3月号宿題その2◆MJ30「卒業の思い出」

立春を過ぎての極寒にびっくりですが、
日差しはやわらかく、春の足音が聞こえてきそうです。

さて、3月号の8ページ、
MJ30のお題は、「卒業の思い出」です。

この時期、子どもの卒園、卒業を前にしたお母さんもいると思いますが、
ここは、子どもの卒業ではなく、「自身の卒業」がテーマです。

おっぱいを卒業する、子育てを卒業する…なんて使い方もありますが、
ここは普通に、幼稚園・保育園の「入園」をのぞく、
小学校、中学校、高校、大学…
「学校の卒業」をイメージしたリアル回答をお願いします。

 

例)
制服の第2ボタン/中学の卒業式の日、好きな男子にもらう習慣がありました。友だち以上恋人未満だったあいつ。もらってあげようか…と遠目に見たら、ボタンがない!焦りましたが、「ほら」と手渡され、どっきり。現旦那です。

先生の涙/小学校の卒業式で、卒業証書授与で一人ひとりの名前を呼びあげるとき、先生が途中から涙声になり、それが私たち卒業生だけでなく、会場中に伝わり、涙涙で感動の卒業式になった。

居酒屋でお別れ会/高校の卒業式の日、クラスごとに居酒屋で開いていた「お別れ会」。もちろん20歳前ですが、時効ですね。大人への一歩のような特別な儀式でした。

★MJ30なので、最低文字数60字。
★複数投稿歓迎です。
★本名発信。

★締切は、2月17日(月)必着。なるべく即答してください。

★提出は、いずれかの方法で。
・この宿題記事にコメントとして書き込む。
・それぞれが自分の記事として発信する。
・編集部 info@30ans.com へ直メールする。

メールの場合は
(1)本名/(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
タイトルは「卒業式/名前」でお願いします。

★お母さん大学生以外で投稿参加してくれた方へ掲載された新聞を送ります。
希望者は送り先〒住所、氏名、電話番号をお知らせください。

では、どうぞよろしくお願いします!

26 件のコメント

  • 高校3年生の卒業式は、それまで受けていた試験がことごとく落ちて、最後の望みをかけて名古屋へ。みんなが卒業式をしている時間に私は受験していました。それが合格となったので救われましたが、卒業式も出られず受験も落ちていたら、人生ドン底まで落ちていたと思います。楽しかった高校生活の卒業式に出られなかったのは悔やまれますが、そのおかげで今の人生があると思うので、よしとします。

    • 高校卒業=HRからの解放
      小中高校とホームルーム式の教室が苦手だった。
      何となく学校に馴染めず、
      かと言って拒絶するほどのパワーもなく。
      なんとな〜く、やり過ごした9年間。
      やっと解放されるとホッとした卒業式でした。

  • 大学の卒業式の謝恩会/謝恩会は学年全体で行われました。お酒が入った事で、普段あまり絡む事の無かった同級生と深い話が出来たりしてとても楽しかったのですが、みんなそれぞれ卒業してもうこれから会う機会はきっと無いんだろうな〜、と思うと、何だか切なくなりました。在学中にもっと色んな方と積極的に交流を持っておけば良かったな、と思いました。それと共に、一期一会大切にして行かなくては、と改めて感じた事が強く印象に残っています。

    • 大学の卒業式にアカデミックドレスを着たこと!/
      大好きだった映画「キューティーブロンド」の主人公エル(リース・ウィザースプーン)のように、長い黒のガウンに四角い帽子を被って卒業式に出られたことが最高の思い出です!母や祖母も見に来てくれて(笑)これを着たいから、みんな卒業式を楽しみにしていました

  • 中学の卒業式。厳粛に式が終わると、雪の降る中外に飛び出して、恒例の「えっさっさ」。男子が上半身裸、短パン1枚で行う団体演技。全身に力を漲らせるその姿は忘れられないなぁ。
    「えっさっさ」って何?って思った方。YouTubeで検索したら色々出てきます。

  • 高校での卒業式後も制服を着て、吹奏楽部の定期演奏会の練習のため、登校していた。

    演奏会のクライマックスは、カーペンターズの青春の輝きを演奏。その途中で1人ずつ名前を呼ばれ、顧問の先生から一輪の花を頂き、泣きながら仲間とステージ前に並ぶ。
    最後の最後まで頑張って部活続けてよかったなぁと思えた吹奏楽部の卒業式。

  • 中学の卒業直前、親友と私が同じ男子を好きだということがわかった。
    2人して大泣きして、
    「じゃあ、一緒にボタンもらいに行こう」と決め、
    卒業式当日、2人でその男子のボタンをもらいに行き、3ショットで写真を撮った。
    残念ながら2人とも振られちゃったけど、
    その時の写真を見るたびに「青春だー!」と叫びたくなる。

