お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

ビーフンと祖母と私

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昨日のお昼はビーフン(生協の温めるだけのもの)。

ビーフンは、私の祖母のほぼ唯一の得意料理でした。

祖母は大正15(1926)年生まれ、育ったのは当時日本領だった台湾です。
学校の先生として終戦で引き上げるまで過ごしました。

実母を亡くしその妹が母になってくれたものの、気が合わなかったのかかなり苦労した模様です。
人の悪口が嫌いだったから直接は一度も苦労話は聞けませんでしたが…。

二番目の母と仲良くなかったからかはわかりませんが、家事全般超苦手でした(母、そして孫の私にも引き継がれてます…)。↑祖母と私↑私、5歳下のいとこ、いとこを楽しそうに世話する祖母

公民館の料理教室で新しい料理を習っては家で作るものの、不評続き。

結局、一番の得意料理はビーフン。
ご近所にドイツ出身の方がいて、そのおうち主催の持ち寄りパーティーでは必ずビーフンを持参。
大好評らしく、次回も必ずビーフンを!と言われていました。

祖母は働く母に代わって、15年間、私をずっと見つめ支えてくれた第二の母。
子どもが大好きで私の友達といつの間にか友達になっていたり、「いってらっしゃい」「おかえり」に振りとメロディーをつけて踊ってくれたり、お茶目で楽しいおばあちゃん。
学校の勉強だけじゃなく子供会も部活も、何でも一生懸命やった方がいいといつも言ってくれました。

ちょっと入院だけだったのに突然亡くなった時は、すぐ帰ってくるからとお見舞いに行かなかったことを本当に後悔しました。

祖母が亡くなって20年。

母より祖母のほうが性格や進んだ方向が似ているので、時々こんな時祖母ならどうするかな?何と言うかな?と思うこともあります。
故郷とは全く別の土地で最期はたくさんの知り合いだらけで、不得意なことは得意な誰かに助けてもらってきたおばあちゃんです。
いろいろ、今の私へのアドバイスも聞いてみたかったなと思っています。
私がお母さん大学に入り活動している原点はおばあちゃんかもしれません。

ビーフンは、私にとって祖母の味、たくさんの思い出があふれてくる懐かしい料理なのです。

(あっさり書くつもりが長くなりました。)

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ABOUT US
曽我幸恵
MJプロ│お母さん歴約9年、元・お母さん業界新聞あつぎ版編集長│小3の娘&年少息子の2児の母 神奈川県厚木市在住、茨城県水戸市出身、学生時代住んでいた宮城県仙台市は第二の故郷。 インタビュアー&ライター&ライティングの先生│今より書くのが好きになるコミュニティ・個別サポート│厚木市子育てアドバイザー&ほっとタイムサポーター│ヨガセラピスト。 *noteでもインタビュー記事など書いています。 https://note.com/sogasachii *アメブロも時々。https://ameblo.jp/sattsun2525/