お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

軽いバク転、重い年月

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次女の⇩この姿を見て、「も、も、もしかして、うちの子体操得意?すぐバク転とかできちゃうんじゃない?」なんて期待して、親バカながら体操教室に通わせ始めた。

しかし、もちろん現実は、いきなりバク転ができる天才!なんてことは、決してあり得ないわけで、

その前に、側宙の大きな壁があった。

とにかく地味で、横から見ていると

「これ、進んでる?」と首をかしげたくなる時間が何年も続いた。

周りのお友達は、次から次に習得していくのに、「なんでうちの子はできないの?」とヤキモキ。いやそもそも、正直、たいした努力をしていないように見える時期もあった。ひたむきな汗も、悔し涙も流さない。歯痒くて。私はロッキーのテーマ曲流して必死にやれよ!と心の中でずっと叫んでいた。

そして練習が終わるたびに、次女は言う。

「今日もできんかった。

あとちょっとできそうなんやけど」

「ほんとやねー。あとちょっとやね」と分かったような顔をして返していたけど、内心は、「だーかーらっ!ロッキーのテーマ曲流して必死にやれよ!」(また言ってるw)って思いながら、ほんと正直、その“あとちょっと”が何年続くかは分からず不安になりながら、何なら、一生できなかった場合の次女の慰め方も考えていたりした。。。

ただ、次女のその報告は、不思議と弱音や愚痴には聞こえなくて、自分への途中経過報告みたいだったような気がする。

何がダメなのかを考えて、ストレッチをして、体を整えて、また次へ行く。

それを、5歳からずっと続けてきた。そういえば、辞めたいとは一度も言ったことがない。

そして、7年経ったある日のこと、

レッスンから帰ってきた次女が、

水を飲みながら言った。

「今日、バク転できたよ」

……さらり。天気の話か!?

あー、ついに!ついに来た!バク転ができる日が!私の脳内では、拍手喝采万歳三唱!感動のBGMでわっしょいわっしょいお祭り騒ぎなのだが、彼女があまりに涼しい顔なので、

「え?今なんて?」と、思わず、とぼけたふりをした。

思えば、

ある時から言葉が変わっていた。

「体が軽かった」

「褒められた」

「なんか、次できそうな気がする」

なるほど、感覚を掴めていたんだろうなー。

だから、できたことは特別じゃないのかな?

だから有頂天にもならないのかな?

だから浮かれないのかな?

喜びすぎないその顔が、

この子が積み上げてきた時間と、

先生たちの根気の証拠なのかもな。

派手な一回転の裏にある、

何年分もの

「何も起きていない日」。

その全部を信じて、ここまできたんだね。よく頑張ったね!

一緒にこの日を待ってくれた先生方にも、あー心から感謝!!

⇩7年越しの夢のバク転!記念に残しておきます⇩

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