お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

家族と地元家族と地元を守れる男を目指して 菅原忠義さん(角田市)を守れる男を目指して 菅原忠義さん(角田市)

できちゃった婚で、 20歳でパパに

友人の紹介で知り合った妻とはできちゃった婚で入籍。20歳で娘が生まれたときは稼ぎも少なく…。それでも家族に苦労はさせまいと、目指していた料理の道を諦め、現場監督見習いとして働きました。何かあると物が飛んでくるような職場でしたが、若いうちに鍛えられてよかったなと、今では思えます。

「男は外で稼ぐもの」と、単身赴任へ

長女3歳、次女1歳のときに転機が訪れました。取引先のゼネコンに働きぶりを買われ、転職の誘いを受けました。単身赴任をする必要がありましたが、給料が倍近くになることに惹かれて決意。

「男は外で稼ぐもの」という考えが沁みついていて、家庭は二の次、最低限のことしかやっていないパパでした。
それでも、娘たちのかわいさは格別。月2回の帰省を楽しみに、朝から晩まで仕事に明け暮れました。黙って留守を守ってくれた妻には、頭が上がりません。

東日本大震災を機に、家族と一緒に

東日本大震災で、地元角田市は甚大な被害を受けました。当時、建設コンサルとして千葉で働いていましたが、すぐに家族を呼び寄せ、疎開生活を始めました。

改めて家族の大切さ、人生のあり方を考え、これからは家族みんなで暮らし、地元のために働きたいという気持ちがふくらみました。

その後、市役所で募集していた土木技術者に応募。35歳という、公務員試験が受けられる最後の年でした。採用後、即戦力として入所当日から十年選手ばりに仕事をふられましたが、見習い時代の苦労が実を結び、今は係長をしています。

子育てで大切にしてきたこと

コミュニケーションを大切にすること。特に挨拶です。娘が思春期で反抗的だったときも、返事をするまでしつこく「おはよう!」と言い続けました。

何より、愛を持って、子どもに失敗体験をさせること。失敗したときに、どうリカバリできるか、考える力をつけさせることが大事。子どもの失敗や苦労に目を瞑るには信念も必要です。そうしてこそ、生きる力が身につくのだと思います。

*取材後記*

「若い頃の失敗経験があって今がある。子どもの失敗にも寛容であれ」とアドバイスをいただいた。娘の失敗を見守る度量を身につけると同時に私自身この先仕事や人生において、失敗を怖れずに進みたい。(青柳伶旺)