  • 高校の卒業式。
    今でも忘れません・・・
    朝から電話が鳴りっぱなし!
    『うるさいな~~~』
    と思って寝ぼけながら受話器を取る。
    電話先から焦っている声。担任の先生からだ!
    『大橋!卒業式来ないのか!?もう始まるぞ!!!』
    えっ!!!
    時計を確認する9:45分。卒業式開始まで15分
    すかさず先生に詫びる
    『すいません。寝坊です』
    先生も驚く
    『お前さ~卒業式寝坊って。聞いたことないぞ。』
    やらかしたと想いながらも、ダッシュで支度して、ダッシュで学校に向かって
    無事式にはでてらたが・・・
    卒業証書授与式の自分の番には間に合わなかった・・・

    卒業式の笑いものになる(他の先生、部活の顧問など)
    クラスでももちろん大笑いもんだ
    でも今となっては、大笑いで卒業できたんだから
    いい思い出として
    心に刻まれてます。

  • 小学校の卒業式。
    中学も同じ子ばかりだからとあまり寂しさも感じずに、その後のクラス会のごちそうを楽しみにして。
    仲が良かった子と、校庭にそびえ立つ大きなヒマラヤ杉の下で記念撮影をした。
    あれから20年。私はヒマラヤ杉が誕生花の子のお母さんになった。

  • 短大の卒業式
    袴に編み上げブーツがいいな、なんて思っていたら…。
    学校から“華美な服装は避け…”というお達しが!
    学生の98%が紺黒濃いグレーのスーツで讃美歌を歌いました。
    その後着崩れを気にする必要もなく仲良しグループで食べ放題へ!(笑)
    楽しかったなぁ♪

  • 幼稚園の卒園式。 私の事をとても可愛がってくれた先生がいた。当時のことはあまり覚えていないが目に涙をためた先生となんの事やら?と平常心でいる私が映る写真と母から聞く話を聞いては自分は愛されていた事が分かる。今は私が保育園の先生。記憶になくとも私の人生に深く残るものがあることは言うまでもない。

  • 中学の卒業式。
    高校の合格発表日の前日なのが恒例。式中は内心ドキドキ。翌日、先生に合格の報告に行って本当の卒業でした。

    高校の卒業式。
    県立ですが制服なし、校則もない(あっても覚えてない(笑))、ミニ大学のような高校。卒業式ももちろん服装自由!女子は振り袖や袴姿が多く艶やか。男子も羽織袴姿やキャラに扮する人など個性的で楽しい卒業式でした。

    大学の卒業式。
    卒論ない学部で同級生のほとんどは余裕の中、単位ギリギリでなんとか卒業。
    祖父が亡くなったばかりで仙台まで来る元気もなかった母の代わりに、おば(母の兄のお嫁さん)と当時高校生だったいとこがお祝いに来てくれました。嬉しかったなぁ。

  • 卒業式の思い出といえば、全く泣かなかったこと。小学校の卒業式、どうせ中学校は持ち上がりでみんなほぼ一緒だし。中学校の卒業式、別に引っ越すわけでもないしいつでも会えるから。高校の卒業式、そこまでクラスに馴染めていなかったから。冷めてる学生でした。

  • 大学の卒業式の日、3人の娘一緒の子連れ卒業式でした。関係者に保護者の方はあちらですと言われて、「私は卒業生です」と言った記憶が忘れられません。卒業式後、上野公園で真ん中の娘が迷子になり、大騒ぎ。命が縮む思いをしました。

  • 今だから話せる事/高校の卒業旅行で友人3人で沖縄旅行へ。解放感や大人に近づいた感もあり、煙草をすってみたり、お酒を飲んでみたり・・・沖縄のつよーい煙草を吸ってしまい、気持ち悪くなって寝込んでいたのは私です・・・

  • 小学校の卒業式。卒業証書をもらう時に、ひとりずつ将来の夢を発表することに。確か「本を書く人になりたい」と言った記憶が…。記者や編集者の仕事に就いたのだから、少しは叶ったことになるかな!?

