お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

断捨離その後

逃げる2月も過ぎて今日は3月3日、お雛様か~

娘のために買ったのに本音はそれほど好きな物ではなかったらしいが、年末の断捨離でこの話をすることはなかったので、さてどうしたものか・・・である。

「その後断捨離はどう?」とメールをした娘に返信したのは、

「お兄ちゃんが捨てるものと残すものの仕分けをして、お宝だと久しぶりにワクワク感が感じられます」

その内容は使いかけのノート類や書類関係が処分、漫画などは娘も出すかもしれずその時に古本屋へ。英語辞書は夫の手元へ行き、さすがに分厚い懐かしい広辞苑は処分。

お宝というのは大好きだったゲーム機とカセット、そしてゲーム本である。

ゲーム本の中にオタクが欲しがる貴重なものが数冊あるらしく、いずれどのようにしていくかを検討していくとのこと。

ゲームウオッチ?のようなものが出てきて、電池を入れっぱなしにしていたらしく液漏れをしていたが、それを取り出して拭きあげてみると再生できたことで感激する息子。

「いや、これはすごいわ・・・」に私は「日本の技術力の凄さね」に「う・・・ん」と言いながら私はそんなものをいつ買っていたのか知らなかったことを知り、息子はカセットが一つだけしかないのを不思議がる。

昔のゲーム機をわざわざ外国人が買って帰る話をしながら、私はてっきりお宝が出たということで、それらを売ろうと思っているのかを聞いたら知らない人に売るとしたら日本人へ、それよりゲームオタクの知り合いが欲しがったらあげるし、ゲームセンターなどに寄付してもいい・・・と私や娘と違ってみみっちいことを言わないのはこれまでの経験から納得できる。

本棚にはゲーム関係のカセットなどがずらりと並ぶ光景に様変わり。

変色しないようにカーテンでも書けようか…と思案中である。

今回、向き合うことになった断捨離の一つに過去の品である卒業証書。

自分の本棚に入れてあったらしい大学の卒業証書を捨てるといった時のこと。

立派な証書を見ながら「これを捨てるの?」と言ったら「残す意味があるの?」である。それには答えられない私を見て「なぜ取っておきたいの?」と問われて「証明する必要が出てこないかな・・・」と言ったら「その時には大学に残されているよ。学歴詐称問題を問われても証明できるよ。こんな証明書が必要ないのに続けていることが変なんだよ。無駄な費用をこれに使っているんだよ」と言われてみて「確かに」が出た私。

今では幼稚園からずっと証書をもらい続けて、それらはある時点で処分してきたのだからその時には必要のないものという思いだったはず。

息子は今回大学のものが自分の手元にあったが、高校は確か押入れに私がしまい込んだ、大学院はさてあったかな・・・そういえば私の大学の卒業証書もまだ残されていることを思い出し、これからは思い切り処分できるぞ。

久しぶりに息子と話しながら感じたことは、過去より今と未来に目を向ける息子であることが改めて感じられたことで、子ども時代の思い出品は育てた母の思い出に過ぎず自分の子ども時代には興味がないのだということを思い知らされたこと。

これからは息子の過去は私が楽しみながら断捨離していこうと思った。