お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

コトバを越えたコトバ

今月2歳になる我が家のぼっちゃま。
明確な発語は未だ「はいっ」だけで
コトバはかなりマイペースなご様子。

とは言え、こちらが話しかけるコトバの理解は随分進んできたので
そのうち喋るでしょうと、のんびり見守っている。

そんな息子とのコミュニケーションで助けになっているのが、
0歳の頃から手話とジェスチャーを織り交ぜて教えている
「なんちゃってベビーサイン」。

最初に覚えた「バナナ」(当時の大好物)を皮切りに、
好き、ねんね、絵本、ピヨピヨ(鳥)などの単語を、
まだまだ不器用な指先を駆使しつつ
おててのコトバで伝えてくれる。

数ヶ月前、踏切&電車好きの息子に
「踏切」の手話を教えた(両人差し指の指先どうしをくっつけ、遮断機のように上下に動かす仕草)。
好きなものというだけあり、
教えた翌日には「踏切見たい」「踏切の絵本」など(と、思われる訴え)を、
このジェスチャーで伝えてくるようになった。
ただし、上下に動かすのはできなくて
指先を合わせているだけ。
(なんか、しょんぼりしているようなサインになっています笑)

ところがそのサインが近頃
「踏切」だけにとどまらなくなってきた。
散歩から帰った際
お留守番していたとーちゃんに「ふーーん」と叫びながらこのサイン。
踏切見てきたって言ってるのかなぁ?(我が家の近所はどこを通っても踏切だらけ)と解釈していたが、どうも違う。

寝る前に「今日は公園行ったねー、楽しかったねー」と話しかけても
このサイン。
動物園に行った時も、
おもちゃでご機嫌に遊んだ後も
「明日は土曜だから、とーちゃんといっぱい遊べるよ!」と伝えた時も
全部このサイン。

ん!?踏切、関係なくなってない!?
どうやら、踏切=ボクにとって楽しいもの
のように変化したご様子。

時によってそれは
「嬉しい」だったり
「たのしみ」だったり
「興奮」だったりするのだけれど、
よく考えたら、別に「この意味だ!」
と大人が定義する必要はないのだ。

もしかしたら日本語の「楽しい」なんかじゃ
とても言い表せない、スーパースペシャルハッピーラッキー!!みたいな
気持ちを伝えているのかもしれない。

コトバの枠なんて飛び越えた
息子の今だけのコトバ。
声で日本語を話すようになったら
きっと失われてしまうであろうそのコトバを
今はじっくり楽しみたいと思う。

(もちろん、かーたって呼んでくれる日も楽しみだけどね!)

4件のコメント

欄さん、言葉って不思議ですよね。声に出した途端に形を成して、聞いた人のイメージになる。
赤ちゃんが言葉が話せるようになるまでのこの時期。勝手に大人のいいように解釈したりしていたけれど、
こんな豊かにこの時期をお手てで表現できるんだとビックリしました。
またそれをこんな風にうけとれる蘭さんも本当に素敵♪
これからも感じたこと、教えてもらえるのを楽しみにしてますね♪

ほんと、言葉って便利だけどある意味一定の尺度に感情を押し込めてしまうツールでもあって。
息子はまだその尺度にはまることなく好き勝手に気持ちを示してくれるので
その表現能力を大事にしたいなと思います♪

すっごい表現力がありそうだね。
そして、じっくりと観察して考察している蘭さんが素敵だよ。
続編を楽しみにしています♪
ちなみにうちの子は、なぜか「言葉」以外の表現は無理だと思っているような気がする。。。

これからサインがどう変化していくか楽しみです。
まつりさんと会って手話を学ばなかったら
赤ちゃんに手で話そうなんて思いつきもしなかったと思います。ありがとうございます♪

逆に我が家は、
サインや指差しの意図をこちらが汲みとりすぎたせいで
急いで口で話さなくてもいいや、と思っているかもしれません笑

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ABOUT US
杉本 蘭
2019年、30歳で息子を出産。 京都出身。横浜→東京暮らしを経て、 現在は夫の駐在に帯同しUAEにて子育てライフ満喫中です。