お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

AIには教えられない「火の熱さ」

先日、一人で入った定食屋で、隣の老夫婦が「AI談義」に花を咲かせていた。

  「AIに任せたら、人間は何も考えなくなるらしいよ」と、未来を案じてもいた2人。 

血圧管理から旅の計画まで、AIが暮らしのコンシェルジュになる時代。シニア世代の脳トレにはいいが、子育て中の親たちは「便利」の代償に失うものも考えておく必要があるだろう。便利さの裏側で私たちは、試行錯誤という大切な「遠回り」を忘れてはいないだろうか。

火の熾し方はAIが教えてくれるが、火の熱さは体験しないとわからない。失敗して汗をかき、時に怖い思いをして初めて、人は「生きる力」を獲得する。

そんなことを考えながら、運ばれてきた「サバの味噌煮」をつついた。

先日、ある企業と進めている「育仕両立」支援事業で、お母さん、お父さんたちに「味噌仕込み」を体験してもらった。 

つくり方は検索すればすぐわかる。けれども、蒸し大豆の香りや麹の手触り、そこから味噌になるまで、数か月におよぶ発酵や熟成期間の「待ち遠しさ」は、体験した者にしかわからない。

この五感を通じた「手前味噌」の経験こそが子育ての根幹にあるべきもの。そこには、教科書には載っていない命のリアルが詰まっている。

ふと、妄想が膨らむ。 

お父さんは海でサバを釣り、地元の漁師にさばき方を教わる。お母さんは自慢の手前味噌でそれを煮込む。あるいは山で山菜を採り、地元のおばあちゃんに調理法を習うのもいい。

  タイパやコスパを追う時代だからこそ、不便な田舎での「育業」を推奨したい。自然の猛威や恩恵に直面し、泥にまみれて働く。そんな経験をした親であれば、未来の仕事の在り方をAIと対等に議論できる人材を育てられるはずだ。

ふと皿を見ると、サバの骨だけが残っていた。

ひたすら「体験の重要性」を妄想していたせいで、肝心の味をちっとも覚えていない。

  「どんな味だった?」 そうAIに聞いたところで、

教えてくれるはずもない。今日一番の「サバの味」という体験を、私はものの見事に味わい損ねてしまったのだ。

(藤本裕子)

お母さん業界新聞3月号 百万母力

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