お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

父の最期の言葉は「やめんか。こらっ!!」

今日は、父の命日。

父が逝って、二年目の春。

まだまだ、涙が出る。

子どもの頃からずっと、父に怒られた記憶は無かった。孫もでき、歳を重ねていく父とお酒を飲みながら、たわいもないおしゃべりをする時間が好きだった。もし、父を天国に見送る時が来ても、穏やかに見送ることができると自信があった。

でも、実際は、違ってた。

嚥下機能が低下し、誤嚥性肺炎となり、点滴だけで、日々衰弱していく父。自宅での看取りを選択し、妹と二人で介護した。

訪問看護のヘルパーさんから、痰の吸引の仕方を教えてもらい、できるようになった。毎日数回、父の痰が取れてうれしかった。父の呼吸が楽になってるような気がして。そして、ヘルパーさんから、上手に取れますねと言われてうれしかった。

でも、そこからが、私の悪い癖。ほめられるとうれしくて、もっとほめられたくなる。すると、父が吸引をとても嫌いなことや、父が苦しそうにしていることが見えなくなり、もう少し吸引しようとし始めた瞬間、

「やめんか。こらーっ!!」。

もう、あと数日の命とは思えない大きな声だった。恐かった。

ごめんなさい。

それから、天国へ行くまでの一週間、もう、しゃべれなくなってしまった父。しゃべる元気を、全て私を止めるために使ってしまったんだと思う。

私の悪い癖。自分のしたいことをしていると周りが見えなくなる癖。

それが、こんな取り返しのつかないことになるなんて思いもよらなかった。

もう一度、父の看取りをやり直したい。

まだまだ、後悔で涙の出る二年目の春。

 

 

 

 

 

10件のコメント

「やめんか。こらっ!!」

と、最後に大きな声を、高木さんに聞かせてくれたんだよ。

叱ってくれる人がいるって、幸せなことです。

いつまでも、天国で、高木さんを叱ってくれますよ。

コメントありがとうございます。
叱ってくれる人がいる幸せって、確かに感じたことあります。
でも、父の最期の言葉を思い出して、幸せを感じられるところまでは、まだ、行けてないかなぁと思います。
ただ、天国から叱ってくれてる父を思い浮かべると、なんだか、幸せな感覚が湧いてくる感じがしてきてます。

高木さんの切ない気持ち伝わりました。
看護師をやっています。
最後に触れるのもみるのも嫌がるご家族もいます。
「最後のときがきたら連絡ください。そこまではお任せします」という方も。
もちろん、そこまでおっしゃるところまで、いろんなご家族の歴史があったんだろうなと思いますが…
聞いていて何とも切ない気持ちになります。
高木さんのお父さんは、最後まで娘さんお二人が近くにいてくれたこと幸せだったと思います。
ちゃんと感じていたと思います。
きっと今も空の上から、
「まだ泣いてるんか!やめんか!こらー!」
なんて笑って見守っているんでしょうね^_^

共感してもらって、ありがとうございます。

最期に触れるのも見るのも嫌がるご家族もいらっしゃるんですね。それはそれで、私も、切なさを感じてしまいます。

「まだ泣いてるんか!やめんか!こらー!」ですか。それも、笑って見守ってくれてる父がいるとすると、藤本さんへのコメントにも書きましたが、なんだか、幸せな感覚が湧いてくる感じがしてます。

ずっとずっと高木さんの事を考えていました。
私の知ってるお山の暮らしを教えてくれる高木さんでも、お母さんの高木さんでもなかったので。
今日はお父さんの命日だったんですね。
悲しみは時間では癒されないし、後悔の念は薄れないんですね。
わたしにはまだそういった経験がありません。
でも家族を家で看取ることは、並大抵の覚悟では出来ないことだと思いました。お父さんは感謝の気持ちで一杯だったと思います。家にいれて安心したと思います。そして、遠慮なしでなんでも言えて許されるのが家族。お父さんは言っちゃったあと、あっしまったと思ったに違いありません。
本当は最後の言葉を一番悔やんでいるのはお父さんかもしれません。
発声できなくなったけど、心で語りかけていたことが真実なんだよって言っている気がします。
冒頭に書いた私の知らない高木さんは、なんであの言葉が最後の言葉だったのよ!と本当はお父さんに言ってやりたいんじゃないかと思いました。
でも、
親子の絆があったからこそのあの言葉だったように思うのです。

私のことを、ずっとずっと、考えてもらってありがとうございます。
田端さんのコメントを読んでいると、私より、ずっと、私のことをわかってもらってる感じがしました。
そうなんです。
なんであの言葉が最後の言葉だったのよ!と父に言いたいし、ずっとずっと、言い続けてる私がいるんです。
でも、田端さんのコメントを、読み終えて、思い出したことがあります。
父は、吸引をしてくださった看護婦さんやヘルパーさんには、どんなに吸引が辛くても怒鳴ったことは、一度もありませんでした。
私にだけ、怒鳴ったんです。私にだけ。
それは、親子の絆があったから?!
なんだか、また、涙が出てきそうです。
ただ、後悔の涙とは違う涙のような気がしてます。

高木さんの記事を読んで、皆さんのコメントを読んでいたら、涙が出てきました。
娘には何でも言えるお父さんだったのですね。
私もまだ高木さんのような経験はないのですが、最期に娘たちに一緒にいてもらえて、お父さんは幸せだったんじゃなかったのかな、と思いました。
私の人生の最期の時は、子どもに側にいてほしい。そう思いました。

まだまだ、後悔の気持ちはありますが、
父は、幸せだったと言ってもらえると、私の後悔の気持ちが、和らぐ感じがします。ありがとうございます。

菅野さんは、自分の最期の時の事まで考えられたのですね。私は、後悔の気持ちで止まってしまっていたので、そこまで、考えが及んでいなかったのですが、確かに、最期の時に、子どもに側にいてほしいと思うのは、母ごごろなのかもしれないなぁと思ったことです。

2年になりましたか。
怒られた経験がなかったのに…強烈な最後の一喝が心を揺さぶることになりましたね。
私には優しい父だけを印象に残さず、大きな声も出すんだよと最後のメッセージに思えました。
初めて感じた姿だからビックリして戸惑うのも自然な感情です。
皆様のコメントにもあるように、心残りはつきものでやさしい顔と大声を出した顔を遺して逝かれたお父さん。
忘れてくれるなよとニコニコしていらっしゃると、私もニコニコしました。

みっこさん、コメントをありがとうございます。今まで、コメントに気付いて無かったです。すみません。でも、今日、読むことができて良かったです。
2年前も、みっこさんからのコメントで、何度も元気をもらえていたことを思い出しました。あの時も、ありがとうございました。

そして、父の介護や看護のことをお母さん大学サイトに投稿することで、お母さん大学生の皆さんから励ましてもらえたり、和ませてもらえたりしながら、頑張ることができていました。
ほんとに、お母さん大学を作ってくださった藤本さんやお母さん大学生の皆さんには、感謝していることです。

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高木真由美
社会人になった子どもが2人います。 お山で主人と2人暮らし5年目進行中。 お母さん業界新聞全国版を毎月読んで、考えるきっかけを頂いています。 よろしくお願いいたします。