お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

10年前の自分に電話かけたい。

先日、近くにコスモスが満開の花畑があると聞いて、子どもたちを連れて行ってきた。

本当に見頃で綺麗だったので、子どもの写真を最近撮ってなかったこともあって、バシバシ撮りまくっていた。

あとでゆっくりと見返すと、2人が同じコスモスを見て何やら話しているよう。

普段、日本語(姉)と宇宙語(弟)で喧嘩したりしている2人。じっと見ていたくなる写真だった。

 

10年前、初めて子どもを妊娠したときは子宮外妊娠で大変な思いをした。結局その時の手術で子宮筋腫も3つ見つかり、卵管1つ、筋腫も切って終わった手術。今後妊娠する確率は卵管が1つでも2つでも変わりませんよと言われていたけれど、気持ちはもう子供ができないと思っていた。その時に「子どもはね、どんな子でも親孝行してから逝くんよ。」と言われた言葉が心に染みた。

その後2回の流産をして、いよいよ無理だと思った頃、「赤ちゃんはね、忘れ物をとりに戻っただけなんよ。」という言葉をかけてくれた人がいた。流産したことを話すと、私が自転車に乗っていたことを責めた人もいたけれど、「自転車くらいで流れていく子は、生まれてからも体が弱かったかもしれんね。」と言ってくれた人もいた。

それから娘が無事生まれた。

2人目ができるといいなと思っていたけれど、子宮外妊娠と流産を繰り返し、いよいよ年齢的にもリミットという時に、元気な息子ができた。

毎年秋になると、鬱っぽくなる。なくした子が晩夏〜秋に多かったからかな。でも、今年はなんとか自分の気持ちを保てている。

10年前の自分に電話かけて教えてあげたい。私頑張ってるよ、子どもたちに助けられてるよって。

「神様はね、超えられない試練は与えないのよ。」ということを園長先生から聞いた。日々、しんどいな、つらいなと思うことがあるけれど、こうやっていられることに感謝しなきゃと思う。

4件のコメント

最所に来た子はお母さんに病気があることを教えに来てくれたんですね。
もしかしたら流産した子だちが今の娘、息子さんですよ。忘れ物を空に採りに帰ってからきたとき
二人ともこずえさんが良いと思ってきてますよ。

読んでから、もう一度お写真を見るためにスクロールしました。
10年前も、今も、
たくさんの苦しみが竹村さんにあるのですね。
泣きそうです。
またその思い、おしえてくださいね。
お母さん大学にいるお母さんたちはみんなきっと、
竹村さんと一緒に泣いたり笑ったりしたいと思っています。

植地さんのおっしゃる通り、
これからの竹村さんの思いと、私も一緒に
泣いたり笑ったりしたいと思います(^^)
私はなかなか子どもを授からず、その間夫婦で色んな事を
乗り越えました。
そして子どもが生まれてからというもの、夫婦仲が良くなりました。
娘という宝物を迎えるまでの試練だったんだと思っています。
私も、5年前の私にあとで電話してみます(^^)

こんばんは。
辛い気持ちを乗り越えて、今があるんですね。
忘れものを取りにいったなんて、希望がある言葉ですね。

私は10年子どもを授かるまでかかったので、気持ちがわかります。毎日泣いていた17年前の私に、電話して教えてあげたいです。

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