津波警報が鳴った時間、娘は学童保育で過ごしていました。
指導員の誘導で、安全な場所に集められていました。
訓練ではない、本番の事態に、
娘はひとり、祈っていたそうです。
お祈りの言葉を口にしていたら、お友達が。
「何してるの?」
「お祈り」
「お祈り?それなに?」
と聞かれたけど構わずに、主の祈りと、津波が大きな被害を生まないよう祈ったの。と娘。
プロテスタント系キリスト教の学校で、娘は毎日お祈りを捧げています。
私も幼い頃、日ごろ天津祝詞をあげていました。
娘は、家族の記念日などにはお祈りの時間を設けてくれ、
私も、天津祝詞を唱えて心を落ち着かせることがあります。
言葉や根源は違えど、
私もあの子も、共に、
祈ることを日課にしていることに改めて気づきました。
人間の力が及ばない、自然界での出来事。
そんな時、ひたむきに祈るしかない人の姿に
神さまや、宇宙は何を思うだろう。
少なくとも母である私は、
うれしく思いました。
そしてその夜、娘の夢に神さまが出てきたと言います。
きっとそれは、お祈りしたことへのお返事だね。よく祈ってくれましたねと、言われたんじゃないかなと話しながら、
こんな絵も描いていました。


この惑星において、
人間の歴史なんて微々たるもので、
影響力も本来は、わずかなものであると私は思っています。
つまり、祈ることしか出来ないような場面ばかりだと思うのです。
それなに?と聞かれたように、
例え、それが万人に浸透していない事でも
自分の心に従うこと。
そうすることが、娘にはできていました。親バカにも、素晴らしいことだと思います。
娘の清らかな祈りが、
どうかロシアの被災地を癒しますように。
私も、共に祈ろうと思います。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。