誕生日に母を思う

誕生日に母を思う

 

先日の17日、私は39回目の誕生日を迎えました。

偶然にも、この日は三重に住む両親が、横須賀まで来てくれて、

一緒に過ごすことができました。

長女も連れて3人でデート。

横須賀のおしゃれなお店を回ったり、お気に入りのラーメンを食べたりしました。

 

私の中の母は

『いつもバイタリティがあり、自分よりも他人をよくすることを優先する、博愛精神のあふれた人』

で、言いたい事ははっきり言い、時にはわがままで父や家族を振り回したり、

行き当たりばったりの行動をえいやっ!と気持ちだけでやってのける、感覚的な人です。

(私の感覚的なところは母譲りなのかも(笑))

 

そんな、エネルギッシュな母のことで、たった一つ、忘れられない出来事があります。

 

それは、私が中学の修学旅行から帰ってきた時のこと。

お迎えに来てもらった帰りの車の中で、父が

「お母さん入院したんやわ。」

と、冗談めいた発言を始めたのです。私は

「そんなん嘘ばっかり!」

と、まともに受けとらずに家についてみると、本当にお母さんがいません。

「え?ほんとなん?」

と父に尋ねると、

「そう、明後日手術するんやわ。」

とぽつりと言いました。

その当時、母はずっと体調が悪いといいながらも、薬を飲みながら、体をだまして、

パート勤めに出ていました。そのパート先の健康診断で引っかかり、即検査入院が必要と言われ、

そのまま入院だったそうです。

 

そんなことはつゆ知らず。

 

修学旅行を楽しんだ私は、その足で母の入院先の病院に向かい、

着くや否や、病名を聞くことになります。

 

診断名は『乳癌』でした。

 

「左乳房にあるしこりの組織を取って検査し、広がり具合で乳房を全摘出します。」

との説明を父と一緒に受けました。

天地がひっくり返るかと思うくらいびっくりし、それと同時に、

『私はこのまま母を亡くすのかもしれない…』

という恐怖と悲しみが押し寄せてきました。

 

どうか…どうか…死なないで…。

私は祈る気持ちで、時間が過ぎるのを待ちました。

とても長かった手術も成功。

結果、母の左乳房は全摘出されました。

そして、母の術後の回復を待ちながら、摘出された母の乳房を医師から見せてもらいました。

まだまだ多感な年頃だった15歳の私は、その母から切り取られた乳房を見て、

ショックと薬のにおいと血のにおいで気分が悪くなってしまい、その場にいられなくなって

しまいました。今でもあの光景は、脳裏に焼き付いています。

 

その後、母は回復し、術後も治療法が母に最適だったのか、体調も崩さず元気になっていきました。

あれから22年経った今も、再発はありません。

失った乳房は戻ってはきませんが、自分のやりたい事をたくさん楽しんで、お友達ともたくさん旅行へ行って、

やりがいのある介護の仕事を楽しんでいる母を見ていると、本当に頼もしく思います。

だいぶ足腰も年齢が来ていて、すぐに無理してやってのけてしまうのが心配ですが、

しあわせな日々をおくってくれているだけで、嬉しくおもいます。

 

お母さん、生きててくれてありがとう。

 

↑3歳のわたしです(笑)

ABOUTこの記事をかいた人

三代川 りか

上から小学6年長女、小学4年長男、小学3年次男のママです。横須賀支部で「みよむら」の「みよ」を担当しています。出身は三重県、手芸好きが高じて、羊毛フェルト作家を名乗っています。ずぼらだけど、「整理収納アドバイザー」有資格者です(笑) 地域版「Relaxing(リラクシング)版」編集長です。2018年秋から不登校が始まった次男のことや、子育てする母としての想いなどを書いています!