お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

梅雨の合間の【夏日和】

日記・6月17日(日曜日)晴天。【夏日和】

目的地は高松市の山奥にある「モモの広場」。自宅から1時間ほどかかるであろうため、娘と7時過ぎに家を出発。車中で塩の効いた美味しいおにぎりの朝ごはん。

道の駅にも寄り、野菜や「今年は甘い出来」だという桃を購入。

「モモ」は、時間泥棒から町の人々が盗まれた時間を取り返す物語、ミヒャエルエンデの『モモ』から名づけました。

ということらしい、この場所。訪れるのは初めて。とーっても素敵な場所だったのです。

金曜日の朝刊で、たまたま知ったイベントだった。「17日(日)、まんぷく会 じゃがいも掘りやカンカン寿司を…」と紹介されており、3歳の娘も一緒に参加できるとのことだったので出かけてみることにしたのです。

モモの広場のすぐそばには川が流れ、たくさんの自然に囲まれていた。車を降りたとたんに、気持ちが良くなる。大きなイチョウの木があり、光がこぼれる。建物は、かつて中学校兼公民館だった木造講堂と、保育所の教室・厨房棟、トイレ棟。

8時半、還暦を過ぎたであろう男性数人と女性3人、娘でじゃがいも畑へ。畑へ向かう道に1メートル以上あるアオダイショウの抜け殻も。それを大事にしまう女性。

「お財布に入れて置いたらお金持ちになれるのよー」

懐かしいな、この感覚。蛇の抜け殻なんて見たのも久しぶりだ。

無農薬の、たくさんのじゃがいもを収穫してモモの広場へ戻る。

じゃがいもを洗っている間は、娘はダンゴ虫を捕まえたり、蝶を追いかけたり、シロツメクサを結ぶ遊びをしたり、自由に走り回っている。そんな姿を遠くから見られるのが「なんだか、いい」。

結局、このイベントに参加したのは、子どもは娘だけだった。だけども、おじちゃん、おばちゃんたちが、かわいがってくれて、自然の葉っぱで音鳴らしをしてくれたり、新聞紙を折って「パンッ」と音鳴らしをしてくれたり、野イチゴを採ってくれたり、よく遊んでくれた。

ほとんど娘を「ほったらかし」にしていた。

炭火をおこした「焼き芋」も、カンカン寿司も、本当に美味しかった。

娘は一日ご機嫌で、たぶん、全力で遊んでいた。

昔は、こんな休日がたくさんあったんだろうなぁと思いながら。

自然のなかで、光を浴びて遊ぶという楽しさ。私は懐かしくて、嬉しくて。

自分の小さかったときの、川や畑で遊んだ記憶と「楽しかった」という感覚がよみがえってくる。

娘にも「楽しかった一日」と、感じられたであろうか。

こんな「体験」を積み重ねてほしいのだ。

娘は一人っ子。ホントはね、兄妹がいたらいいのだろうけどゴメンね。

母がね、「もう一人…」と作ってあげられない状況だから。

でも、こうして「自然」と「人」と、触れ合う経験を重ねてほしい。

その豊かさは、人生を豊かにしてくれると母は知っているから。

と、深くなってしまったけれど、今日はまるで、夏休み。

梅雨の合間だから、【夏日和の一日】と締めくくろう。

追記。

帰ってきて、私は疲れて横になって、まだ読んでいなかった(四国新聞の)朝刊を手に取った。「一日一言」に、5児の父親であるつるの剛士さんのことが書かれていた。それによれば「…ただ、イクメンと言われるのは大嫌いだという。『みんな育児に偏りすぎている。子どもは自由にしても育つから、夫婦に軸足を起き、自分が一生懸命に生きることが大事だ』と語る」と。