息子がお昼寝した間はチャンス!急いで売店に夜と朝の食事を買いに行く。

コインランドリーは4台中2台は故障中。9時~17時の間に2時間の洗濯乾燥をしてくれるが、常に誰かが使ってる~💦

また、昼夜を問わず、決められた時間に注射、採決、レントゲン撮影などが続く。酸素濃度が下がればすぐに看護師さんが見にきてくれ酸素のホースを微調整。酸素濃度が95になるまで絶対離れない。廊下にはさまざまな子どもたちの悲痛な泣き声が響く。

そして、病室は相部屋。カーテン1つで区切られた部屋では、隣の赤ちゃんももちろん泣くし、お互いに起きる時間や寝るタイミングも違うため灯りももれる。話し声やらYouTube のキッズ音楽ももちろん筒抜けだ。

徐々に日常のペースが崩れていく感覚になる。

最後に漠然とした不安である。

2日目の夜に隣の赤ちゃんの様態が急変。深夜お母さんと一緒にICUへ移動していった。

大丈夫だろか。

隣で口をパッカーんと開けて寝る息子。この子も1歳3ヶ月でICUに入るほどの大発作を起こし、これからどんな風に育つのだろうか…不毛だと分かりながも、息子の先を案じる。

入院3日目にして、色々なことにイライラしてしまっている自分がいた。いけない!と思いつつもネガティブな感情が襲ってくる。

そして、4日目。母が見舞いに来てくれた。病院勤務をしていた母。夜勤もこなしながら私と妹と2人を育ててくれた。夜勤勤務は、子育てママにはそれは辛かったらしい。夜の勤務の疲れで帰ってきて寝ていると『ママは寝てばっかりだね』と、幼い頃の私たちは言っていたらしい。(ごめんよ。母。)

そんな母が、

『ゆきも大変ね。でもね、このタイミングで良かったのよ。まーくんも順調に回復していて、あなたも育休中で、義理のお母さんたちも見てくれている。幸運だったと思おう!』と。

初めは、へ?て感じだったが。

差し入れのチーズケーキを食べながら納得した。

母のアドバイスから見え方が少しずつ変わっていった。

病院のロビーには疲れきった方もいれば、ベットごと寝たきりの状態で運ばれていく方もいる。こうやって健康なのは幸せなことなのだと思う。

看護師さんや先生方にも24時間見守ってもらい、身を削りながら誰かの命のために働いてもらっている。

夜ICUに運ばれた隣の赤ちゃんのお母さん、次の昼には戻ってこられて、こっちもホッとした。

『おかえりなさい。昨日は大変でしたね。』と話しかけてみた。すると、すみません~💦と言われながらお互いに子どもの様態やら、家に残してきた家族のことを話し合えた。隣のお母さんも自分と同じように不安なはずだ。

自己中心的な考えに囚われていた自分に反省だ。

入院生活5日目からは、隣のお母さんとも仲良くなり気兼ねなく話せるようになった!これぞ、”母親”の持つコミュニケーション能力の凄さ!(なんちゃって。)

こうなったら鬼に金棒である。怖いものなし!

入院生活も板についてきた。想定外が起きても、もう大丈夫!

金曜日、夕方に洗濯物を取りに来てくれた夫に会うと仕事疲れと実家の事故もあってか、数日前の私のように暗い顔をしていた。大丈夫か~い!と活をいれる妻。

長らく私と離れている娘もあと少しの辛抱だ!がんばれ~娘よ。

今日は七夕🎋短冊の願いはもちろん

「早くみんなが元気になりますように!」だ。