お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

【卒母・特集⑧】娘が家を出るまで卒母できません

私には、強制的子離れ期間がありました。娘が小学校入学の頃に離婚。親権を取れませんでした。小学校の6年間は週末だけの子育て。寂しいったらなかったです。娘はより寂しかったでしょう。

高学年のときに今の夫と暮らし始め、中学生になる頃に再婚。娘に「お母さんと一緒に暮らす」と言われ、3人の生活が始まりました。

帰宅するなり鞄を投げ「まじ、うざい」とキレ気味に学校での出来事を話す思春期の娘との生活はなかなかに大変でした。高2のときに大荒れして、前夫と私に「アンタたちが離婚したから悪い!」と泣かれ辛かったです。ごめんねと謝るほかなくて。

食生活の乱れた娘が、しみじみ「おいしい」と言ったのは白味噌のお味噌汁。本当にお味噌汁に救われました。

空白の6年間を経て今、娘は21歳に。落ち着いていて、ありがとうと思います。

本当に子離れできるのはまだ先になりそうな気がします。

旅行は好きに行かせているのに、歩いて5分のバス停まで毎晩迎えに行きます。娘からは過保護といわれています。

いつか娘が家を出るその日まで、過保護でいるつもりです。卒母宣言はできないですね。ああ、うざい母親。

(笹本翠)

(お母さん業界新聞1712/特集 卒母)

1件のコメント

たくさん苦労しただけ、

幸せもたくさんやってきます。

今も、娘がいる、それだけで最高!

娘が家を出ても、卒母できないよ。

だから、お母さん大学が、私たちには必要ね。

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