お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

……まぁ、こんなもんである。

朝、小鍋に水を入れて火にかける。

水は秋月の天然水だ。

電子ポットの方がずっと早い。でも私は、この小さな鍋でふつふつと湧く音を待つ時間が好きだ。

豆は、世界一になった焙煎士が選んだもの。

淹れ方は、珈琲を愛する先生に教わった。

見よう見まねで、今日も丁寧にお湯を落とす。

深煎りの香りが、ゆっくりと部屋に広がる。

豆たちは、嬉しそうに膨らんでいる。

私は、その時間を急がない。

待っているうちに、

さっきまであちこちに散らばっていた気持ちが、少しずつ私のところへ戻ってくる。

お気に入りのマグカップにゆっくり注ぎ、両手で包む。温もりが、

「今日もここにいていいよ」

と教えてくれる。

珈琲を淹れる。

それは、「今日も私の命は、ここにいる」と、自分に知らせる小さな儀式だ。

余談だが、この珈琲を淹れていた朝、私は娘の参観日の時間を一時間勘違いしていた。

有休まで取ったのに、着いた時には終わっていた。

娘からしたら、

「私はここにいる」じゃねーよ。学校に来い。

である。

……命の存在確認も大事だが、
時間の確認は、もっと大事だった。