コロナ禍で子どもの自主性が見直されてる気がします

先日のこと、次女は学校でハロウィン!
学級会で、誰かが「ハロウィンしたい」となって、クラスでする事になったらしい。

学校だから、お菓子の受け渡しはなし。
その代わりに、折り紙で作った景品を交換するのはOK。
衣装は朝から着て来ないこと。学級会の時間に着る。

昔の「学校」ってイメージからは考えられないくらい、自由。

長女のクラスは、「運動会なくなったから、クラス内運動会したい」って提案した子がいて、それをするらしい。

新型コロナで、皆初めてのことだからどうしていいか分からなかった。
コロナで諦めたこと、辞めたこと、一杯ある。
コロナがある世界に慣れて来た今、今できる範囲で何ができるかって考える時、子どもの意見が大切に尊重され、取り入れる事が考えられている。

すっごい前進じゃないですかー?
私らが子どもの時の「学校」って、もっと堅くて、「こうすべき」という場所だったけど、今の学校のイメージは昔のそれとは違って来ている。
前から、昔よりはゆるくなったと思ってたけど(冬でもアウター着ないのが普通だった私の時代から、コート着てもいいとか、昼休みにかける曲がみんなの歌でなく最近の曲とか)、コロナでさらに自由度が加速した気がする。
本来は、先生も「こうすべき」を言うために学校の先生してるんじゃないんだよね。

子どものワガママ何でも叶えます、だと疑問だけど、学校でできる事、できない事線引きしてやる方向で考えてくれるのは、子どもにとっても自分達が尊重されて、いい経験と思い出になると思う。
またある時は、次女、学校で芋掘りしたと言ってた。
先日、5時間目に芋を食べたって言うから、「給食室で料理してもらったんじゃなくて?どうやって料理したん?」と聞くと、先生が給食室で炊飯器に水と芋入れてもらって来て、教室でスイッチオン。
その間漢字を勉強してできたら食べたみたい。

何、それー。
めっちゃ自由。
めっちゃ家庭的やな~!

昨日は、「最近遊んでばっかりやねん」って言う。
国語の「くじらぐも」を運動場で再現しに行ったらしい。
くじらぐも役の子は「もーっと高く、もーっと高く」と言って、子ども役の子は「飛んでいけー」って言ってたらしい。

遊ぶと言ったら語弊があるけど、遊びながら学ぶ、体感しながら学ぶ、生活しながら学ぶってことをしてるのかな。
面白いことをする先生だなぁ。

次女が通っていた生活団もモットーが「よく教育するとは、よく生活すること」「生活即教育」だった。

そんな事あるんだったら「学校楽しくなって来た?」と聞いたら、勉強は相変わらず嫌いらしい。まさ、さすがに勉強がなくなることはないけど、ちょっとでも楽しい事できてたら、また変わって来るかな。

コロナで3か月休校になった分を取り戻すべく、夏休みは2週間ちょっと。まだ真夏の暑い中を2kmの道のりを徒歩通学してた時は、熱中症が心配でした。
コロナでストレスを感じてるか聞いても、「ぜんぜーん」と言ってた子ども達が、「学校行きたくない」と言い出したのは9月頃。頑張ってた糸が切れそうになってたのかもしれません。

子どもの話では、コロナ禍になってから、体調悪いと休む子もいれば、保健室に行く子も増えたとか。

それで、学校が楽しくない場所なら、ますます気持ちが離れる。
そんな状況を鑑みて、先生が考えてくれたのか、元々の先生のタイプなのか分かりませんが、アクティブラーニング的なものが取り入れられてる気がする。

と思ったら、SNSでこんなニュースを見た。
「子供たち自ら発案 修学旅行は校庭キャンプ」
修学旅行を諦めるのではなく、密にならないように1人1人がテントに入って校庭キャンプ。

大人の感覚だったら、どうせだったら遠いところに行くのがいいと思っちゃうけど、自分達で決めた修学旅行先、しかも近いけど、泊まる事のない校庭。同じ場所でも、見えた景色は絶対に違ったはず。

コロナ禍という現存してる人類ではほぼ初めての経験、パンデミック。
初めてのことにどうしていいか分からない時、今までの経験値が通用しない時、子どもに聞いてみるといい案があるのかもしれません。
子どもは、できない中でできる事を考える天才だなー。

コロナというきっかけで、子どもの自主性を大事にする風潮がどこでも見られるようになって来たのかな。
これからの未来に期待!

ABOUTこの記事をかいた人

戸﨑朋子

MJプロ。 11歳(小5)と7歳(小2)の女の子がいます。 子どもが生まれて、今までに感じた事のない気持ちやを感じて幸せだったり、ダメな自分を突き付けられる思いがしたり。 何があろうと思うのは、子どもが生まれて良かった。 色んな思いを綴れたらと思っています。