お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

心象風景

目まぐるしい情報社会と言われる時代に身を置くようになって考える。

誰にも子ども時代があるけれど、ふと立ち止まって自分の子ども時代を思い浮かべたりすることはあるんだろうか・・・

自分が親になって、子どもたちがどんな思いで今を感じて生きているのかを考えたことはあるんだろうか・・・

虐待事件が報道されるたびに、子ども達を救い出せない大人の問題がそこにある。

20年ほど前にアメリカでは、7歳以下の子どもを車に取り残したりしたら親は逮捕と知って驚いたが今後は日本でもその方向に行くのだろうか。

江戸時代の頃の記録によれば、外国人がビックリするのは子どもを可愛がりたたいたりしない日本人の姿だったらしいが、それが明治維新後の西欧社会を取り込む過程で子どものしつけも変わったらしい。

追いつけ追い越せが戦争に走り、敗戦後は再び西欧に追いつけ追い越せと経済活動にひた走った。

教育が寺子屋から学校教育に変わり、子どもは誰でも学校に行くのは当たり前の時代が長かった。

1年生になる頃にはランドセルをみんなが背負う時代になり、学校に通いだしながらある時ふと思う。

「なんで子どもは学校に行って勉強しないといけないの?」と私は思う子どもであった。

大人になって思うことは、恐らく最初は緊張しながらも新生活に慣れるために一生懸命だっただろう。

そしてそれが慣れていき、楽しい授業ばかりではないことや宿題をしなければいけないという思いから

逃げ出したくなる気分があったに違いない・・・

そんな時私は母に聞くことはなかった。

母が女学校に親を説得していかせてもらった話を思い出しながら、母も子ども時代があったことに気がつき、親だって学校に行って大人になったという当たり前に気がついた子ども時代。

しかし親の子ども時代と自分の時代は違っているのが、学歴競争が始まっていたこと。

そして我が子が小学校に上がる頃には更にその傾向に拍車がかかりながら、教師は2極化現象を口にし始めていた時代であった。

私は我が子に「なぜ学校に・・・」と聞かれたらなんと答えようかを用意していたが、我が子に質問はされなかったような気がしている。

知ることの楽しさを伝える努力をしていたからかもしれないが・・・

そして今の子ども達はどんな気持ちを持ちながら学校に行っているんだろうか?

私も色々学校について考えてきた中で思うことは、学校が全てになることは危険だということ。

されど学校はなくなっても困るわけで、学校とどんな付き合い方をしていけばいいかをこれからも考えながら、大人の問題が子どもを痛めつけることのないようにと願っている。

 

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池田美智子
読書が好き、人間が好き、孤独も大事、真善美を考える日々。 旅をすると予習復習で楽しさががらりと変わることを実感し、 70歳になると、努力することの必要性を日増しに実感し、 やる気元気の素を探すようになりました。 今のところその素は、お母さん大学と学びの研修と訓練です。 令和元年、初孫誕生でパワー再燃中