お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

ピアノマン

幼い頃からピアノを弾くのが大好きで、上手ではなかったけれど、家にいる日は数時間弾いていました。自分が好きな曲を自分で奏でられることが楽しかったのです。

大切にしていた楽譜の一つにビリー・ジョエルのそれがあります。
私の大好きな人がおすすめしてくれた、というのもありますし、高校生の頃から大好きです。

娘が生まれた時に、いつか一緒にピアノ弾きたいなって思いました。

娘が小学生になり、
家の近くにグランドピアノで教わることができるお教室を見つけて、すぐに通わせました。
電子ピアノだけど、アップライトに近いタッチを実現したというローランドのピアノをすぐに買いました。
まだ背中に長男をおんぶして、レッスンに一緒に通い、私は30分間部屋の外でじっと待っている、
そんな土曜日。

何度かかわいらしいドレスを着させて、お教室の発表会にも出ました。
堂々と演奏する姿に感動しました。

ところが、ある日、娘からの告白があったのです。

「ママ、わたし、がくふがよめないの」。

はぁっ!?

一瞬、何を言っているのですか?と敬語になってしまうほど、意味がわからなくて。
視力が一気にガクンと落ちたのかな?とかいろいろ聞いたら、
どうやら、言葉の通り、楽譜を読み取ることができない、ということでした。
娘は3年間、『がくふ』の意味がわからなくて、先生の指や耳コピで弾いていたとのこと。
そして、段々曲の内容が難しくなってきて、とうとう、それにも限界が来たとのこと。

涙にならない涙。
私はこの子の何を見ていたんだ、という自己嫌悪。
また、読めもしない楽譜を、まるで読めているかのように振る舞わせてしまった娘への懺悔。
母と娘のピアノライフを夢見る未来への絶望。

その後も、
3人も子どもがいたら、1人くらい、楽器に興味を持ってもいいんじゃないか?と思うのですが、
誰一人吹奏楽部すら、かすりもせず(笑)

先日そんな娘から、「ピアノマン見に行かない?」と誘われました。
Peter Cincottiというアーティストで、とても素敵なんだ、というのです。
私は知らなかったのですが、早速聴いてみてびっくり。
まるで歌い方も演奏も、全然別人なのですが、ビリー・ジョエル?と思えるほど。
しかもカバー曲もあったりして。
娘にはすかさず、ビリー・ジョエルを紹介しました。
知らなかった、と言いながら、その日からは毎日聴いているようです。

先日、BLUE NOTE TOKYOへ。美しい時間にどっぷり浸かってきました。
娘はPeterが好きすぎて、2回連続で公演を聴いたのですが。
美味しい食べ物と、お酒と、ピアノマン。

いつかの夢が叶った気分でした。
音楽は、音を楽しむこと。
一緒に演奏することはできなくても、一緒に堪能することができます。
私が演奏するときは喜んで聴きにきてくれたり、応援してくれます。
下手くそなのに、良かったよ、と言ってくれる唯一の支持者(笑)
私たちはこれからも、一緒に、ピアノマンの世界を歩いていくのです。

サインが欲しくて、レコード盤を買いました(笑)