お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

見えないものと闘ってた1ヶ月半-自主休校してました

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緊急事態宣言が9月で終了。

その少し前、9/26まで小1の娘を自主休校させていた。
この期間の記録を残しておきたいと思い、書いてみます。

-きっかけ 

8月初め頃は、神奈川にも緊急事態も発出されたものの、気をつけつつ子どもの習い事や外遊びは制限していなかった。

それが変わったのは、お盆頃にご近所の知り合いの家族が皆さんコロナになったこと。

それまでになく、実際に超近づいてるという危機感。

ちょうどテレビなどで、救急搬送できなかったり、自宅で亡くなったりする事例の報道が盛んにされていた。

今、家族の誰かがかかっても病院で診てもらえないかもしれない。どちらの実家も遠方で誰にもヘルプが出せないだろう。親がかかって重症化したら子どもたちは?

一気に警戒レベルを上げた。習い事は全部お休みさせてもらい、外遊びは基本夫が仕事前に連れ出す。お友達とは遊ばず。

-2学期スタート

8月下旬で夏休みが終わり、小学校はほぼ当初の予定通り、9月最初まで午前中授業。分散やオンラインはなく、こちらも休ませることに(その後少しの期間、分散登校→すぐほぼ通常日課になっています)。

学校を休ませるのは本当にいいのか?娘の成長のために問題じゃないのか?

でも低学年の子たちが距離を取るなんてどうしても難しいだろう。お友達としゃべってはダメとか、近づいてはダメとか言いたくない。

神奈川の件数と毎日にらめっこ。

ほぼ毎朝、夫が娘と息子をバラバラに外へ。5才差なので一緒に連れていくと、どちらかが我慢することになるのでバラバラに。私はその間に片づけたり家にいるほうの子どもの相手をしたり。

帰ってきたら、娘は”学校”。私が先生になって教科書を進める。教えるの下手だな…と毎回思う。息子は最初邪魔しまくって大変だったが、ネットにヒントを得て、同じく椅子に座らせて「べんきょ!」とシール貼りやお絵かきを。今はかなりのべんきょ好きに(笑)。

件数も減ってきていろいろと考え、9/27からは登校と決めたら、娘が自ら「ありがとうございました!おかげで…」とメッセージを書いてくれていた。おかげでなんてどこで覚えたのか。
こんなイライラ先生にありがとうとは、こちらこそありがとうという気持ち…。

自分から書いてくれたお礼。

-私個人の問題

8月半ばから9月終わりまで1ヶ月半。

苦しかった。
いや未だに、この1ヶ月半で変わってしまったものもあり、苦しい時は時々出てきそうではある。

何が苦しいって、大多数の人が「普通」に習い事へ行き、学校へも通わせる選択をする中で、私はそれとは違う「普通ではない」選択をしていること。

普通でいればなんとなく間違いないと育ってきて、でも子どもの親になり、また時代も変わり、普通なんてどこにもないことはわかっているんだけどとにかく苦しかった。

でも、命に直結することに対してはどうしても敏感になる。これは死はすぐ横にあるし、まさかうちは大丈夫なんて通用しないという、私の体験や性格から。

買い物もほとんど行かず、外へも最低限。
コロナ前なら当たり前だった、ママ友さんと話したりどこか美味しいお店を探したりという息抜きもできない。

だんだん、セルフネグレクトに近くなっていた。
とりあえず最低限食べるし、子どものことはなんとかやるけど、自分の身なりはどうでもいいしシャワーもめんどくさい。

そんな中で、がっつりお話を聞く仕事はできなくなったが、記事を書く仕事や事務などのサポートの仕事はオンラインだしすき間時間にできたからやっていて。

子ども2人家にいながら、ボリュームや〆切を少し延ばしてもらう程度でほとんど変えずにやって、息抜きとして必要でありつつ、逆になかなかできない自分を責める材料にもなっていた。