  • 高校の卒業式
    中高6年間の皆勤賞をもらいました。
    1年生の初めての試験のときに発熱したけれど、初めての試験を休む勇気がなく登校したことと
    唯一遅刻した日に担任に懇願して遅刻を揉み消してもらったこと(時効よね?)がよかった。

    部活の後輩たちからもお祝いしてもらったと思う。
    卒業式後は、後輩たちにもらった花束持って、1年生で同じクラスになって仲良くなったメンバーでカラオケに行ったなー
    2年、3年とみんなクラスはバラバラだったけど、今でも互いに連絡をとったり、2年に1回程度だけど会ったりしています。

    本当なら最後の制服姿なんやけど、まだまだ受験が残っていたので、ラスト制服は3月後半だったなー

    なんでも遅いのは今も変わらず、そこはなかなか卒業できません。

  • 高校の卒業式、友情、恋愛、、高校生活が楽しすぎて、もう今日で解散と思うと寂しくて寂しくて、涙が溢れてきながら校歌を歌った。
    その後、上京する友達の見送りに新幹線ホームに行き、泣き走りながらバイバイをした。
    全てが青春だったなぁ。。
    そして、母から言われていた通り、高校の友達は一生の友達になりました。

  • 小学校の卒業式。
    小柄なわたしのために、母が卒業式に着る服を毎晩夜なべしながら手作りしてくれました。トイレに起きた夜中に、部屋の灯りがついているのを見て、ワクワクとドキドキが入り混じっていたのを覚えています。
    今年長男が小学校を卒業しますが、わたしには夜なべして服を作る体力も勇気もありません。
    改めて母に感謝です。

  • 大学受験を8校も受けた為、そのうち一つと卒業式がかぶり出れませんでした。(最初はずれてたのに40人ほど受ける大学の受験日とかぶり卒業式がずれてしまい、私だけが受験日の日に卒業式に…泣) 
    高校は皆勤賞だったのに卒業式だけ出れませんでした、、 
    でも、受験は隣の県に3つも受けに行き、どれも一泊したのでちょっとした一人旅気分でとっても楽しかったです〜 
    ケータイも持たない頃なので公衆電話で実家に電話して、卒業式の後の集まりのお誘い電話があったとか聞き、やっぱり寂しかったですーー!隣の県から想いを馳せました、、 

  • (はじめましてです。自己紹介は追って致しますね。)
    小学校の手作り卒業式。
    総合教育が始まった頃で、小学校では色々な経験をしました。その締めくくりがオリジナル卒業式でした。
    式歌を作詞・作曲し、入場曲は映画のサントラ(確かクール・ランニングかな?)でした。この曲を選ぶのに父とレコードを一緒に聴いたのも覚えています。
    そして最後は例年、先生と握手するところを、ハイタッチして出ていきました。

  • 小学校の卒業式
    とにかく辛くて辛くてたまらない小学校生活。でも最後の6年生で、放課後も一緒にいたいと思えるような友だちができたけど、、ほんとよかった事はそれくらい!その子と出逢うための6年間だったと言っても過言でないくらい。1000キロ離れた今も仲良しです。

    だから、卒業式はもう喜びしかない!!
    やったーーーやっと解放される!!!!!
    もう嬉し涙でした(笑)

    そして、そんな中、卒業証書授与式では、名前を間違えられて。。とほほ〜やっぱり先生たちもそんなもんだったんだなぁとがっかりと同時にそんなもんだよななんて、そんな思ってしまったなんとも感動のない卒業式でした。

  • ☆卒業☆
    子供として、
    母として、
    友達として、
    妻として、
    パートとして、
    姉として、
    あかもち先生としてなど
    他人(私以外の人)と関わる
    色々な顔を持っている。

    私はいつも人の顔色を伺っていきて
    自分を抑えて
    人に合わせていきるのは卒業しようと思いました!

    自分を大切に
    これからはイライラしたり
    大笑いしたり
    泣いたり
    全部の感情を楽しんでいきたいです。

    もちろん、これからも私と関わる人を大切に❤️

  • 入試の二次試験と高校の卒業式がかさなり出席できませんでした。実は高校、あまり好きではなかったのでひどく悲しかった訳ではないのですが、結局その時受けていた大学は落ちたし他の大学の補欠入学をギリギリまで待っていたり……と春休みもソワソワしながら過ごしてすぐに大学生活へ。
    結局、卒業式に出なかったことで自分の中での区切りが出来ずなかなか実感が湧かなかったことを思い出します。
    儀式としての卒業式、必要だなと思います。

  • 中学校の卒業式で歌った「大地讃頌」。全然卒業式っぽくないのに、音楽の先生の完全な好みだけで決まった曲。最初は乗り気じゃなかったけど、練習していくうちに段々みんな本気モードに。
    卒業式当日はあまりの出来栄えに音楽の先生から「ブラボー!」の声。
    その後私たちの間でその先生のアダナが「ブラボー」になったのは言うまでもない…。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    藤本 裕子

    株式会社トランタンネットワーク新聞社 代表 お母さん大学学長 お母さん業界新聞編集長 娘3人、孫4人 TUBE大好き