お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

30ans トランタン物語13話 ボーっと生きてんじゃねーよ!

テレビをほとんど見ない私だが、
大晦日の雰囲気を感じるために紅白歌合戦をBGMにしていた。

そこにへんてこな女の子が出てきて、怒りを爆発しながら、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言う。

一瞬笑ったけど、なんだかその言葉、その後もずっと、頭から離れない。
今年、活動を始めて30年。先日、そのことが東京新聞に掲載された。
改めて30年間も、私は何をしてきたのだろう。

わが子は二の次にして、子育ての新聞をつくってきた。
笑えるようで、笑えない話。

でもそんなダメな母親を、娘たちは少しも批判せず、
これがちゃーちゃん(私のこと)の生き方なんだと納得、
いや諦め、応援してくれている。

最初につくったのは「トランタン新聞」。
母として、女性として「30代をいきいきと生きよう」というのが新聞のテーマ。
私のトランタン物語はそこから始まった。

途中で名前は変わったが、今日まで休むことなく新聞をつくり続けている。
が、志半ば。チコちゃんに、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われたら、シュンとなる自分もいる。

30年前と違うのは、自分の世界が広がり、意識が上がっていること。
世間の常識ではなく、自分の中に常識があることに気づく。

何をするかではなく、何のためにそれをなし得るべきか。
人の評価より、自分の評価。
そうして子育ての世界を見ると、何が大切かが見えてくる。

もっとラクな選択をすればいいのにと思う自分もいるが、
選ぶのはいつも茨の道。
チョー欲張りだから、普通の感動では満足できない。

あとどれくらい新聞をつくれるかわからない。
けれど、すべての新聞を捨てたとしても、
そこに、ちゃんと残っているものがある。目には見えないけれど。

30年を経てここまでは辿り着いた。

本当は、それがカタチになれば一番だが、
カタチにならない領域にあるその「宝物」を、
私は、日本中のお母さんたちに伝えていきたいなぁと、
志深く、30年目の新聞をつくっている。

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言うチコちゃんに、
「はいはい、わかってます!」と答える。
「返事は1回でいい!」と、またチコちゃんに叱られる。

決してラクではない、30年目の一歩が始まったばかり。
まだまだ終わらない、お母さんの旅です。
(藤本裕子)

(2019年2月号/トランタン物語)

1件のコメント

私もココ何年もテレビを見ていません。 毎食時中は、ツレがリビングのテレビをほぼ一日中付けっ放しなので チラリと見たり聞いたりしています。 先日も食事をしながらよくできたキャラクターが「ぼーっと生きてんじゃないよ!」ってがなっているのに惹きつけられて目の動きや口の動きアドリブのセリフまで一致しているのに感心して見ていました。 後でネット情報で、すごい人数のスタッフが動画を駆使しフィルターをかけた噺家の声に 動きを合わせていることを知りました。 凄い時代になりましたね。

トランタン時代をよく知らずに、「お母さん業界新聞」創刊の時にご縁がありました。
その時は チコちゃん並みに、訳もわからず 何やら私も関わる必要がありそうと必死だった様です。
それから10年かなぁ、想像を超えた 立派な「お母さん業界新聞」になりましたね。
藤本編集長 いや 藤本校長の弾丸トークよろしく、できの良いスタッフさんと 地方編集長に名乗りを上げて 次々と新聞は拡張し様々なお母さんなればこその展開が広がりました。 ひとえに校長の情熱とリーダーシップによるところではと、時々不登校生は感心しています。 「ぼーっと、、、」何てしている暇もなかったのではと 唯 体力の凄さと 付いてこられたスタッフの皆様に 頭が下がります。

『決してラクではない、30年目の一歩が始まったばかり。
まだまだ終わらない、お母さんの旅です。』

と締めくくるあたり、次の一手があるようです。
縁あって生徒になって、気がついたら これがお母さん! とやっと気づいた次第。誠に「ぼーっと生きてんじゃないよ!」でした。
三度目の二十歳を過ぎ、夫婦二人の生活に じんわりと染み込んだ「お母さん業界新聞」。 さて私も健康を維持しながら老後のお仕事が見えてるのかなぁ。シッカリと次の一歩を踏み出したいものです。 良い旅にしたいものですね。

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