-登校開始から約10日経ってみて

あの苦しさはほとんど消えた。全部消えるまではもう少し。

外に出ること。
人と話せること。
娘と離れる時間を持つこと。
学校や習い事へ送り出すことができてること。
息子を連れて堂々と公園へ行けること。

そのどれもが、特別なことじゃないのにできなかった期間。

良くやった、というか良く生きてたと思う。

また次の波が来たら、もう少し苦しさが減るよう記録に残します。

8件のコメント

私の住んでる地域、他の県と比べれば全然感染者数も少なく←0ではないが…
やはり都市圏は大変だと、思います。そしてそれが身近に迫るときっと危機感か大きくなりますよね、お子さんのことを考えての決断。お母さん大変だったとおもいます。お疲れ様でした
そしてその姿をみてのメッセージ、感動ですね

コメント、ありがとうございます!
厚木は都市圏だけれど微妙な場所、なのにコロナの数は多いというところでした。
娘にとって良かったのか、いまだにわからないですが、今、学校や習い事を再開して日常が戻ってきたとほっとしています。

よく頑張りましたね、って言いたいです。思ってはいても、自ら制限を課して持続することはなかなかできないこと。娘さんのお礼の言葉が、曽我さんの葛藤の日々が報われた証ですね。

よく頑張りましたのコメント、ありがとうございます!
学校へ送り出すことの不安と、家にいることの大変さと、どちらが不安が少ないかを天秤にかけて毎日苦しかったので、今少しほっとしています。
娘がこんなに日本語を使えるようになってることも本当に嬉しいびっくりです。

コロナ禍の、素直な意見だと思います。
人と違う選択をすること、しんどいですよね。
うちも緊急事態宣言が出てる地域ですが、自主休校させてる家も少ないですがあると聞いて、うちはどうしようかと迷いました。
行かせてはいましたが。正解と自信を持ててるわけでもなく。
毎日家で教えることの大変さも分かります。昨年のコロナ休校の時に、母親がわが子に毎日教える大変さを実感しました。
娘ちゃんがそこまで言って(書いて)くれたのがうれしいですね。私も子どもが明るくいてくれるから励まされます。

コメント、ありがとうございます!
本当にしんどい毎日でした。
どのお母さんも迷いながらだったと思うのですが、自分との違いを感じるとなんだかもう悲しくなってしまって、精神的に追い詰められていたと思います。
他人には教えられますが、自分に近い人(母やいとこや娘…)にはめちゃくちゃ怖い先生になってしまいます…

よく頑張りましたね、そして耐えられた自分をしっかり認められるようになったんじゃないかな?
着実に母としての判断と勇気を持っている幸恵さんの記録となりましたね。
お姉ちゃんがそのことを感じたから、ありがとうと学べたを書けるなんて凄いです。

やれやれだったのに、昨晩は関東地方の地震に忘れたころの何とやらが来ましたね。
私は東北大震災の時の関東地方の人々を思い出しながら、娘にも連絡しようと携帯を見たら蓄電池が消耗。
そして便利さと不便さを味わう羽目になり、紙にも記録しておくべきことを怠っていたことに直面しました。
専業主婦としてしか生きてこなかった中途半端な面を思い知らされた気がしています。

やっと先ほどパソコンから娘に状況報告と安全だったかをメールしたら、大丈夫の一言だけでした。(笑)

仕事する娘からしたらあきれた話だろうなと苦笑いする私です。

コメント、ありがとうございます!
耐えられたと言えるのか、自信はないです。とりあえず今ほぼ普通の生活になりほっとしています。
これまで、子どもを産むまでは、なんとなくレールがありそのどれかに乗っていれば安泰のように生きてきたかもしれません。
子育てが始まって、母業の始まる年齢も、子供の個性も自分のキャパも違って、ほぼ初めて自分で考えて生きているのかもしれません。
それは、型にはまるのが得意な優等生タイプの自分には、本当に苦しい苦しいことで、今回特にそれが顕著に出たと感じました。

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ABOUT US
曽我幸恵
MJプロ│お母さん歴約9年、元・お母さん業界新聞あつぎ版編集長│小3の娘&年少息子の2児の母 神奈川県厚木市在住、茨城県水戸市出身、学生時代住んでいた宮城県仙台市は第二の故郷。 インタビュアー&ライター&ライティングの先生│今より書くのが好きになるコミュニティ・個別サポート│厚木市子育てアドバイザー&ほっとタイムサポーター│ヨガセラピスト。 *noteでもインタビュー記事など書いています。 https://note.com/sogasachii *アメブロも時々。https://ameblo.jp/sattsun2525/