お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

胆力を委ねて来たなぁと振り返る

書こう書こうと思って忘れてたから、何をした時に思ったのか忘れちゃったけど、結婚から子育て、ライフスタイルの変化、これまで沢山の決断をして来た。
今ある当たり前の日常も、小さなものから大きなものまで、過去の自分が決断したから存在する。

うまくいくには胆力が大事とは言われるけど、私はこの胆力の部分を旦那さんに任せて来たなぁとふと思った。

結婚のことを考える時。
子どもをつくろうか考える時。
家を買うか決める時。
30万もするシロアリ駆除を頼むかどうか決める時(笑)。

自分のことでお金を使う時でも
(そして、自分の貯金から使う場合でも)
「これ買っていいと思う?」と聞いてしまう私。

決断は迷う。
大きな決断はなおさら迷う。
迷うから、大きな決断は先延ばしにしようとする。
そういうクセがある。

もしあの時、結婚してなかったら。
結婚は決意できた時でいいって言ってくれてたから、2人で住んでいたかもしれない。
でも、もしかしたらそれぞれ別々にいて1人で暮らしていたかもしれない。

結婚してからも、子どもをつくってなかったら。

2人でいたら、独身時代からの仕事を続けていて、休みの日には旅行をしていたかもしれない。
海外旅行なんかも行ってたかもしれない。
お金のことも心配せず、使えてたかもしれない。

で今の私の歳になったら、
「子ども、ほしかったな」って言ってそう。

メロディが好きな曲で「愛はかげろうのように」(シャーリーン)という曲があるんだけど、愛の歌のように思われてて、邦題「Love is All ~愛を聴かせて~」として椎名恵さんがカバーしている。結婚式にも使われることがあるらしいけど、原曲は全然違ってる。
(お母さん大学っぽくないから全文書かないけど、興味ある人はチェックしてください。)
その歌詞の一文を思い出す。

 

Sometimes I’ve been to cryin’ for unborn children
That might have made me complete

産まなかった子どもたちを思って泣いて来たわ
子どもがいたら満たされていたかも

直訳すると、
生まれなかった子どもたちのことを思って泣いて来た。
子どもたちは私を完成させてたかもしれない。

迷い症の私、結婚も出産も迷い過ぎて決めきれてなかったら、unborn childrenを思っていたかもしれなかったなぁ。とふと思った。

はらを決めること、旦那さんがやって来たんだな。
私だったら現状維持を貫いて来てそう。
提案に乗っかるのも私だから、結局は2人で決めて来てるんだけど。

今当たり前にいる子ども達も、1つ1つの決断の末に出会ってるんだな。

1件のコメント

戸﨑さん

「沢山の決断」うんうん、自分のこれまでも振り返りながらじっくり読みました。確かに大なり小なり「沢山の決断」をしながら今日までたどり着きましたよね。私は自分で決断しているつもりで、やっぱり結婚してからは最終的に夫の判断も大いに参考にしながら決断してきたのだなぁと記事を読んで認識できました。特に子どものこととなるとやっぱり二人で決断して、腹をくくるといいますか。普段、子どもの事ばかりに目がいって、夫のことを記事にすること滅多にないのでとても新鮮でした。

今年も残りわずか、だからこそ大切なパートナーにも思いを馳せたいですよね。心が忙しくなってくる季節ですが、どうぞお元気でお過ごしくださいね~来年はお会いしてお話したいな~!!

ちなみに、You Raise Me Upを聴きながらコメントしてます♬

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ABOUT US
戸﨑朋子
MJプロ。 12歳(小6)と8歳(小3)の女の子がいます。 子どもが生まれて、今までに感じた事のない気持ちやを感じて幸せだったり、ダメな自分を突き付けられる思いがしたり。 何があろうと思うのは、子どもが生まれて良かった。 色んな思いを綴れたらと思っています。